第41話 夜明け

 遠くの方で鳥の囀りが聞こえる。それから朝の日差しが詩桜の視覚を刺激した。

 心地良い、誰かに髪を指で梳かれているようだ。


「起きたか」


「おは、よう……ぇ?」


 状況が把握できなくて、なんとも間抜けな声を出してしまった。目の前には自分を見下ろす灯真の顔。


「これは……膝枕?」


「そうだな」


 優しく頭を撫でられ、気持ちよくて詩桜は目を細めた。

 強烈な疲労感から、また意識を手放しそうになったのだけれど、そこでハッと我に返る。


「遥ちゃんは!?」


 起き上がり辺りを見渡すけれど、どこにも姿がない。


 ただ遥斗が倒れていた場所だけ草が枯れ果て、それが遥斗がここにいた証のように残されているのに詩桜は胸を締め付けられた。


「遥ちゃんが、いない」


 どうして、と混乱する詩桜を落ち着かせるように灯真は声を掛ける。


「安心しろ、あいつは生きてる。例の腕輪も返してやった」


「じゃあ、いったい、どこへ行ってしまったの?」


 詩桜の心がざわざわと騒ぎ出す。

 もう二度と会えないんじゃないか。そんな気がして。


「どこへ行ったかは知らない。ただお前より先に目を覚まし、腕輪だけ受け取ると勝手にいなくなった」


「そんな……」


 あれから詩桜は遥斗の痣が消えるまで舞い続け、力を使い果たし倒れてしまったようだった。


 どうして自分は、遥斗より先に目覚めることができなかったのだろう。


 そんなことを後悔し、今からでも遥斗を追いかけようとしたのだが。


「春宮! 目が覚めたんだね。もう、無理しないでよ」


「月嶋くん、ごめんなさい。あれから色々あって」


「ご無事でなによりだけど……河合さんは、どうなったか知ってる? おれじゃ結局見つけられなくて、辰秋さんや白波瀬に尋ねても、春宮に聞けの一点張りでさ」


 遥斗が男だったことなどは、まだ月嶋の耳に入っていないようだ。ただ、遥という少女が、詩桜を星巫女の座から引き摺り下ろそうとしていたこと以外、彼は知らない。


 それはきっと意図があってのことなのだ。二人は、遥斗のことを詩桜に委ねてくれた。


「月嶋くん、もし……遥ちゃんをみつけたら、どうするの?」


「おれの一存では決められないけど……罰を受けることは間違いない。星巫女候補に手をだそうとしたとなれば、それなりの」


「…………」


 それは確実にタダでは済まないということ。詩桜は、言い淀んでしまった。


「おれだって、公私混同すれば河合さんの味方だよ。けど……おれ仕事はきっちり割り切るタイプだから」


 詩桜は、今すぐにでも遥斗を追いかけたかったけれど、今、自分が遥斗のために出来ることは、そんなことじゃない気がした。だから……。


「月嶋くん、あのね……遥ちゃんは、わたしにすべてを打ち明けてくれました。彼女は、緋夜の月に属する吸血鬼に誑かされ、わたしを手にかける計画に乗ってしまったそうです」


「……それで、彼女は今どこに」


「遥ちゃんは……死にました」


「死んだ? 河合さんが……そんな」


「優しい遥ちゃんは、最後の最後で……わたしを庇って。自分を誑かせた吸血鬼に反抗して、始末されてしまいました。わたしは、ショックで気を失って……気がついた時には、遥ちゃんの身体も、緋夜の月に属する吸血鬼たちの姿もありませんでした」


 詩桜は声を震わせ、両手で顔を覆いながらそう訴える。


「そう……おそらく河合さんの身体は、証拠隠滅のためその吸血鬼たちが持ち去ったんだね」


 月嶋はこの世の終わりのような顔をして俯き唇を震わせた。

 けれど次の瞬間には、何事もなかったかのように顔をあげる。


「その吸血鬼がまだ近くにいるとは考えづらいけど、念のため見回りをしてくる。春宮は、もう白波瀬と屋敷に戻るんだ。疲れただろ、身体を休めて」


 それはまるで感情を斬り捨てたお面のような笑顔だと詩桜は思った。


「はい……」


 ごめんなさい。詩桜は俯いたまま、心の中で何度もそう繰り返す。月嶋だって、遥を大切に想っていたに違いない。


 けれど遥斗を守るためには、こんな嘘ぐらいしか浮かばなかった。


 月嶋は、そんな詩桜の嘘に騙されたまま竹林の中へ姿を消した。


「……行った?」


「ああ、行った」


 灯真に確認し詩桜はようやく顔をあげた。嘘を吐くと言う事が、こんなにも罪悪感のあることだなんて知らなかった。


「悪い女だな」


「うん。本当に……」


「冗談だ……お前はいい女だよ。惚れた女が実は男だったなんて事実、知らずに済んで、あいつもよかっただろ」


「やっぱり……月嶋くんって、遥ちゃんのことが好きだったの?」


「明らかにな。お前の嘘は、少なくとも二人も救った優しい嘘だ。そう思ってろよ」


「……灯真は、遥ちゃんが男子だって知っていたんだね」


 いつからかは分からないけれど、驚くこともなく知っていた口振りだ。


「アカツキと同一人物だって知ったのは、さっきだ。けど、普段からお前を見ている時のあいつの眼差しは、どう見ても男のものだったから……性別だけなら、大分前から気付いてた」


「そっか、遥ちゃんはわたしを憎んでいたから……」


 その憎しみに満ちた眼差しは、性別を偽れないほどに鋭いものだったのかと詩桜は思ったが。


「そうじゃないだろ……いや、そう思ってろ」


「そう思ってろってなに?」


「なんでもない」


「でも……そんなに前から遥ちゃんがわたしを恨んでいたことを察していたなら、少しぐらい教えてくれてもよかったのに」


「確かな証拠もなくあいつは男だ警戒しろって言って、お前は信じたのか?」


「それは……」


「俺だって、こんな罠をしかけられているとは、予想していなかったんだよ」


 月嶋のように身分を偽り、国が詩桜につけた監視の可能性も考えられた。だから深く追求できなかったのだと彼は言う。


「もういいだろ、あいつの話は。他の男のことばかり考えるな」


 灯真に頭をくしゃっと撫でられ心が緩む。そのまま、その腕に擦り寄りたくなった衝動を押さえ、詩桜は一人遠くを眺めていた。まるで見えない遥斗を、視線で追うように。


「……あいつを、探しに行くのか?」


 詩桜は首を横に振って答えた。


「いいの。遥ちゃんが助かったんだって聞ければ、今はそれで」


 詩桜の目覚める前に、遥斗は姿を消してしまった。


 それはきっと遥斗の意思だから。自分が追いかけることを、彼は望んでいないと思った。


「ところで、藤吾という吸血鬼の方は、どうなったの?」


「ああ、あのいけ好かない野郎か。五高前の木に蓑虫みたいに吊るしておいた。辰秋さんに連絡しといたから、そのうち辰秋さんの舎弟たちにでも回収されてシバカれるだろ」


「えぇっ!?」


 一瞬かわいそうと思いかけたけれど、あの男は、あきらかに遥斗を苛めていたから……。


「今、ざまあみろって思ったな」


 まるで詩桜の心を読んだかのように、灯真がにやりと笑みを浮かべた。


「少し……ううん、すごく思った」


「素直だな」


 正直に答えた詩桜を見て灯真は笑った。

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