第24話 太田檸檬は負けない。②

 「遅い。」


 テニスコートに着くや否や、眉間に皺を寄せて仁王立ちする高崎緋彩が待ち構えていた。

 太田檸檬とは異なり、暗めの藍色ショートパンツに、同色の半袖ウェアを纏うその姿は、いかにも強豪そうだ。普段は髪の毛を下ろしているが、今日は一つに纏めてポニーテールにしている。


 「んなこと言われても、時間通りだろ。」

 「10分前行動が普通でしょ。」


 どこの体育会系ですか。大学生にもなって10分前行動守ってるやついる?いねーよな?


 「相変わらずだねー、高崎さんは。」


 荷物を整理するからと俺より少し遅れて、明らかに作り笑顔の太田檸檬がやってきた。こうして左肩に大きいラケットバックを抱えるその姿は、王者の風格が漂う。


 「そういう時間にルーズなところはいい加減に直した方がいいんじゃないの?太田さん。」


 高崎緋彩も負けじと笑顔で応酬する。

 ついに邂逅してしまったが、このお互いの口振りから、やはり二人がただの知り合いではないことが察せられる。にしても着いて数秒でこの空気感・・・本当に車が一緒でなくてよかった。


 「いやいや、私はルーズじゃなくて、時間通りにいつもやってたから。」

 「そうかしら?何度あなたのせいで試合を待たされたことか。」

 「それはそっちが早く来すぎなんじゃない?早く行っても迷惑になるだけだしさー。」

 「何を言ってるの?試合が遅れた方が運営に迷惑がかかるでしょ?それくらいもわからないなんて、これだから細女さいじょは。」

 「今高校の話関係なくない?それとも甘女あまじょは、無関係な話題に切り替えて論点を逸らす意地汚い教育でもされてたの?」

 「はい?」

 「何よ。」


 や、やめてー!もうなんなの君たち。想像以上に根が深くない?確執ありすぎじゃない?本当に試合するの?

 時間も限られている中、コート外で論戦が長引けば、それだけ時間の無駄になる。ここは意を決して割り込むしかない。


 「あ、あのー、お取り込み中すみません。続きはコートの上でやるのはいかがでしょうか?」


 二人の視線は俺に向けられた。なるほど、「にらみつける」って技として本当に成り立つんだな。にらみつけるだけで防御力が下がるなんてそんなわけないだろ、と思っていたのだが、ちゃんと下がってます。特にこの二人の「にらみつける」は相手の精神にもダメージを与える追加効果もある。新種のポ◯モンとして推薦しておきましょう。


 「それもそうね。珍しくいいこと言うじゃない。」

 「それはそうと高崎さん。この勝負にあなたが勝ったら、私たちに協力してくれる、そういう約束でよかったんだよね?」

 「えぇ、その通りよ。」

 「言っとくけど、負けるつもりなんてないからね?」

 「手抜いたら許さないから。」

 

 身を挺したおかげで、まさにバチバチの状態ではあるものの、コート内に誘導することはできた。さて、俺も戦場へと身を投じるとしよう。


 試合は7ゲームマッチのシングルス。審判は俺がやることになり、副審はなし。3年ブランクがある俺にとって副審がいないのはかなり心許ないが、そこは実力者の二人が公平な判断をしてくれるはず。

 試合前の軽い乱打を見ると、二人とも本当の実力者であることが垣間見える。太田檸檬は前衛でありながら、球が深い。安定したラリーをする印象だ。高崎緋彩は後衛だけあって、深い球はもちろん、スピードもある印象だ。

 ネットを通じて太田檸檬と高崎緋彩が対峙するこの構図はさながら県大会の決勝戦にも見える。お互いコートに立った瞬間、おふざけは一切なし、ソフトテニスプレイヤーの表情になった。放つオーラも空気を引き締める。

 当初この試合は不安だらけだったが、今は選手としてテニスコートに立つ二人の姿を見ていると、不思議と心が躍ってしまう。

 軽く水分補給を行ったのち、所定のポジションへ着くのを確認し、試合開始の合図をする


 「7ゲームマッチ、プレーボール!」


 開始の合図と共に両者とも互いに軽く、そして主審である俺にも会釈をする。試合となればスポーツマンシップに則るのは流石だ。

 サービスは太田檸檬から。ファーストサービスは、高崎緋彩のフォアサイドへイン。差し込まれて返球できずにネットとなる。正確なコースで先制する。

 よし、と軽く拳を握る太田檸檬の一方、表情を変えずに逆サイドのレシーブに備える高崎緋彩。冷静であるのか、それとも冷静を装って悔しさを相手に悟られないようにしているのか。

