confluence 合流

1

 〜〜〜


 突然、瞼を閉じているはずなのに、目の前が真っ白に染まった。あまりの眩しさに、思わず唸らずにはいられなかった。その自らの唸り声で歩希は目が覚めた。


「う……うぅん……」


 なんとなく居心地の悪い体勢を整えながら、重い瞼を開いてみる。すると、再び目の前が突然真っ白になったかと思うと、直ぐにその眩さは消えた。どうやら、対向車のヘッドライトの光が原因だったようだ。

 歩希は外の景色を見渡してみる。日はその姿を隠しており、遠くの方で黒と黄の絶妙で綺麗なコントラストを作っていた。近くの建物なんかは、その姿を認識させる色彩を失っていた。


「お目覚めの様だね」


 隣に座っていた誠が優しく語り掛けてくる。その手にはハンドルが握られており、そこで歩希は思い出した。ここは誠の車の中であると。

 歩希はもう一度、しっかりと体勢を整えてから一つ深呼吸をした。


「すみません、いつの間にか寝てしまって」

「いや、良いんだ。君達は先の大学で死戦を潜り抜けたんだから。ほら、君の友人もこの通りだよ」


 誠がそう言うと、左手の親指を立てながら後部座席を指した。

 そこにはいつもとは違う、静かな寝息を立てている在影が居た。どうやら歩希と同じく、大分疲れていたのだろう。頭を項垂うなだれながら寝ていた。

 その姿に歩希は心底安心し、少しばかりの笑みを浮かべた。そして、前方に向き直った。


「天笠さん、どれくらい寝てましたか?」


 歩希が何の気なしに訊いてみる。すると、誠は少し上を向きながらCESPDを立ち上げて時間を確認した。


「そうだねぇ、大体四時間と言った所じゃないかな」

「四時間、ですか…」


 結構な時間寝ていた事に、思わず驚きを隠せない歩希。そんな歩希は誠に顔を見られまいと、スッと車窓の外を覗いた。

 どうやら車は高速を走っている模様である。辺りは大きいビル群が建ち並び、至る場所で煌々と光が差していた。空には数多くの空中電光掲示板が飛び回っており、有名ブランドの広告や新作CDの売れ行きランキング紹介、更にはホストの紹介PVを流しながら飛んでいた。これから夜に差し掛かろうというのに、全く眠る気配の無い街である。

 歩希がボソッと呟いた。


「もしかして都心ですか?」

「あぁ、その通りだ」


 その呟きに誠がゆったりと応えた。その顔はどうしてか、少し困った表情をしていた。


「本当はもっと早く着く予定だったんだがね、さっきボスから連絡が入ったんだよ。遠回りしてから帰って来い、と。何の意図があるのかは俺には全く分からないけど」

「そう、だったんですね」

「まぁでも、あと少しで着くから安心しなさい。何ならもう少しだけ寝てると良い」

「……」


 それだけ言い終えると、その後、誠から話される事は一度も無かった。歩希もそれ以上話す事は無かったし、何より喋る気力も無かった。今はとにかく身体を休めたい、この現実から少しでも離れたい……その一心であった。

 歩希は誠の言葉に甘えて目を瞑ってみた。すると、驚く程にスーッと意識が飛んで行った。


 〜


 再び歩希の意識が戻ると、そこはさっきまで明るかった街並みは一切無かった。車はビルとビルの間にある狭い路地裏へと進んで行く。光が殆ど差し込まない最奥まで進むと、そこには車が四台だけ停まれる駐車スペースがあった。慣れた手つきで、誠がその一つの駐車場に車を停める。


