翠玉の事件簿〜欠けた遺体の真実〜

yolu(ヨル)

第1話

 別荘とはいえ、辺境伯の屋敷だけある。

 大きさもさることながら、廊下の壁にはめこまれたステンドグラスが、昼間の光を華やかな色に変えている。まだ16になったばかりの僕にとって、これほどの豪華な屋敷は、ヴォルガ育ての親の屋敷以来だ。


 大理石の廊下に、僕の小走りの音に並んで魔導人形のロドスの滑る足音と、執事の大股の足音が響く。カラフルな光の雨のなか、初老だろう執事の背に焦りを感じる。足の運びが荒いのだ。

 ひょろ長い背に向けて、僕はどうにか問いかけた。


「あ、あの、なにが、あったんです?」

「……その、死体がありまして」


 周りに誰もいないにもかかわらず、小さい声の意味は、隠したいこと、という意味だ。

 だが、その事実に、僕は喜んでしまった。

 新人聖騎士の初任務として与えられた挙式の任務がなくなったのは間違いないからだ。

 これで、聖騎士の出世街道に、傷がつかないで済む。

 なぜなら、聖騎士の最高位である、老騎士オールド・ローズまで、あと少しなのだ。


「あの、では、挙式は中止」

「──行ないます」


 僕の声を遮り、振り返った執事の目は、言葉以上に断言している。


「3日後の挙式までに、犯人を見つけてください。碧薔薇の聖騎士、アキム様」


 唐突な事件の始まりなのに、僕の足は止めることを許されない────





 16歳になった今日、僕はイジェス教の聖騎士団・碧薔薇聖騎士団の一員となる。

 今や、世界の3割が信者となった教団の聖騎士だ。

 日夜、国を跨ぎ、魔物はもちろん、国ごとの諍いごとまで仕事は幅広い。

 そして、唯一、魔法の使用を許されている騎士団でもある。

 それが碧薔薇聖騎士団、通称バラ騎士。

 さらに僕は、イジェス神の遣いとされる『首の聖女』を救った英雄として扱われるという。

 表向きに、だけど。


「行こうか、ロドス」


 僕が声をかけると、執事型魔導球体関節人形オート・バトラーのロドスも歩き出す。

 魔導造形師のみ作製することができる魔導球体関節人形は、高級品であり、動力は魔石だ。通称、魔導人形とも呼ばれ、主に貴族が従者の代わりに使うことが多い。もちろん、聖騎士団でも、上官クラスのお世話は魔導人形だ。人間よりも時間に正確で、忠実に働くことから、多少のコストがかかっても選ばれている。

 だが、僕は貴族でもなんでもない。ただの雑貨屋の一人息子。

 なのに、どうしてロドスが僕と一緒にいるのか?

 これは、ずっとわからないままだ。

 なぜなら、国境戦争のときに両親をどちらも亡くしてしまったからだ。

 ふと思う。

 両親は、僕が聖騎士になって、喜んでくれるのか、と。

 ……もう、それすらも、よくわからない。

 でも、喜んでくれていると、思いたいのは、おかしい気持ちだろうか。


 ロドスが廊下の外に顔を向けた。

 物音がしたのだろう。

 想像どおり、木々の間から小鳥が飛び立った。

 彼の顔は鏡面になっているため、あたりの景色が歪みながら広がっている。それを見ながら、母を亡くした頃に似た季節だと、僕は思う。

 春とも夏ともいえない、中途半端な時期。

 日差しは暑く、風は冷たい。


 途中、中庭を突っ切るルートを僕は選んだ。

 なるだけ人とすれ違わらない、遠まりのルートだ。

 ロドスの帯同はかなり目立つ。

 新人の聖騎士なのに、魔導人形もいっしょなのは、何かと鼻につくのである。

 しかしながら、遠回りがおかしいと、ロドスは左に指をさした。


「いいんだよ、右に行こう。なんかさ、緊張するね、ロドス」


 僕が声をかけると、ロドスは少し顔を傾け、肩をさすりながら歩き出した。

 それだけで心強い。

 今思い返しても、帯同の許可は得ていて良かった。

 強引な言い方だったが、英雄なのだからと、特例にしてもらったのだ。

 それがなければ今頃、ロドスとは離れて、いや、ロドスは廃棄されていた可能性すらある。

 英雄になれてよかったと、これだけは心底思う。


「ね、ロドス、どう? 僕の制服、どこか変じゃない?」


 見習い騎士の時は灰色の制服に、背には碧薔薇が象られていたのみだった。

 だが、聖騎士団の制服は誠実の白を基調とされ、細工も細かい。

 見た目には軽い素材に感じていたが、着てみれば腰より長い上着に刺繍が重く、そこに下げられた剣の細工もさることながら、軽装ながらも防具も身につけなければならず、着心地があまりよくない仕様だ。


