第54話 戦闘開始


 

 あたしとメガネさんは、サングラスを装着したまま「小鬼ブロードウェイ」へ入り、周囲を警戒しながら歩く。

 ほんの少し前にもこうやって渋谷の商業施設を歩いたが、その時と違うのは、あたしの肩には、猫が乗っかっていないことだ。


 あたしたちが注意を向けるのは、集団で立っている人間たち。

 だが、そんな奴らはあっちこっちにいる。それに、そもそもあたしとメガネさんは結界なんて使えないから、幻影魔術で姿を消しているハーフゴブリン二人組の存在を感じ取ることはできない。

 

 出入り口を押さえたほうがいいだろうか。

 だが、それも結局は対象者がわかってこその対処方法だ。


 少し進むと、天井が高くなった空間に出た。

 漫画やフィギュアなどがたくさん置かれている店舗を横目に、広めの通路を歩く。


 やはり無謀だったのだろうか。

 あまりにも根拠が無さすぎた。こんなので見つかるわけはないか…… 

 こんな感じで、今更クヨクヨと考え事をしながら、やはり正面出入り口で不審者を見張ろうかと思い至ってUターンする。

 と、あたしたちと反対方向へ通り過ぎようとした女性と肩が当たった。


「あ、すみませ──」


 肩から下げていたトートバッグが震える。


 バッグの中で握っている魔剣の柄から伝わる振動が、ちん、と鐘を鳴らすような音を奏でたように思った。

 周りの人にも聞こえたのだろうか──という疑問はすぐさま否定する。

 魔力を帯びた魔剣の叫びなのだ。あたしは鳥肌がゾアっと流れる。


 今まで感じたことのない、魔蝕剣エクリプスの反応。

 ハーフゴブリンの女と目が合った時と同じ直感が、あたしの体を駆け抜ける。

 あたしは、肩が当たった女性へ声をかけた。


「あなた! ちょっと──」


 常在戦場という言葉をどこまで理解しているかが問われるような場面だった。

 それは、単に「戦場外でも油断するな」という意味だけで使われる言葉ではない。


 戦場内外において発生するいかなる不測の事態においても、敵の襲撃に対して精神反応を備えることができるかどうか──。

 サングラスが割れた瞬間から、あたしは目を閉じていた。


「メガネさん! 目を閉じて!」


「サングラスが割られた! 催眠野郎か!? クソっ」


 その直後から、女性の馬鹿でかい悲鳴やら、男性の大声やらが、建物内に響いた。これらは、突然始まった立ち合いに驚いた一般人によるものだろう。

 そんな中、氷のように落ち着いた美しい男性の声が、建物による反響を伴って聞こえてきた。


「帰れ。今なら見逃してやる」


「……人さらいの犯人だね。始める前に一つだけ聞いとくよ。大人しく逮捕されるつもりはあるか」


「はは。目を閉じているということは、僕たちのことがわかっているんだね。さっきのメス猫が教訓になったか? じゃあ、どうしてまだやる気なのかな」


「あたしたちは、お前らのようなクズを滅殺するために存在しているからな」


「お前たちにわかってもらおうとは思わない。何も知らない奴らが好き勝手言っても、私たちは絶対に引かない!」


 初めに喋った氷の声とは別の、感情的な女性の声。

 こちらが緑色の女だろう。目が開けられないから、全くもって見えないが。


「理由があったら人を殺していいって? あたしたちの武器には、殺された奴らの怨念がこもってんだよ。戦うつもりならこの場で殺すしかないぞ」 


「目が開けられない状態で? 頭が悪いのかな。それでよくここまで追跡できたね」


 なにか風のようなものがヒュッと通り過ぎた。次いで、痛みが右肩に走る。

 利き腕を斬られた。ずっとバッグの中で魔蝕剣を握っていたからバレたんだろう。

 常時武器を手放さないのも、それはそれで考えものだな……。


「一撃で殺されてない時点で、手加減されてるってわかるよね? これが今の君と僕らとの実力の差だよ。それでも、まだやるわけ?」


 感情的に言い返す前に、一呼吸入れて考える。

 確かに奴の言うとおり、今ので殺すこともできたはず。なのに、なぜ殺さなかった?