「よし、着いたぞ。ささ、降りた降りた」


 少し焦った口調で誠が催促した。

 最初に降りたのは歩希であった。地面に降り立った時、タタッという軽快な足音が何重にも反響した。まるで鳴き龍のように、何とも不思議な空間であった。

 後部座席の扉を開き、既に起きている在影をゆっくりと降ろしてあげる。なるべく在影の太腿に痛みが走らないように慎重に降ろす。


「ゆっくり、ゆっくりで大丈夫だからな、在影」

「あぁ、分かってるって。そんなに言わなくたって良い──」


 どうした事か、在影が突然歩希の方に倒れ掛かって来たのだ。それはまるで、急に電池が切れてしまった玩具のような。

 何とかしなければと思った歩希は、咄嗟に在影の身体を抱き締めながら、背中から地面に激突した。ドシャッという鈍い音が、ビルの間を何度も反響する。


「おいおい、大丈夫か!?」


 あまりの衝撃的な音に、誠は歩希達の方へと駆け寄って来た。その顔は焦っており、少々汗が滴っていた。


「は、はい。ちょっと足を滑らせただけですので、お構いなく」


 歩希は嘘を吐いた。しかし、それは誠を心配させたくないという優しさからである。

 歩希は立ち上がり、直ぐに在影を起こした。


「大丈夫か、在影」

「お、おう。ちょっとクラっとしただけだ。すまないな」

「それなら良かったよ」


 在影が頭を少し押さえながらも、怪我は太腿以外には特に無かった。歩希は胸を撫で下ろした。


「それじゃあ、早く行こうか。俺も一緒に手伝うから。さ、手を貸してくれ」


 されるがままに在影の身体をヒョイっと立たせ、誠はすかさず肩を貸してあげた。歩希もそれに倣って反対側から肩を貸した。


「二人共、ありがとう」

「良いって事よ。さて、向こうに入り口があるのが分かるかい?あそこまで行くぞ」


 誠が前方に向けて指を指す。あるビルの一角に、小さな透明なドアが備え付けられていた。ここの事を言っているのであろう。

 歩希達はゆっくりと、しかしなるべく早く歩いた。

 その時、歩希だけがある異変に気が付いた。ビルとビルの間に位置する、この場所で起きていないとおかしい現象。

 風が吹いていないのだ。

 言うか言わないか迷っていたが、言った所で何にもメリットにならないと考え、そのまま黙っている事にした。……これが、嵐の前の静けさでない事を祈りながら。


 中へ入るとそこは少し変わった空間があった。天井には蛍光灯が等間隔に設置されており、奥にはエレベーターが備え付けられていた。しかし、それ以外には何も無いのだ。観葉植物の様な物(オブジェ)も無ければ、何処かに繋がる扉、トイレなんかも一つも無いのだ。


「おっと、そうだ。あのエレベーター、結構古い奴だから早めに押しとかないと。ちょっとごめんな」


 それだけ言い残して、誠は在影が離れて一足先にエレベーターまで歩き出した。その隙に、在影が歩希に耳打ちした。


「なぁ、ここ本当に大丈夫なのか?」

「そ、そんなこと言われても困るよ。僕だってここに来るの初めてなんだからさ」


 互いに良い知れぬ不安は募る一方であった。正体の掴めない影にずっと付き纏われている、そんな感覚。しかし、互いにこうも思っていた。

 もう後戻りは出来ない、今の自分には進むしか選択肢がないのだ、と。

 だからこそ、二人は何も言わずに誠の元へ、一歩ずつ進み始めた。


 エレベーターの前で三十秒程経った頃、フォンというくぐもっていながらも甲高い音が鳴り響いた。そして、目の前の扉が徐に開いた。

 誠が先に入るよう手で催促する。それに歩希が会釈し、在影と一緒に最初にエレベーター内へ入る。そして、誠も入って扉を閉めるボタンを押す。

 扉はさっきと同じ速さでゆっくりと閉まる。閉まり切った後、誠が漸く1から9まである数字の書かれたボタンを押す。


 1……1……2……3……5……8……1……3……2……1


 ガタンッという大きな音を立てて、急にエレベーターが動き始めた。浮遊感が歩希達を襲う。しかし、その浮遊感は確実におかしかった。

 このエレベーターは"上"ではなく、"下"に向かっているのだ。

 どうしてなのかと誠に問い正そうとしたが、よくよく考えてみれば不思議な事ではなかった。何せ歩希達がこれから行く場所は、本来一般人に知られてはならない、極秘でなければならない場所なのだ。高く高く聳え立つビルの中にあるエレベーターだからと言って、上へ行くとは限らない。普通の人間なら欺ける、よく出来たシステムである。


 暫く三人は無言であり、エレベーターの駆動音だけが鳴り渡っていた。気まずい、とてつもなく気まずい雰囲気であった。どうにかこの空気を変えようと歩希は思案した。すると、ある一つの事に目が行った。

 さっき誠が押したボタンである。

 歩希はさっき誠が押したボタンを思い出してみた。

『1.1.2.3.5.8.1.3.2.1』

 これらに何かしらの法則がないかと、少し考えてみた。すると、直ぐにその法則が解けた。


「天笠さん、さっき押してたボタンなんですが」

「ん?あぁ、これかい?それがどうかしたかい?」

「……"フィボナッチ数列"ですよね?」


 誠が大きな驚きを見せた。目を大きく開き、口を半開きにさせていた。

 しかし、一人だけ何が何だか分からない、と言った表情をしている人物が居た。


「歩希、なんだそのフィボ……何とかっていう法則?」

「フィボナッチ数列ね、数列」


 一度、歩希が訂正し、それから軽く咳払いをしてから説明をした。


「昔、フィボナッチというイタリア人が名付けた数列で、前の二項を次々に足していく数列の事を言うんだ。最初は0、次は1。そして、その二つを足して1。更にその次は前二つの項を足して2。それをずっと繰り返し続けるんだ」

「なるほどなぁ、法則さえ理解すれば小学生でも解ける数列だな」


 感嘆を上げながら、フムフムと頭を縦に振る在影。余程、感心している様に見えた。しかし、感心していたのは在影だけではなかった。誠もその一人であった。


「よく知ってるねぇ。感服したよ、望月君」

「い、いえ、まだ僕が小さい時、この数列が使われていた本を読んだ事があるんです。ただそれだけの事ですよ」

「いやいや、それでも大したもんだよ」


 はっはっは、と大口で誠が笑っていると、急にガコンッと不安になる音を立てながらエレベーターが止まった。そしてフォンという音と共に、ゆっくりと扉が開かれた。開かれた先を見て、歩希と在影は尻込みした。

 当然だ。その先に続く道は、なんと洞窟だったのだ。デコボコしていて歩きにくそうな岩肌、不等間隔に吊り下げられている頼りない電球、人の気配を一切感じさせない無音。不安にならない訳がない。

 そんな二人には気にも止めず、一人誠が洞窟の奥へと進み始める。


「……歩希、逃げるなら今しかないぜ」


 エレベーターのボタンを見ながら、在影が一つ提案する。その声は怖気付いているのか、いつもの在影らしからぬ覇気が全く感じられなかった。

 前までの歩希であれば在影と同じく恐怖に慄き、一秒でも早くこの場から逃げ出したいと思った事だろう。


「いや、進もう。なんとなく……なんとなくだけど、行かないといけない気がするんだ」


 しかし、今の歩希は違った。妙な事に恐怖をあまり感じていなかったのだ。大学での出来事がそうさせたのか、将又、在影や誠が一緒に居てくれるからなのか。何が起因しているのか自身でも分からなかったが、歩希は前に一歩踏み出そうとしていた。

