第22話 幸せな時間

 翌日。ミモザはカフェ・フランジュにやって来た。カリーヌの幼馴染であるフレッドが働いている店だ。


 ギルバートの話を聞いたことで突破口が見えた。二人の思い出になぞらえた香りを調香すれば、フレッドにカリーヌの存在を思い出してもらえるかもしれない。


 香りのヒントをもらうためにも、フレッドから直接話を聞くことにした。ついでにカリーヌが絶賛していたパウンドケーキも食べようと目論んでいる。


 カフェ・フランジュには、エクレールも同行してくれた。共通の思い出をヒントに調香したいと話したら、「私も行くわ」と涼しげな顔で言われたからだ。一緒に来てくれるのなら心強い。


 カフェ・フランジュは、お洒落な店が立ち並ぶ一番街にある。緑色の屋根が目印のこじんまりとした店だ。入口のメニューボードには、流れるような字体で本日のおすすめが書かれていた。


「ここですね」

「ええ。入りましょう」


 丸いドアノブに手をかけて扉を押すと、カランコロンとベルが鳴る。


「いらっしゃいませ」


 白いエプロンをしたウェイトレスに笑顔で迎えられる。店の奥からは、ほのかに紅茶の香りが漂っていた。奥の席に案内されてから、ミモザはソワソワと店内を観察する。


「フレッドさん、いますかね?」

「どうかしら? とりあえず注文を済ませましょう」


 エクレールは片手を挙げてウェイトレスを呼ぶと、紅茶とプレーンのパウンドケーキを注文した。


 しばらくすると、注文した品が運ばれてくる。白磁のティーカップからは、ほわりと紅茶の香りが漂ってくる。綺麗にカットされたパウンドケーキが目の前に置かれると、ミモザは「わぁ」と歓声を上げた。


「いただきましょう」

「はいっ」


 パウンドケーキをフォークで切り分けて口に運ぶ。口の中に入れた瞬間、しっとりとした食感と優しい甘さが広がった。


「ん〜! 美味しいです!」


 カリーヌの言っていた通り、絶品だ。一口食べただけで幸せな気分になった。


 頬に手を添えながらニコニコとパウンドケーキを堪能していると、エクレールもフォークを手に取る。小さく切り分けてから口に運ぶと、無表情だった顔が僅かに緩んだ。


 パウンドケーキを口に運ぶたびに頬を緩ませているエクレールを見ていると、微笑ましくなる。美味しそうに食べる様子をこっそり観察しながら、ミモザもパウンドケーキを食べた。


 お皿が空になると、ミモザは声を潜めながらエクレールに尋ねる。


「どうしましょう? パウンドケーキは食べられましたが、肝心のフレッド様にはまだお会いできていません」


 パウンドケーキを食べながら店内の様子も観察していたが、フレッドと思われる人物がホールに現れることはなかった。焦りを浮かべるミモザに、エクレールが紅茶を一口飲んでから伝える。


「こちらから接触を試みるしかなさそうね」


 そう告げると、エクレールが片手を挙げてウェイトレスを呼び寄せる。


「よろしいですか?」

「はい、お伺いします」


 にこやかに要件を尋ねるウェイトレスに、エクレールは淡々と告げる。


「こちらのパウンドケーキがとても美味しかったので、作ってくださった方にお礼を言わせてもらえますか?」


「……確認いたします。少々お待ちください」


 ウェイトレスは戸惑いの色を浮かべながらも、キッチンに引っ込んでいった。しばらくすると白いエプロンを着た男性を連れて戻ってくる。


「こちらのパウンドケーキを焼いたフレッドです」

「初めまして、フレッドと申します」


 フレッドと名乗る男性は、白い帽子を取って織り目正しく挨拶する。帽子が外れたことで、ミルクティーベージュの髪が露わになった。カフェの穏やかな空間によく似合う、柔和で優しそうな好青年だった。


 直接会えるか心配していたが、無事に接触することができた。まずは第一段階クリアだ。フレッドがやって来ると、エクレールは落ち着いた声色で会話を始めた。


「実はこちらのお店はカリーヌ様よりご紹介いただきました。聞いていた通り、とても美味しかったです」


 カリーヌの名前を出すと、緊張気味だったフレッドの表情が和らいた。


「そうでしたか。お気に召していただいたようで何よりです」


 フレッドは嬉しそうににっこり微笑む。警戒心を解いたところで、エクレールは少しずつ話を広げていった。


「フレッド様のお話はカリーヌ様からよく聞いています。お二人は幼馴染でいらっしゃるんですよね?」


「そうですね。もともと家同士で繋がりがあったので、幼い頃から兄妹のように育ってきました」


 フレッドは笑顔を浮かべたまま二人の間柄を語る。その一方で、ミモザは兄妹という言葉に引っかかっていた。


(兄妹ってことは、恋愛対象として見ていないのかな?)


