魔女のためのエチュード

黒井咲夜

Mad/Rolex

2039年12月、F1・2039シーズン終了と共に、モータースポーツファンを震撼させる会見が行われた。


「――ペルセウスレーシングに、2040シーズンから新たなレーサーが加わります」


フラッシュの光を浴びて、老婦人の傍らに座る青年が顔を顰める。

イエローブロンドのセミロングヘアーに、アクアマリンのような青い瞳。童話に出てくる王子様のような美しい顔立ちだが、目だけは猛禽類を思わせる鋭さをたたえている。


「FEチーム『White base』所属、カミーユ・ロレックス選手です」


青年――カミーユ・ロレックスは、何も言わず無数のカメラを睨みつけていた。


  **


「お疲れ様、カミーユ」


記者会見を終えたカミーユを、老婦人が労う。


「お気遣いありがとうございます。マダム・シュヴァルツヴァルト」


「そんなに畏まらないで。どうか、ルイーゼと呼んでちょうだいな」


彼女の名はルイーゼ・シュヴァルツヴァルト。ドイツに本社を置く高級車メーカー『ペルセウス』の会長夫人であり、F1チーム『ペルセウス・レーシング』のオーナーを務めている。


「……では、クイーンと呼ばせていただきます」


「あらいやだ、女王だなんて……さすが『狂走の貴公子』ね」


カミーユ・ロレックスはEV車を使うフォーミュラレース、通称『FE』のトップレーサーだ。

いかにも純血アメリカ人アメリカンらしい美しい見た目と危険を顧みない鮮やかな走りから、『狂走の貴公子』や『MADイカレ野郎ロレックス』の愛称で熱狂的な支持を集めている。

2人はシリコンバレーにあるペルセウスL.A.(ロサンゼルス)支社からプライベートジェットに乗り、ビバリーヒルズにあるシュヴァルツヴァルト邸へ向かっていた。


「カミーユ・ロレックス。18歳でFE電気自動車フォーミュラデビューしてからわずか4年でF1への切符――スーパーライセンスを手にした天才レーサー。貴方のような人を私のチームに迎えられて嬉しいわ」


「俺も、FE時代の監督が、かつてレーサーとして活躍したチームに所属できることを光栄に思います」


ゆったりとしたシートに腰掛け、カミーユは柔らかく微笑む。


「それよりカミーユ。貴方、かなり好色って噂だけれど……本当?」


カミーユはFEデビューしてからの4年間で、様々な女性と浮き名を流してきた。

特に『White base』監督のガイナ・ワグナーとの『サンセット・ブルーバードの歌姫』ソネットを巡る恋の鞘当ては、連日低俗なWebマガジンや三流新聞を賑わせた。


「勘違いしないでください。俺は好色アニマルではなく、女性史上主義者フェミニストです。自分の全てを尽くして女性プリンセスを喜ばせるのが趣味の、つまらない男ですよ」


世間の評判はおおよそ正しいものではないと断言できよう。赤ん坊ゆりかごから老婆はかばまで、女であれば無条件で愛する。カミーユはそんな男であった。


「そう……じゃあ、私のような老人も喜ばせてくれるのかしら」


ルイーゼがワイングラスをサイドテーブルに置き、カミーユのネクタイを解く。


「……お戯れが過ぎますよ、クイーン」


「そう、これは遊び。貴方は玩具」


ルイーゼの枯れ枝のような指がシャツのボタンをひとつひとつ外し、たくましい大胸筋を愛撫する。


「ようやく、欲しかった玩具を手に入れたんですもの。お家に帰るまでなんて待てないわ」


大胸筋を撫でていた指は腹筋を伝い、下腹部へと伸びる。


「ペルセウスレーシングのレーサーは皆私のもの。妻がいようが恋人がいようが、知ったことではないわ」


ルイーゼはカミーユの若くたくましい肉体を一方的に、自分本意にむさぼっていく。

枯れ枝のような肢体は歓喜に打ち震えた。


「ああっ!いい、いいわ!カミーユ、貴方って、んあっ、本当に、っ、最高よ!」


「っ、ありがとうございます、クイーン……」


搾取としか言いようのない状況にあっても、カミーユは自らの腕の中にいる女を喜ばそうと最善を尽くした。


「は、あっ……カミーユ、もっと……」


「クイーン。これ以上続けるなら、せめてベッドに」


カミーユがルイーゼを抱き上げ、ベッドに横たえる。

長く男らしい指が、ルイーゼのスーツを脱がし、ジュエリーでも扱うかのように丁寧に下着を外していく。



「こんな事がキング……会長に知られたら、クイーンも俺も終わりですよ」


「大丈夫よ……あっ、あの人は、はあっ……興味ないもの……F1事業にも、んっ、私にも……」


ふたりの逢瀬を見ているものは誰もいない。プライベートジェットは自動運転で夜空を進んでいく。


「カミーユ、キスして……」


ルージュの剥げた唇に、カミーユが唇を重ねる。ワインと唾液が混ざり合い、薄赤く糸を引いた。


「んっ、ふ、あ……カミーユ、ころして……」


ルイーゼがカミーユの太い首に手を回し、耳元で囁く。


「お願い、カミーユ……殺して……マツリカ・テラスを……あの、雌猿を……!」


首に回された手に力が込もる。

枯れ枝のような体のどこにそんな力があるのか、血のような色のネイルがカミーユの白い肌に赤い模様を描く。


「マツリカ・テラス……?」


「紳士のスポーツ、フォーミュラを汚す……ああっ、薄汚いアジア女よ……」


ルイーゼのマホガニーの瞳に、憎しみと怒りの炎が灯る。


「あの女……FIAの役員に尻を振るだけじゃ……あっ、飽き足らず……はうっ!同じアジア人の……バントーを……は、あっ……抱き込んで……私達からグランプリを、んあっ!奪おうとしてるの……」


「それは……とんでもない悪女ではないですか」


「魔女よ、あの女は……あっ、あっ、いやらしい、サーキットの魔女……!」


茉莉花はさして戦績のよいレーサーではない。その茉莉花をルイーゼが憎むのは、茉莉花がアジア人の女だからであろうか。


「耐えられない……んあっ、耐えられないわ……!あんな女が、あふっ、神聖なF1を、穢しているなんて……ああっ!」


ルイーゼがカミーユの背に爪を立てる。


「あっ、ああっ、ユージーンも……はふ、あの女を……殺せなかった……ああん!」


「……クイーン、貴女は……」


「ころして、ころして、ころしてえっ……!おねがい、おねがい、カミーユっ!」


カミーユには、髪を振り乱し女を殺してくれとベッドで懇願するルイーゼの方が、よほど魔女に見えた。


「……貴女のお心のままに、クイーン」


これ以上ルイーゼの言葉を聞きたくなくて、カミーユは何か言いたげな唇を自身の唇で塞いだ。

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