未曾有の細断

そうざ

Unprecedented Shredding

 花曇りの空の下、猥雑な街が眠たそうに転がっている。正直さ、狡猾さ、ほがらかさ、嫌らしさ、華々しさ、禍々しさ――最上階からの景色にすっかり慣れた僕が居る。

 一頻ひとしきりぼうっとし終えた僕は、顎にずらしていたマスクを口に戻した。

 この特例有限会社は社長以下、数人の社員だけで回しているらしい。それ以外の事は知らないし、知っても仕方がない。通勤距離も稼働時間も給金も全て許容範囲、エアコンの効いたオフィスで決まり切った事務作業をこなすだけ。小遣い稼ぎに持って来いのアルバイトだと思っただけだ。

 という事で、僕は朝から晩まで紙を細断して過ごしている。


 ……モシャモシャモシャ……


 紙を何枚か重ねて機械に投入し、それが細断されたら次の紙を投じる。機械の内部が紙片で一杯になったら、ごみ袋を取り替える。この時に粉塵が舞うので、マスクは必需品なのだ。

 世の中には、こんな誰にでも出来そうな面白味のない作業は閑職の役目、何ならパワハラの典型と感じる人も居るらしい。けれど、出世欲も向上心もない僕としては、時給が同じならば、味も素っ気もない退屈な作業の方が好きだ、大歓迎だ。

「よいしょっと。これも宜しくぅ」

 社員が新たなダンボール箱を僕の前に置いて行く。また蓋が閉まらないくらいに書類が詰められている。

 部屋の隅では、大きな印刷機が新しい書類を次々に吐き出している。

 生み出す機械VS始末する機械。

 これで一枚一円とか、百枚を超えたら百円増しとかだったら、もっと最高なのにと思う。


 ……モシャモシャモシャ……


 ごみ袋に囲まれながら思わず室内を見渡す。

 そう広くないオフィスの四面にダンボール箱がうずたかく積まれている。どの山も天井に届きそうだ。崩落恐怖症の人が見たら、さぞかし落ち着かないだろう。

 下の方は箱が歪み、中身がはみ出ている。いつから置かれているのか、すっかり黄ばんでいる書類もある。

 古い物から始末して行くのが順当な考え方だとは思う。けれど、僕が崩落恐怖症でなくても、達磨落としの才能でもなければ至難のわざ過ぎる。だから、今日も偶々目に付いた書類を優先して細断の刑に処すのだ。

 

 ……モシャモシャモシャ……


「それはどれくらいの規模ですか? はぁ……関東全域ですか」

 社長以下、総出で電話対応に追われている。蚊帳の外の僕には、鳴り止まない着信音が子守歌のように聴こえるだけだ。

 僕は機械の一部であり、機械は僕の一部、僕が機械で機械が僕で、持ちつ持たれつ仲良し小好し、せっせせぇのよいよいよい、おちゃらかおちゃらかおちゃらかほい、可愛い可愛い細断ちゃんよ、こっちのかぁみしぃろいぞ、あっちのかぁみあぁついぞ。

 節穴同然の視覚が無意識に紙面の文字列を追ってしまう。たとえ単なる染みであろうともそこに何かしらの意味を見出そうとしてしまうのは、知性を有する人間の悲しいさがと言うべきか。

 氏名、性別、年齢、住所、職歴、病歴、犯罪歴、家族構成、交友関係、資産状況、その他諸々、微に入り細を穿うがつ様々な個人情報が虫歯一つない金属の口の中へと消えて行く。


 ……モシャモシャモシャ……


 いつの間にか電話が鳴り止み、社員に囲まれた社長が小声で何かを説明している。バイト風情の僕には聞かれたくない事柄らしい。だったら聞き耳を立ててやろう。

「という事だから、新規の受け付けは一旦停止する」

「既に受注した分は?」

「刷り出したらで処分だ。溜まってる奴も全部」

「納品は五月雨さみだれ式になりますね」

「仕方ない、何せ規模が大きいからな。未曾有みぞうって奴だ」

 その時、不意に眩暈を感じた。

 室内がゆっくり動いている気がする。

 窓の外に目をやると、遠い空に鳥影が群れを成して行くのが見えた。けたたましい鳴き声がここまで聞こえて来そうだった。周辺の高層建築が左右に揺れているようだった。

 そこで、はたと気付いた。真っ先に見るべきはダンボール箱の山だ。

 崩落恐怖症が覚醒した。


 ……モシャモシャモシャ……


 夜が包み込む街の彼方此方あちこちから黒煙が上がり、火の手が闇に輝いている。多くの構造物が影も形もなくなっている。

 最上階からの見慣れた景色は一変してしまった。猥雑な街は眠るに眠れなくなってしまった。

「纏めて処分する事になってねぇ。今日、残業出来る?」

 社長直々の声掛けに、僕は黙って首を縦に振る。

「誰もやりたがらないのでね、本当に助かるよ」

 僕は今、名簿の海を漂っている。古い物も新しい物も一面に散乱し、すっかりごちゃ混ぜだ。

 でも、問題はない。全て要らなくなったのだ。

 刻み刻んで微塵みじん極微ごくみ阿頼邪あらや阿摩羅あまら涅槃寂静ねはんじゃくじょう、尽きた寿命は紙片のあくた、今宵の疾風はやてに撒きましょか、下界の劫火ごうかべましょか、とまれかくまれ出来高制――。

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