第11話 新宿、純喫茶カズイ④
放逐。
何の前触れもなく投げかけられた言葉に、響野は一瞬絶句する。
「まあ、要は追い出されたっちゅうことですよね」
と溜め息混じりに言った。
放逐。追放。追い出された。
転じて。
人形供養の風松神社。
そして人形遣いの風松楓子。
半年前に起きた風松邸の火事は、一応は事故として処理されていた。その時期その地域で発生していた放火事件と繋げて報道していたのは一部のメディアだけで、それらの声もいつの間にか消えてなくなっていた。
事故ではなかったとしたら?
「響野さんが今何を考えているか、こっくりさんに聞かなくても分かりますよ」
「俺も〜」
鹿野、次いで
「風松楓子さんの家に、風松神社の関係者が火を放ったのでは──と考えていたでしょう?」
「そ、それは……」
図星だ。無精髭の浮き始めた顎をざらりと撫で、
「でも、放逐? されていたとしても、一応は身内でしょうに。そんな人間の家に、火を放ったりしますかねぇ……?」
鹿野に、というより、自分自身への問いかけに近い言葉だった。
自分だったら、どうするだろう。家を追い出した人間が、家に対して好ましくない行動を取っている。そう簡単に、始末しよう、という発想に至るだろうか。
分からない。
祖父である
だから風松神社の人間のことは、幾ら想像しても理解できない。
眉根を寄せて沈黙した響野の顔を見もせずに、
「綺麗ですねぇ」
と鹿野素直は言った。
「え? なに?」
「
「ああ……ええ? 鹿野ちゃんだって同じ『
「全然違いますよぉ」
まあ、私のハコちゃんは大変可愛らしいですけど、と鹿野は含み笑いを浮かべながら呟き、
「風松さんの『
「神様?」
鹿野は、褒めたつもりだったのだろう。だが響野にとっては、どこか禍々しくその音は響いた。
風松神社。神を祀る場所。人形供養を引き受ける空間。
その空間から追い出された女、風松楓子が愛した人形が、──神様みたい、だなんて。
「うううん」
「どしたの響野くん。お腹痛い?」
「お腹は別に……いやううん。鹿野ちゃん。気を悪くしないでほしいんすけど」
「はい? なんです?」
「俺にはね、夜明とハコちゃんの違いが良く分かんないんすよ」
正直に、言った。鹿野は殊更気分を害した様子もなく「そうですか、まあ、そんなもんですよねえ」と小さく笑う。
「響野さんの気持ちは、なんとなく分かります。私もハコちゃんに出会うまでは人形ってどれも同じ──特に『
「そんな鹿野ちゃんが、ハコちゃんの購入に踏み切った理由は?」
握った左手をマイクのように鹿野の前に突き出して、ヒサシが尋ねる。そうですねぇ、と鹿野はカウンターの上のハコちゃんをじっと見詰め、
「目。ですかね」
「目」
「ハコちゃん、グラスアイなんですよ。ガラスでできてる」
そういえば、その辺りの説明もPOP人形店の店長から聞いたような気がする。キャストドールのアイ──目玉には幾つかの種類があって、まず、ハコちゃんが使っているガラス製のグラスアイ。変色し難く、美しさを長く保つことができるが、その分少し値が張ることが多いのだとか。他には、レジンアイというものもあると聞いた。その名の通りレジン──樹脂で作られた品物で、ドールを好む者の中にはレジンアイを自作している人間も多いと聞いた。弱点は、経年によって変色しやすいところ。耐火金庫の向こう側にひっそりと隠れていた夜明の目玉はガラス製だったが、POP人形店で響野はレジン製の目玉を購入した。理由は簡単、綺麗だったからだ。ただそれだけ。
「中国から日本に送り出される時にお店の人がランダムにアイを付けてくれるらしくて……それで偶然、この黄色いグラスアイの『
「へえ〜」
「すごく似合ってるなって思って。だから、ウィッグやお洋服は変えてるけどアイはずーっとこのまんまです」
「なるほど……色んな楽しみ方がある……」
鹿野のハコちゃんへの拘りや愛着は、響野にも薄っすらとではあるが伝わった。だが、謎は解けない。風松楓子と、風松神社の関係、とは。
「そういえば響野さん」
「あっハイ」
「夜明さんの以前のアイは、どんなアイだったんですか?」
「えーっと……?」
夜明の以前の眼球は、ガラス玉だった。火事の中で良くこんなに綺麗に残ってくれましたね、とPOP人形店の店長が感心した口調で言っていたのを思い出す。響野には人形の目玉を外すことも付けることもできないから、眼球の入れ替えはPOP人形店の店長に丸投げしてしまった。
あの目玉は、今。
「この鞄の中に……」
新しく購入したレジンアイのケースとは別に、POP人形店の店長がグラスアイを保管するための小さな入れ物をオマケしてくれた。夜明を連れ回したり、自宅で寝かせておくために使っている鞄の内ポケットに──そういえば入れたままだ。
「どんな色だっけ? 見せて見せて」
「私も見たいです〜」
「え〜……」
ヒサシと鹿野の声に背中を押されるようにして、響野は鞄の中に手を突っ込む。小さなケースが、指先に触れる。取り出す。開ける。
「おお……こんな色だったっけ!」
「人形店の店長さんが綺麗に拭いてくれたんすよ」
「すごい、なんていうか、夜明けの色だ……!」
「たしかに、言われてみれば」
手の中に転がした一対の眼球。鹿野の言葉の通り、夜明けの──明るくなり始めた空と、それに太陽の淡い赤が混ざり合った、不思議な色をしている。
「このアイ、勿体無いですよ! 使いましょうよ」
「え〜。でも俺、今の藍色も好きだよ」
「まあ似合ってますけどぉ……ん?」
響野の手の中を、首を傾げた鹿野が覗き込む。
「なんか、書いてありませんか、これ」
「は?」
次はなんだ。何が起きるというのだ。
眉根を寄せた響野は、軽く手を揺すってグラスアイを裏返しにする。
『祝』
『禍』
目玉の裏側には、漢字が一文字ずつ、書き込まれていた。
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