「ちょっと重いんだよね」


 鏡面のロドスの顔に映った僕は、スプーンの背に映った顔のように歪んでいる。

 彼はそんな僕を丁寧に眺めて制服の襟元を直すと、首を横に振った。


「そっか。よかった」


 ロドスが僕の肩をつつき、懐中時計を見せてきた。


「間に合うって」


 ロドスは僕の背後につきなおしたが、少し肩を押される。

 急いだ方がいいと言いたいのだ。


「わかったってば」


 少し早歩きの僕の背には、聖騎士のトレードマークである碧薔薇と、3枚の花弁が浮かんでいる。

 この花弁は、騎士の位を示し、碧薔薇のみは見習い騎士を意味し、1枚の花弁が舞って、はじめて聖騎士として認められる。


 僕は、3枚薔薇と呼ばれる、野茨騎士ローズ・ペトゥだ。


 ……あと2枚の花弁が舞えば、特級騎士の称号・老騎士オールド・ローズだ。

 そうなってようやく、ヴォルガと肩を並べられる──!


 そう思った矢先、先輩の聖騎士団員が現れた。

 前方から歩いてきた先輩兄たちが、何やら小声で囁き、ゆっくりすれちがっていく。


「──このが」


 会釈で、視線を上げるのが遅れた。

 すれ違いざまに背中を殴られる。

 咽せながらも、僕はロドスを守るように体を回した。


 が言っていたのだ。

「卑怯な手を使う奴は、壊しやすい物から手を出すから気をつけろよぉ?」と。

 真っ先にロドスの腹部に鞘におさめられたままの剣で殴ろうとしていたのだ。

 その通りの行動に、僕の心に残しておいた『夢に見た聖騎士像』にヒビが入る。


 図体が丸い方の兄は、舌打ちとともに慌てて手を引っこめた。

 睨んでくるが、僕の顔を見て殴る度胸はないらしい。


「あの、」


 僕の声に、びくりと兄たちは体を固めて、視線を落とす。


「僕がを殺したのは間違いないです。だから僕を殴るのは構わないです。でもロドスに傷をつけたら、僕はあなたたちに何をするかわからない」

「ただの庶民が贅沢品連れてるんじゃねぇよっ」


 僕の身分は、早々に笑いのタネとして上官からバラされたので、みな周知の事実だ。

 だが、


「ちがう」


 思ったよりも大きな声に自分でも驚きながら僕は続けた。


「僕の、最後の、家族ですから」


 大きな舌打ちと「人形が家族?」と笑い声が聞こえてくる。

 それでも、僕は、ロドスが最後の家族に変わりはない。

 「平民のくせにっ」それしか言葉を知らないのか、また繰り返して、走り、去っていった。


「ロドス、魔術で傷とかつけられてない?」


 ロドスを見るが、傷も何もついていない。

 問題はなさそうだ。

 振り返れば兄たちの背中が見えた。

 花弁は2枚あるだろうと思っていたが、1枚しか舞っていない。


「……なんか、めんどくさいかも、これから」


 ロドスが頷いた。僕の気持ちに同調してくれてるだけで、暗い思いが少しだけ軽くなる。

 ただ、『兄殺し。』

 このフレーズが胃のあたりで滞留する。


 僕にとって、それは、家族を殺したも同義だ。

 彼らが言う兄は、そう、ヴォルガは、僕の育ての親だった。


 そして、一生追いかけるはずの聖騎士であり、最高位である老騎士だったのだ────




 ──ヴォルガを思い出そうとすると、僕ははるか遠い遠い『あの日』が一番最初に思い出される。


 それこそ、何度も何度も思い出しすぎて、きっとどこかがおかしくなっている大切な大切な記憶の『あの日』だ。



「今日からオレが、君らの家族だから。なっ!」



 抱きしめながら、ヴォルガが僕に言ってくれた。

 あたたかく、力強く、心の底から安心したのを、今でも感じられる。


 僕は、5歳の時だ。

 父が国境戦争に徴兵され、母が消え、天涯孤独になった。 

 その際、ロドスといっしょにヴォルガが僕たちを引き取ってくれたのだ。

 それは彼が20歳のときになる。


 あの日の母は、天涯孤独と決まった日の母は、僕にとって、今でもトラウマだ。


 自宅で、腐っていたからだ。


 朝も昼もいっしょに過ごしていた母だが、夕方には頭が消え、体が腐り、溶けていた。

 唯一、肌身離さずつけていた母のペンダントが残っていた、それだけで母としたが、本当にアレが母なのか、未だにわからない。


 どろどろに溶けた血肉、腐敗臭が充満する部屋で、虫がいなかったのは幸いだったが、あれを母だと見せられた僕の記憶は、全て塗り替えられた。

 美しく優しい母は、僕の記憶から抹消され、あの赤黒い肉の塊に変換されたのだ。


 あの赤黒い色が視界の中で大きく広がった。

 僕は心を落ち着かせるため、小さく小さく、その色を丸めていく。

