██████のために①
私の話。
父親が、そうだった。
上の肩書を持つのだろうね。名字がそのまま組名だった。家族に影響が及ばないよう籍だけ抜き内縁状態、というパターンもあるようだけど——父親と母親はその選択肢を選ばなかったらしい。別居のような生活ではあるんだけど。
兄姉が三人、ついでに私が女だというのも幸いしたのか、家督だとか事業だとかの面倒事が回ってくることはなく、ただ錆崎という名字だけが私にあった。
大人は数十人に一人が私の名字を聞けば、親の職業へと考えが至る。子供なら百人に一人くらい。公立小学校では総数が多すぎた。だから噂が回るのも早かった。他の小学校と統合される公立中学校では、今度は分母が多くなるだろう。
だから私立を選んだ。学区の公立校より多少なりとも生徒数の少ないところを探し、中等部高等部合わせてもそれを下回るここを受験した。
てっきり書類審査ないしは面接で落とされるものだと思っていた。本来面接で見られる要素である敬語やマナーは……ほら、この通り不自由ないんだけど。よく年齢にそぐわない話しぶりだって言われるからね。
だけどもしかし、私は今この学校の生徒となっている。へんてこな組み合わせのセーラーワンピースの制服に身を通している。
きっと、父親が何かしら手を回したのだろう。それができるだけの財力も、人脈も、ないことは……ない。父親はあまり帰らないから問いただす機会も滅多にない。
なにより——感謝こそしないにすれ——実は私は過ぎたことはどうでもいいとさえ思っているんだ。
今もこうしてのうのうと学校に通っている。本当に悪に屈しないのなら、蹴って公立校へ行けばよかったんだ。そこだって受け入れてくれるかどうかは知ったことではないけれど。
どんなに品行方正に振る舞ったところで、所詮私という人間の本質は、どこまでも変わらないのかもしれないね。
「変わろうって
ただ話を聞いていたこてつが口を挟む。
ちょっとお行儀悪く、プラスチックフォークでこちらを指さした。
「結果論だけで終わらせちまうのは早えーって。受験勉強とはちげーんだからさ」
小学校とは違い給食がないため、生徒は各自持ち寄った弁当だったり購買で売られている軽食だったりを用意して食べることになっている。教室中は談笑する声が絶え間なく続いており、止むことはない。
いつものようにランチクロスを広げて弁当を食べる彼女に自分の机の大半を明け渡し、私は二つ目の菓子パンを開封する。わざとらしい小麦の香りが鼻腔に届いた。
あれから三週間が経過した。
同じことの繰り返しである日々でも、不確定要素が一つ加算されるだけで体感速度は急速化した。とは言ったって休み時間に私の席で会話を繰り返す以外に特別なことはしていないし、人気者の彼女は数日に一度他の友人におよばれするため毎日ともいかない。
それでも。
イベントなどなくても、今日までの生活は新鮮で、そう——とにかく新鮮だった。
新しい友人同士のコミュニケーションを『地雷原を探り探り進むよ—なもん』だと評したのも納得せざるを得ない。もっとも彼女は踏んだところで爆発などまるでしないだろうけれど。チュートリアルに向いている。
最初の一週目は好き嫌い、二週目は趣味の話に興じつつも、こと三週目で会話パターンが尽きかけ始まったのが身の上話だった。
趣味の話を広げればよかった?しかしね、クラシック鑑賞とスポーツ観戦ではどうにもベン図が触れ合わないわけだよ。
曰く、彼女の人生は幸運だった。
見た目で偏見の目に苛まれることはありつつも、周囲には優しい人間が溢れていて、それこそ仲間はずれにされるようなことはなかった。
中学は一度地元の公立校へ行ったものの、総数の多さゆえにたじろいでしまう。両親も気を遣って、生徒数の少ない私立校に転校させてくれた。
「これ以上ないくらい恵まれた環境だったよ」と、聖人じみた締め言葉で終わる。嫌味すら感じさせないのは美点だと思った。
で、私のターンが来たから話しているわけだ。強制されたわけでもないけれど、身の上話は断らない。誰かに聞かれる機会こそなかっただけで。
「ほら、人間が本当に変われないのなら刑務所は更生施設でなくなるし、教会は懺悔の場じゃなくなるだろ。前例がないなら施設なんて作られない」
やけに哲学的な話へシフトチェンジしつつもオムライスの皮を剥き、はむとかじっている。毎日六時に起きて弁当を手作りしているらしい。
そんな道徳教育の擬人化は、
「変われるよ。変わろうとしてんなら」
簡単に言ってくれるね。
「でもさ、ひととせって自分が思ってるほど邪悪ってキャラじゃないぞ?」
「そうなの?」
「そうだろ。遅刻しないし、飯残さないし、廊下走らないし」
「教室の無断使用はしてるけど」
「あぁ……それは、うん」
まあ迷惑かけてるわけじゃないしさ、と苦笑いされた。
こてつのターニングポイントはどうやら『誰かが損害を被らないこと』のようで、だから規律一辺倒というわけでもなく、存外見逃してくれる。
「つーか、ひととせが入学どーこーしたこっちゃねーんだろ。入ったなら楽しむしかないっしょ。文化祭もそれなりの規模みたいだし、再来年の修学旅行は沖縄だってさ!海水浴タイムねーかなー」
「……祭事も遠出も得意じゃなくて。楽しみ方がうまく掴めない」
つくづく自分が酷くつまらない人間に思えてならない。
内情を知ってか知らずか——多分知っているんだろうが、こてつは
「あたしさ、高等部になったら髪染めようと思ってんだ」
視線が外されるのに追随して白い髪がなびく。
彼女がショートヘアであることの説明がついた気がした。
「派手な色はさすがにもういいかな。黒とか、ブラウンもいいよな。なぁひととせ。あたしにはどんな色が似合う?」
センスはきみのほうが良いだろうに、私に振る意図が分からない。
しかしチャンスでもあった。邪な考えに至れば、いち人間、しかも美少女の見た目に干渉する機会だから。
きみは私のことを邪悪じゃないと言ったね。訂正の余地があるんじゃないかな。
「——ヘーゼル」
「へーぜる?」
きょとんとした顔のてっぺんに?マークが見える。
パーソナルカラーうんぬんの知識は持ち合わせていないので、これ以上論理的な返しが思いつかない。
「なんでもない。それよりね。案外、融通がきくかもしれないよ。今は離席中だけど、その……左の人が」
「
相変わらず空席の持ち主を正確に言い当てる。名簿を愛読書にでもしてるのか。
「そう、その人。どうやら水泳部らしくて、髪の色素が落ちやすいらしいのね。だから今度、茶髪を黒髪に染め直すらしい。先生の許可ももらえたらしいよ」
「すごいな。全部伝聞調だ」
ほっとけ。本人から直接聞いたわけがない。小耳に挟んだだけだ。耳はいいほうなんだよ、音楽をよく聴くから。
「とどのつまり何が言いたいかって言うとだ——諸事情なんかがあればそこそこ話が通じるみたいだよ、この学校。中等部でも希望はあるんじゃないかな」
私が『どーこー』したわけじゃないように、きみも自分のせいじゃないんだから。
希望と聞いたこてつはまさしく、希望を溶かした水彩絵の具がじわっと滲んだような笑みを浮かべた。教室にはこんなに人がいるのに私にだけ向けられたのは、まぁ、悪い気分じゃなかったよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます