第33話 年始、行方知れず②

 後からやって来た鹿野かの父娘と錆殻さびがら光臣みつおみは、カウンター席ではなくテーブル席に陣取ることになった。生気のないマスターに代わって、市岡いちおかヒサシが水を運び、注文を取った。


「ブレンド三つ!」

「俺はまだ決めてないぞ」

「面倒なのでブレンド三つ。更に俺が淹れます」

「味は大丈夫なのか!?」


 吠え合う光臣とヒサシを尻目に、


響野きょうのくんが……ほうかぁ……」

「お父さん、響野さんだけじゃないよ。風松かぜまつ家の関係者がそんな……木偶……!?」

「いやそっちはな素直。それほど驚くことじゃないんよ」


 レザージャケットのふところから煙草を取り出しながら、鹿野迷宮は細い目を更に細めて笑う。


「おれの想像じゃけどね。響野くんは今三ン蛇さんじゃはまにおるよ」

 あまりにもあっさりと、迷宮は言った。「三ン蛇さんじゃはま!?」と逢坂一威が声を上げる。


「なんだそれは……聞いたことねえぞ」

「前にリモートで通話した時にちぃとだけ言うた記憶がありますわ。風松神社の本社は日本海側にある、言うて──」

「それが三ン蛇さんじゃはま? 変な名前じゃね?」


 ヒサシからコーヒーカップを受け取りながら、鹿野素直が首を傾げる。鹿野迷宮は小さく頷き、


「地図とかには違う名前で載っとるけえ、まあ、通称みたいなもんじゃね」

「その……ン蛇んじゃはまには、いったい何があるっていうんだ」


 迷宮が丸テーブルの上に置いた煙草を勝手に抜き取りながら、光臣が尋ねる。


「別に何も」

「別に何も!?」

「強いて言うなら……これもまあ、言うた通りですわ。風松神社の本社がある」

「孫は、そこを訪ねて行った、と言うんですか?」


 逢坂おうさかの問いかけに「おそらく」と迷宮は平坦な声で応じる。


「響野くんは記者としても人間としても優秀です。おれが出したあれだけのヒントで、風松神社の本社がある場所を自力で突き止めて、訪ねた──」

「じゃけどお父さん」


 眉を下げて、素直が言い募る。


「今、行方不明に……響野さん、どこにおるんか誰にも分からんって……」

「ほじゃけえ、三ン蛇さんじゃはまにおるんよ」

「なんで断言できるんだ、さっきから」


 光臣の問いかけに、


「答えが全部出とるから」

「お父さん! 意味不明じゃ!」

「この場にいる全員に理解できるよう説明しろ」

「あ〜。素直はともかく錆殻さびがらさんにあーじゃこーじゃ言われる覚えはないんよぉ……錆殻さん、一応の振りするんがお仕事でしょうが。おれに説明されんでもある程度は、」

鹿野かのさん」


 迷宮の飄々とした物言いを遮ったのは、──逢坂おうさか一威かずいだった。


「申し訳ない。俺には何も分からない」

「……逢坂さん。響野さんは、お孫さん、でしたね」

「たったひとりの孫です。アレがいなくなってしまっては、私はこの先、生きている意味が」

「お気持ち、お察しいたします。おれも、それは同じです」


 素直の顔をちらりと見て応じた迷宮は、半分も吸っていない煙草を灰皿に押し込んで唸る。


「では、私の把握している範囲での謎解きを、行いましょう」

「すべては三ン蛇さんじゃはまの蛇伝説に帰結する」


『昔、むかし。

 波の荒い海のほど近くに______という名の村があった。

 季節を問わず海は荒れ、風が強く、村人が飢えて死ぬことも多かった。

 隣村までの道は厳しく、外部との交流もない。

 ある年、村に生まれたばかりの赤ん坊が立て続けに七人死んだ。

 村人たちは海に救いを求めた。

 荒れる海のせいで飢饉は起きるが、海からの幸で村は成り立っていたからだ。

 白い砂浜で頭を下げる村長をはじめとする村人たちの前に、三匹の蛇が現れた。

 蛇たちはそれぞれ美しい女に姿を変え、村を救ってやる代わりに社を作るように命じた。


 一日目。波が穏やかになり、村人たちは海に船を出すことができた。

 二日目。強い風によってへし折られていた稲穂が蘇った。

 三日目。病に苦しんでいた女たちが、寝床から出ることができた。

 四日目。巨大な岩によって封じられていた隣村までの道が拓かれ、食糧を手にした隣村の住民たちが助けにやってきた。

 五日目。赤子が生まれた。

 六日目。三匹の蛇のうち、ひとりが孕んだ。

 七日目。赤子が生まれた。


 村人たちは三匹の蛇を祀ったやしろを作り、足繁くそこに通った。

 三匹の蛇はここには書ききれないほどの奇跡を起こし、村は蘇った。

 村人たちは三匹の蛇のために祭りを行うことにした。


 一日目。波が穏やかな日に祭りは始まる。船の上から男たちが三匹の蛇への感謝を伝える。

 二日目。その年いちばん新しい米を炊き、社に供える。

 三日目。女たちがこしらえた新しい布団を、社に供える。

 四日目。隣村の者たちを招き、三匹の蛇のための宴を開く。

 五日目。男児を供える。

 六日目。三匹の蛇のうち、ひとりのために新郎を供える。

 七日目。女児を供える。


 いつの間にか名無しの浜は、三ン蛇さんじゃはまと呼ばれるようになり、今も三匹の蛇への感謝の祭りは続けられている。』


「気色悪ぃ伝承だな」


 錆殻光臣の雑な感想に、小燕こつばめ向葵あおいが首を縦に振る。


「伝承自体は存在しても構わない……が。なんなんだ? 後半の祭りっていうのは」

「それなんよね」


 持ち込んだタブレットをカウンター席組に手渡し、自身は三ン蛇さんじゃはまの伝承を誦じてみせながら迷宮は言った。


「響野くんがあの浜を訪ねたなら間違いなくこの伝承にも接触しとると思うんじゃけど……海からやって来た蛇。奇跡を起こす蛇。その蛇を祀る浜」


 けどねぇ。新しい煙草に火を点けた迷宮は席を立ち、その場にいる全員に声が届くように語り続ける。


「ほんまに神さんじゃったんかねぇ?」

「は?」


 声を返すのは錆殻光臣だ。カウンター席のいちばん奥まった場所にいる市岡稟市は無言で迷宮を見据え、ヒサシは小燕、諏訪部とともに伝承として伝えられている文章が映し出されるタブレットを覗き込んでいる。


「ずっと言うとるじゃろ。マッチとポンプ」

「あ〜」


 ヒサシが顔を上げる。


「風松神社の話すね! 人形遣いと人形供養のマッチとポンプ……あらら?」

「ヒサシくんはさすがじゃねえ。ほうなんよ。呪って祝う、或いは祝って呪う風松神社の本拠地がある場所じゃけえ……三ン蛇さんじゃはま自体がマッチポンプ伝承を抱えた場所じゃったとしても、何の違和感もない。そうは思わん?」

「待てよ」


 コーヒーを飲み干した光臣が、無精髭の浮いた顎に手を当てて唸る。


「風松神社もその本社がある三ン蛇さんじゃはまに伝わる伝承も自分たちの利益を集めるためだけのマッチポンプ……イカサマを行っているとすると」

「うんうん。ええ線行っとるよ錆殻さん」

「褒められても嬉しくねえな。だったら──響野憲造はどうして三ン蛇さんじゃはまから戻ってこない? あいつは三ン蛇さんじゃはまで何に遭遇したんだ?」


「ほ・ん・も・の」


三ン蛇さんじゃはまに伝わる伝承も、それを祖とする風松神社も全部イカサマじゃったとして……木を隠すにはどこがええかな? 素直?」

「も、森?」

「そう。イカサマがイカサマであることを隠すには、大嘘の中にほんのちょいとだけ本物を混ぜてやりゃぁええんよ」

「迷宮さん」


 逢坂一威が、問うた。


「俺にはあんたが言っていることの半分も分からない。……孫は今、生きているんですか、死んでいるんですか。どっちなんですか」


 迷宮は短い沈黙ののち、答えた。


「どっちでもない。今は、そうとしか」

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