 丸めていくと、点となり、床に落ちた血になった。



 床に落ちた血───



 それは、つい半年前の出来事になる。

 僕が『英雄』になった日だ。



 この事件が起こったのは、イジェス教の特別行事の日だった。

 『首の聖女』が祀られている塔の上で、聖女の式典が行われたのだ。

 地上に遣わされた日を祝う式典で、国境戦争からしばらく行っていなかったのだが、今回、開催する運びとなった。


 僕はヴォルガの見習騎士となっていたこともあり参加を許された。ただし、ロドスは留守番になってしまったが。


 式典の塔に着くまでに、他国の国王はもちろん、貴族に神官、上位の聖騎士たちが列をなして歩いている。

 僕は列の後方でそれをながめながら、ヴォルガに少し近づいた。


「ヴォルガ、みんな、国王や、位の高い方ばかりです。そんな大きな式典なんですね」

「そりゃそうだろ、式典だもん。あ、アキム、もしかして緊張してるー?」

「それはもちろんです」


 手は震え、緊張で喉が渇いてたまらない。


「実はオレもー。でも今日は、首の聖女も出席するはずだからさ。アキムも会ってみたかったでしょ?」


 確かに首の聖女を見られる機会はそうそうない。

 重要な記念式典でも、間近の謁見はほぼ叶わず、老騎士になった際の任命式が、謁見できるわずかな機会のはずだ。


「戦争以来の式典はだからオレも初めて。なんか、ワクワクするよな?」

「しませんよ。どういう図太い神経してるんですか、ヴォルガは」


 いつものように軽い口調で僕と会話したヴォルガだけれど、式典が始まってから彼の雰囲気が変わった、と、今では思う。


 僕たちは丸く囲われた階段上の椅子に座って、式典に参加していた。

 首の聖女はまだ顔を見せてはいなかったけれど、祭壇の薄布ごしに首の影が浮かんでいる。


 それだけで聖女がそこにいることがわかる。

 それが奇妙で、そして特別で、僕は現実味が感じられないでいた。


 式の中盤、大司教が舞台に立った。

 演説を始めたと同時に、ヴォルガが立ち上がる。

 それこそ静かに、ゆっくりと、歩いていく。


 みな舞台に集中していて、ヴォルガが歩いていても気にならないようだ。

 舞台と客席を隔てる壁の近くに到着すると、ヴォルガが右手を掲げた。


「……あ」


 僕はヴォルガの名を呼ぶことも、やめろと叫ぶことも、できなかった。

 氷魔法が発動したのがわかったのに、だ。

 そしてそれは、標的を斬り落とすものであることも。


 瞬きを1回終えたときには、大司教の体は、胴と足に分かれていた。

 滑り落ちた上半身から血と内臓がこぼれだし、そこでようやく、混乱と悲鳴、困惑と怒号が飛びだす。


 ヴォルガの身のこなしは完璧だった。

 瞬時に魔力を足下に溜め、跳ねるように、むしろ、飛ぶように移動していく。


 だが、僕は彼から直々に訓練を受けている。

 その走りは、僕の十八番だ。

 だからこそ、ヴォルガの背を追えたのは僕だけだった。


「……やっぱり、君が来てくれた」


 塔の屋根の上で対峙した僕らは、ほんの一瞬見つめ合っていたと思う。

 だけど僕が視線を少し伏せたとき、ヴォルガは逃さなかった。

 氷の鎌を手の中に構築、氷塊と共に薙ぎ、僕に向けて飛び出した。


 僕は地面を滑るように身を屈め、一気にヴォルガの懐へ飛んだ。

 腰に提げていた短剣を、彼の腹に向けながら。


「……オレより、速くなったんじゃない?」


 ヴォルガは僕を一度抱きしめてくれた。

 迎えてくれたあの日みたいに。

 口から溢れる血を飲み込むように、歯を食いしばるヴォルガだったが、剣を刺したまま飛び上がった。


 軽々と屋根の縁に着地すると、


「さすがだ、アキム。君なら、大丈夫。……ちゃんと待ってるから!」


 最強の剣士であり、世界随一の魔術師だった彼は、天を指差し、僕に笑って、樹海の奈落へ堕ちていった────





 ──イジェス上層部は、この件をまだ公にしていない。

 ヴォルガが何者かに操作をされ、凶行に走ったという疑惑が拭えないからだそうだ。

 いや、そうしたいのだと思う。


 ただ、限られた人間が見た、かいつまんだ事実を繋ぎ合わせ、独り歩きした結果、僕は【兄殺し】に。

 そして、聖騎士団の上層部は僕を【英雄】として片付けようとしている。


 だからこそ、誰よりもはやく、それこそヴォルガよりもはやく、僕は5枚薔薇の老騎士オールド・ローズにならなければ。


 これは母との約束であり、ヴォルガとの約束だから。

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