 気にはなるが、そんなことを直接聞けるはずがない。ひとまずは事の成り行きを見守ることにした。エクレールはテーブルの上で指を組みながら、探りを入れる。


「そういえば、カリーヌ様から伺いました。パティシエの修行をするため異国へ旅立つそうですね」


「そこまでご存知でしたか」


 フレッドは驚いたように目を瞠る。初対面の相手がそこまで知っていたのは意外だったのだろう。エクレールは構わず話を続ける。


「幼い頃から一緒に過ごして来たのでしたら、離れ離れになるのはさぞかし寂しいでしょうね」


「もちろんカリーヌと離れるのは寂しいですし、故郷を離れて異国で暮らすことには不安はあります。でも、それ以上に叶えたいことがあるので……」


 フレッドはどこか含みのある言い方をした後、「あっ!」と何かを思い出したかのように声をあげた。


「お二人はカリーヌのお知り合いなんですよね? もしよろしければ、ひとつお願いをしてもいいですか?」


「お願いですか?」


 まさかフレッドの方から何かを頼まれるとは思わなかった。エクレールと顔を見合わせていると、フレッドは頬を掻きながら恥ずかしそうに告げた。


「実は、王都を旅立つ前にカリーヌに新作パウンドケーキを食べてもらおうと思っているんです。その試食をしていただけませんか?」


 そういうお願いなら大歓迎だ。エクレールが返事をするよりも先に、ミモザはトンと胸を叩いて引き受けた。


「お任せください!」


 快く引き受けると、フレッドは安堵したように表情を緩める。


「ありがとうございます。準備をするので少々お待ちください」


~*・*~


 数分後。フレッドは、オレンジピールを混ぜ込んだパウンドケーキを持って戻って来た。勧められるがままに口に運ぶと、またしても笑顔が零れる。


「ん~! こっちも美味しいです! オレンジの爽やかな風味がしっとりとした生地とマッチしていますね」


 エクレールも頬を緩ませながら頷いた。


「オレンジピールの食感も心地いいですね。とても美味しいです。きっとカリーヌ様もお喜びになることでしょう」


 二人から感想を聞くと、フレッドは緊張から解き放たれたかのように大きく息を吐き出した。


「お二人からそう言っていただけると心強いです。これでカリーヌも機嫌を直してくれると良いのですが」


 機嫌を直すというのはどういう意味だ? ミモザはそれとなく探ってみた。


「カリーヌ様と喧嘩でもされているんですか?」


「いえ……そういうわけではないんですが、最近カリーヌがどうにも素っ気なくて。話しかけてもツンとした態度であしらわれてしまうんです」


 その言葉でミモザは困惑する。ギルドにやって来たカリーヌは、フレッドへの好きオーラが全開だった。それにもかかわらず、本人を前にすると素っ気ないというのはどうにも不可解だ。


「なるほどね」


 正面に座っていたエクレールが、納得したように頷く。ミモザには、何が「なるほど」なのか分からなかった。フレッドは、どこか切なげにパウンドケーキを見つめながら言葉を続ける。


「最後くらい笑ってお別れしたいんです。カリーヌに昔みたいに笑ってもらえたら、異国でも頑張れると思うので」


 その言葉からは、カリーヌへの愛情が伝わって来た。それが、恋心からくるものなのか、友愛からくるものなのかは判断が付かない。すると、エクレールが澄ました顔で呟いた。


「好きなんですね」


 フレッドは意表を突かれたかのように目を見開く。何がとは言わなかったものの、意図は伝わった。フレッドは、恥ずかしそうに口元に指先を添える。


「内緒ですよ」


 なんてことない。二人は両片想いだった。ミモザは力が抜けてしまった。フレッドは過去を懐かしむかのように目を細めて思い出を語る。


「幼い頃は、よくアスター家の屋敷にお邪魔していました。オレンジの木が植えられた庭でカリーヌと泥だらけになるまで遊んだ後、お母様がお手製ケーキを振舞ってくれるんです。陽のあたるガーデンテーブルに、焼きたてのケーキと紅茶を並べてお喋りしている時間は、僕にとってこの上ない幸せでした。美味しそうにお菓子を食べるカリーヌの笑顔も、可愛らしくて……」


 二人の幼少期を想像すると、微笑ましい。お菓子と紅茶の香りに包まれた、穏やかな時間が流れていたに違いない。


 フレッドは穏やかに微笑みながら夢を語る。


「美味しいお菓子の隣には、幸せがあります。僕はお菓子を通して、たくさんの人に幸せな時間を提供したい。そのためにも、今よりもっと腕を磨きたいんです」


 今より腕を磨いて、人々を幸せにしたい。その気持ちは、ミモザも共感できた。分野は違えど、目指している場所は同じだから。


「私もフレッド様の夢を応援しています」


 穏やかに微笑みながらエールを送ると、フレッドは目を細めて嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます」


~*・*~


 カフェ・フランジュを出た頃には、すっかり日が暮れていた。淡い街灯が並んだ一番街をエクレールと並んで歩く。


「お二人は両想いでしたね。きっと遠く離れても、お互いのことを大切に思い続けているはずです」


 たとえフレグランスがなくても、という言葉は飲み込んだ。それを口にしてしまったら、元も子もない。エクレールは前方に視線を向けたまま話す。


「想い合っていても、行動を起こさなければ先には進めない。これから作るフレグランスが、行動を起こすためのきっかけになればいいわね」


 その言葉で、改めて自らの役割を認識する。香りには人の心を動かす力がある。沈んだ心を癒して前向きにさせたり、一歩踏み出す勇気を与えてくれたり……。これから調香するフレグランスが、二人の恋心を動かすきっかけになるのなら、それは紛れもなく価値のあるものだ。


 フレッドの話を聞いて、二人が共有している記憶を知った。物語を形作るためのピースも掴みかけている。今度こそ、カリーヌに相応しい香りを調香できそうな気がした。


「明日、もう一度試作してみます」

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