 それ以降もサーブが有効となって、太田檸檬がゲームを先取した。コートチェンジ後は高崎緋彩のサービスとなる。身長の利もあり、太田檸檬よりサーブの打点高い。そこから放たれるボールのスピードは早く、センターライン上に突き刺さる。太田檸檬は動けずそのままサービスエース。やはりファーストサーブが入るとその後の展開を支配できる。このゲームは高崎緋彩がサーブで圧倒して、ゲームカウントは1−1となった。

 サービスチェンジで再びサービスは太田檸檬へ。ここまでの展開から考えると、サービス側が優位に進むと思われたが、さすがは高崎緋彩。レシーブを調整し、ラリー展開からポイントをとる流れが多くなった。ラリーが長くなると、優勢なのは後衛の高崎緋彩だった。しかし、太田檸檬も負けじと、好きあらばコースを狙って、甘い球が上がってきたところへ前へ詰めて叩く。前衛としての戦法も織り交ぜて試合を進めていく。

 インハイ出場枠を競い合ってきただけあって、前衛だから、後衛だからという素人考えではなく、二人ともオールラウンダーとして戦術を練っているのがわかる。これがトップクラスの戦いかと関心する。

 その後は両者譲らずの試合展開となり、ゲームカウント3−3のファイナルゲームへと突入した。ファイナルは7ポイントマッチ、サーブは2ポイントごとに交換となる。最終ゲーム前に互いにベンチへと戻り、水分補給をして体制を整える。

 二人ともさっきまでいがみ合っていたコート外の様子とは180度異なり、完全に集中し、自分達だけの世界に入っている。言葉ではなく、ボールを通じた無言の応酬に神経を集中させているのだ。

 見ている側として手に汗握る展開なのだが、このゲームで高崎緋彩の協力が得られるか否かが決まると思うと気が気でない。

 ファイナルゲームは太田檸檬のサービスから始まった。ボールを地面へラケットで弾く音がコートをこだまする。これまでと入り方が異なる。すると膝を軽く曲げ、ラケット短めに持ち、面を上に向けて構えた。まさか、ここにきてスライスサーブ。それに高崎緋彩も気づき、バックラインで構えていたところをサービスラインまで寄って、腰を低くしてレシーブ体制に入る。

 ファーストでのスライスサーブは強力な横回転をかけるため、技術が必要だ。ここでそれを出すということは、太田檸檬の引き出しのうちの一つだったのだろう。

 太田檸檬のラケットから放たれたゴムボールは鈍い音を短く立てながら、ネットを超えた。それと同時に、太田檸檬もサービスラインまで前進する。地面へと落ちたボールは、強力な横回転により、ほぼ地面から離れずに高崎緋彩から見て左側へバウンドする。低い体制のまま、うまくボールを掬い上げたが、高さが出てしまった。そこへ前進していた太田檸檬がさらに一気に前へ詰め、ボールを叩いた。ファイナルゲーム先制は太田檸檬だ。

 1ゲーム目とは異なり、太田檸檬はすぐに逆サイドに移動し、呼吸を整える。一方高崎緋彩は少し表情を曇らせ、逆サイドにゆっくり歩く。太田檸檬は先ほどと同様にスライスサーブで攻めるようだ。ここを対応できなければ、高崎緋彩は2点失うことになる。ファイナルゲームにおいて連続しての失点はメンタル的にもきつい。おそらくそれは本人もよくわかっているはず。

 同じように太田檸檬から放たれたボールはネットを超えた。しかし、サービスラインも超えて、結果はフォールト。高崎緋彩は大きく息を吐き出し、ポジションを少し後ろにとってセカンドサービスに備えた。2ポイント目はレシーブエースで高崎緋彩が取り返した。その後はまた一進一退の攻防が続き、6−6のデュースへともつれ込む。

 まさに熱戦。インハイ出場を勝ち取った太田檸檬が若干優勢と思われたが、実際の実力は均衡している。どっちが勝ってもおかしくはない状況だ。

 太田檸檬は最初の2ポイントでしかスライスサービスを見せていない。さぁ、ここはどう攻めるのか、太田檸檬の決断がこの勝敗の行方を左右する。

 選択したのは、スライスサーブだ。勝負にでた。ファーストサービスは見事にサービスライン内に落ちた。高崎緋彩は1ポイント目とは異なり、ボールが浮かないように対処した。しかし、コースが甘く、前へ詰めていた太田檸檬に難なく返球され失点してしまった。よし!、と今度は声に出して拳を握る。

 これでアドバンテージサーバーとなり、マッチポイント。太田檸檬は再びスライスサービスの構えをとる。今回もサービスライン内におさめることに成功した。高崎緋彩は、あの低い打球を中ロブで返球した。かなり難易度が高い。浅ければ、スマッシュで確実にポイントを失い、深ければエンドラインを超える。太田檸檬も予想していなかったのか、少し焦り気味にエンドラインへ下がり、打球の行方を追う。ボールはエンドライン上に落ちた。太田檸檬は体を反転させて対処したものの、十分な体制ではなかったため、浅いロブが上がってしまった。そこを高崎緋彩がスマッシュで叩き、1点取り返し、よっしゃぁ!と大きくガッツポーズを取った。

 鼓動が早まるのを感じる。正直もうどちらが勝ってもいい。それくらい俺はいいものを見させてもらっている。

 再度デュースとなり高崎緋彩のサーブに。強烈なファーストは太田檸檬のバックハンド側へ差し込み、詰まりながらの返球となった。甘い球を高崎緋彩も見逃さず、高い打点でボールを打ち込む。しかし、コースを狙いすぎたのかサイドアウト。再び太田檸檬のリードとなる。太田檸檬は無言のままだ。喜んでいられない精神状態なのだろう。一球一球のプレッシャーは恐ろしいものだ。どちらかがミスをした瞬間、それが致命的になる。

 高崎緋彩もそれはわかっているはず。チャンスボールを逃したのだから、今の失点は、メンタル的にもきつい。それでも表情は変えずに逆サイドへポジションを取る。しかし、すぐには打つ体勢に入らず、間を長くとっている。通常であれば、試合を円滑に進めるため注意を入れてもおかしくはないのだが、これは大会ではない。

 高崎緋彩と太田檸檬二人の真剣勝負。そして審判はこの俺。誰もこの間を邪魔したりしない。二人の息を切らす呼吸音が聞こえる。試合が始まってから1時間を経とうとしている。精神的にはもちろん体力的にも消耗が激しいはず。他のコートには誰もいない。このコートに俺たち3人がいるだけ。僅かな静寂も、時が止まったように長く感じる。

 しかし時間は有限、高崎緋彩はついにサーブを打つ体勢に入る。太田檸檬もそれに備えてグッと腰を下げる。わずか数秒後、高崎緋彩のファーストサービスは再び太田檸檬のバックハンド側に突き刺さる。今度はうまく返球し、ラリー戦へとつながる。どちらも慎重に試合を展開させる。ミスは許されない。体力的にもこれ以上長引かせるのは避けたいところだろう。どちらが先に勝負を仕掛けるのか。

 その時、高崎緋彩がドロップショットを仕掛けた。ボールはネットギリギリを超えて、サービスライン内に落ちる。太田檸檬はすかさず前へ詰めて、ボールを拾い上げる。しかし、返球するので精一杯の体勢であったため、ボールは無惨にもぽーんと跳ね上がっただけ。そこに高崎緋彩が詰めて、トップ打ちで打ち込む。再び振り出しに戻ると思われたが、ボールは無惨にもネットへ吸い込まれてしまった。

 コートには二人の荒い息遣いだけが空気を伝う。太田檸檬はその場にへたり込んで、大きく肩で息をする。高崎緋彩はその場に立ち尽くし、汗を滝のように流しながら、空を見上げて大きく深呼吸をする。

 俺もただ呆然と観客の如く、その場を眺めているだけだったが、審判であることを思い出し、試合終了の合図を告げる。


 「げ、ゲームセット!」


 

 

  

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