 その姿を横目で見ていた在影は、大きな溜め息を吐いてから破顔した。


「はぁ、お前ならそう言うと思ったよ。分かった、俺もここまで来ちまったんだ。最後までお前に付いて行くさ」

「在影……ありがとう。君が一緒に居てくれると心強いよ」


 二人は互いの顔を見合ってから、クスクスと笑い合った。そして、同時に前にある道を見て、洞窟へと一歩前進した。


 洞窟内は予想通りと言うか当たり前と言うべきか、とにかく歩き難かった。ただでさえ足元が暗い中、足を踏み外しそうになったり、予期しない所で段差に躓いたりしてしまった。それでもめげずに歩希と在影は歩き続けた。

 漸く誠が立っている場所まで辿り着いた二人は、既に息が上がる程に疲労していた。そんな二人を見て、誠が嬉しそうに口を開いた。


「二人共、よくここまで頑張ったな。ここがゴールだよ」

「…………なんだ、これ」


 歩希は顔を上げ、そして驚愕した。見上げたその視線の先には、成人男性5、6人以上の高さがある扉、いや壁があった。その表面には歪でありながら何処か惹き込まれる、とてもじゃないが理解出来ない紋様が刻まれていた。

 隣にいる在影も思わず「うわぁ…」と、言葉を洩らさずにはいられなかった。


「凄いだろ、これ」

「いや凄いというか何と言うか……圧倒されてます」


 壁面を何度か叩きながら、まるで自分が作ったかのように誠は鼻に掛けた。誠の顔には堪え切れない笑顔があった。

 しかし、そんな誠には目もくれず、歩希はもう一度しっかりと注視してみた。どうやら壁面は一つの岩から作られており、洞窟と一体化している訳ではなかった。しかし、それ以外は何も分からなかった。

 ここで一つの疑問点が浮かび上がった。それはアジトの出入り口が無い事である。完全な行き止まりであるのだ。


「天宮さん、その入り口が見つからないんですが……」


 歩希がボソボソと言うと、誠がニヤニヤし始めた。まるで悪巧みをする中学生の様な笑みである。


「まあまあ、そう焦るなって。これからもっと凄い所を見せてあげるから。君達、危ないから少し下がっていなさい」

「わかりました」


 誠に言われた通り、歩希は在影と一緒に後ろへと後退して岩陰にスッと隠れた。

 一方、誠は壁面の方へと歩き出した。しかし、壁面の中央ではなく右の壁際へと向かったのだ。他の岩とは違う、少し出っ張った岩の手前に立ち、手を掛ける。そして、思いっきり下方向へと下げた。

 すると、急に轟音が鳴り響いた。ゴゴゴという音と共に、次第に洞窟全体が大きく揺れ動き出す。天井からはいつくもの小石が降り注いで来る。


「おいおいおい、大丈夫なのかよコレ!」


 在影が轟音に負けじと大声を出す。すると、誠がまたしても大口で笑っていた。


「はっはっは、大丈夫だとも!その証拠に前を見てみなさい!」


 正面を見た二人はあまりに異様な光景に、思わず同時に何も言えずに固まってしまった。

 壁面の中央にヒビが入り、そこから左右に壁が動いていたのだ。徐に動く壁面はまるで重機の様にも見えた。ガチャンという鉄のように重い音を最後に、壁面も洞窟も揺れ動くのを止めた。


「あ、あれは何だ?」

「あの赤いやつだよな?」


 歩希が正面を指差しながら話すと、在影もそれに釣られて一緒に見る。その指の先はさっきまで壁面があった、中央に位置する場所であった。そして、何故かそこだけ真紅に染まっていたのだ。

 歩希と在影は立ち上がり、暗い足元に気を付けながらその物体の前まで移動した。そして、それが何であるか一瞬で理解する。

 それは鋼鉄製の扉であった。


「さぁ、二人共。その扉を開けてごらん」


 いつの間にか二人の後ろに回り込んだ誠が、優しく語り掛けながら二人の肩にソッと手を置いた。その手は温かく、力強く、何処か安心する手であった。

 歩希と在影は意を決し、その紅くて重い扉を力一杯に押した。

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