 詳しくはわからないけど、あたしが考えつく限り、恐らくビビったからだ。

 

 あたしやメガネさんを殺せば、対魔術特殊部隊──即ち国家との全面戦争だ。仲間を殺された狼の群れの報復は、その規模と性質がまるで違ってくる。

 恐らく一般人が犠牲になるリスクすら覚悟して、絶対に引くことなく力技で追い詰めることになるだろう。

 幻影魔術で姿を隠そうが、催眠魔術を警戒して視覚を封じられようが、そんな障害などものともしないタマキのような広範囲殲滅系の強者が決して諦めることなく追い続けてくることになるんだ。

 それを恐れたな!


 メンタル的には不利な状況じゃないってこと。

 なら、何か方法はあるはずだ。


 どう戦おうか考えを巡らせる。

 右手がダメなら、左手でやってやる! と、あたしが覚悟を決めていると、男のほうが妙な声を発した。

 

「……お前は誰だ」


「あはは。ちょっと待ってくれる? また勝手に先走っちゃったハニーに、ちょっとお説教しないとだから」


「……ミノル!」


 右肩に当てられた温かい手の感触が、痛みをスッと取り除いていく。

 すぐ隣にあったはずの冷たく暗い死が、完全にはるか遠く、圏外まで吹っ飛ばされたような。

 こいつが来るだけでこんなにも安心している自分が、なによりイラつく。

 このままだと、マジでダメ人間になりそうだ。


「君はさぁ、ほんと──」


「助けなくていい。あたしが一人でやる」


「……もうっ! じゃあ、お仕置きは帰ってからだね。君に任せるけど──どうするつもりなの?」


「…………」


「えっ、ノープランでタンカ切ってんの? 命を懸けるのと、命を捨てるのは違う。命よりプライドを優先するなんて、そんなんじゃ仇なんて討てないよ」


「くっ……今日はなかなか厳しい物言いじゃないか」


「怒ってるんだよ僕は。何度言ってもこんなことをやっちゃう、無鉄砲な女の子にさ」


 そんなこと言われたっけな……? と、あたしはついまた仕事に関係ないことへ考えを巡らせてしまい、頭を振って正気を取り戻す。

 しかし、いずれにしても、間違ったことは言われていないだけに反論しようという気持ちは湧かなかった。

 そのせいで、あたしらしくない一言が漏れてしまう。


「……ごめん」


 ミノルは、後ろからあたしを抱きしめる。

 それから、あたしの頭をナデナデした。


「うん、きちんと反省できてえらいね。これからは、こんなことしちゃダメだよ。じゃあ、こういう時はどうすればいいか、レクチャーしまーす」


「なんだよ偉そうに。だいたい、お前はあいつらのことが見えてんのか」


「見えてないよ。だって、見たら催眠魔術にかかっちゃうじゃん。僕は当然の如く、結界で把握してるさ」


「そんなこと、あたしにはできないんだよ!」


「だからこの前、教えたじゃんか。ほら、もう忘れたの?」


 ヴァンパイア事案のあと、ミノルは、あたしの戦闘スタイルに足りないところがあると指摘し、それを補う方法として、一つの提案をした。

 あたしはこいつの言う通りにひたすら訓練を重ね、とりあえずは取り扱いができるレベルまでは持っていったのだが。

 

「でも、あれがこの場面で役に立つっての?」


「まあやってみなよ。……あ、お二人さん、お待ちどうさま!」


 ミノルは、相変わらず緊迫感のない様子でハーフゴブリン二人組に合図した。

 これには、さすがに敵も怒る。


「……ふざけた奴だね」


「ねえ、もうさっさとやっちゃおう。早くしないと」


 あたしは、トートバッグに入れておいたもう一つのアイテム──「ロープ」を手に取ると、先端アタッチメントを魔蝕剣の柄に取り付けた。

 要は、こいつはあたしに、ロープの先端に取り付けた魔剣を振り回せと命じたのだ。




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