第30話 変化

 翌日の放課後。


 いつまでもこのままじゃだめだ。そう決意した詩桜は、ついに遥に大事な話があると伝え、掃除当番の彼女を教室前の廊下で外を眺めながら待っていた。


「春宮ちゃ~ん、なに黄昏てるの?」


 背中を両手でポンッと押され振り向けば、昨日の休み時間に話し掛けてくれた女の子だった。


「あなたは……えっと、お名前、聞いてもいいですか?」


「あれ、名乗ってなかったっけ? ごめんね、あたし里中奈津」


「里中さん」


「奈津でいいよ!」


「じゃ、じゃあ、奈津さん……」


 遥以外の女子にこんな風に親しく接してもらったことなど乏しくて、詩桜は頬を赤らめた。


「もぅ、春宮ちゃん、反応が可愛い。こんなところで、なにしてたの? ちなみに、あたしは掃除してる彼を待ってるの」


「そっか。わたしは、友達を待っているの」


「白波瀬くんとは、一緒に帰らないんだ。まあ、この人目の多さじゃ帰りづらいよね」


「う、うん。それもあるけど、わたしと灯真は恋人というわけではなくて……」


「え、そうなの?」


「うん……」


 灯真が焦れていたらしい過去の星巫女が自分だったことが判明して、どう捉えて良いのか最近わからなくなってきたが……。


「美味そうとか食べたいとか、そんなことばっかり言われてるだけだし……」


「それって……春宮ちゃん、わかってないな。全然、吸血鬼の男心を分かってないよ!」


「え?」


「いい、吸血鬼の男子が言う美味しそう、食べちゃいたいは、大抵直訳するとスキスキ可愛いみたいな意味だよ」


「えっ、まさか!?」


「まさかじゃないよ! ちなみに、もし俺の果実とか言われてたら、それはもう、愛しい俺のハニーみたいな意味だからね!」


「えぇ!?」


「吸血鬼って種族は、あたしがいうのもなんだけど……やっぱり人間とは違うし、冷酷な部分もあるでしょ。本当に食料としてしか見られてなかったら、すぐに食い殺されちゃうよ。そうじゃなく、食べちゃいたいって言いつつ、そうしないのは……っ」


 奈津が、なにか教えてくれようとした時だった。


 二年C組の教室から、生徒たちの叫び声が廊下にまで聞こえてきた。


 何事かと詩桜と奈津は顔を見合わせる。

 教室からは、血相を変え飛び出してくる生徒が数人。


 更なる悲鳴と共に、机や椅子を投げ飛ばすような激突音。

 嫌な予感がした詩桜は野次馬たちを掻き分け、教室の中へと飛び込んだ。


「なにがあったの? 遥ちゃん?」


 教室に入ってすぐの入り口付近で遥に声を掛けたのだが、彼女は虚ろな瞳のままなにかを見ている。


 その視線の先には……。


「グアァアァァッ、チヲ、チヲヨコセ」


 机の脚を持ち振り回して投げてきたのは、紅蓮の瞳を持つ凶鬼だった。


 なぜ、こんな昼間から。これも、封印の陣が限界に近付いている証拠なのだろうか。詩桜が困惑していると、凶鬼の前に札を持つ男子生徒の姿が現れる。


 そうだった。この学校には吸血鬼の他、退魔師の卵たちも多くいる。

 そのうちの一人が札を投げつけた瞬間、電流が迸り凶鬼は倒れ込む。


 ビリビリと電流の縄で束縛させ、もう一人の生徒が炎属性の札を掲げる。焼き払うつもりだ。


 このままではいけないと、詩桜もそう思ったのだけれど、その前に横たわる凶鬼と退魔師の生徒の間に割って入った女子がいた。


「待って、やめて!」


 凶鬼を庇って声を上げたのは奈津だった。


「どけろよっ! 術札が効いてるうちに、殺さないと」


「嫌だっ、殺さないで!!」


 奈津が泣きそうな声で叫んでいる。よく見れば、紅蓮の瞳をぎらつかせもがき苦しんでいるのは……。


「中岡くん?」


 おそらく、奈津の恋人だ。瞳の色も顔つきも凶暴に変化しているが間違いない。


 退魔師の生徒たちは、どけろと奈津に訴えるけれど、彼女は頑なにそれを拒み凶鬼化した中岡にしがみ付いた。


 他人からすれば凶鬼と化した存在でも、彼女にとっては大切な人のままなのだ。


「一度、凶鬼化した奴の暴走は、息の根を止めない限り続くんだぞ!」


「そんなの知ったことじゃない。彼を傷つけたら、殺したら、許さないから!」


 言い合っているうちに電流の縄が解けてしまった。生徒たちは反射的に後退し身構えたけれど、奈津だけは離れようとしなかった。


「チヲ、チヲォオォッ」


「いいよ、あたしの血でよかったら、全部あげる。だから、元に戻ってよぉ」


 涙を流す奈津の首筋に凶鬼の牙が。加減の出来ない状態で吸血なんて、奈津の命が危ない。


「遥ちゃん、どうしよう、このままだと奈津さんが」


「……っ」


「あ、遥ちゃん!」


 遥は青ざめた表情のまま教室から逃げ出してしまった。


 遥を追おうとした詩桜だったが、グッと思いとどまる。


 このままでは、奈津が喰い殺されてしまう。こうなったら捨て身で中岡に飛び掛ろうかと思った。

 だが、突如誰かが割って入り中岡を奈津から引き剥がす。


「灯真!」


「詩桜、早く力を使え!」


 中岡を押さえつけ灯真が叫ぶ。


 そこへ騒ぎを聞きつけたのか月嶋も駆けつけてきた。なにも聞かずとも、咄嗟の判断で暴れる中岡の足を押さえつける。


『清めの舞い』


 制服のスカートをふわりと揺らし、祈りながら詩桜は舞い始めた。


 やがて暴れていた中岡の身体を粒子が包み込み、彼は穏やかな瞳の色を取り戻し始める。


 詩桜が舞い終わる頃には、安らかな寝息をたて中岡は通常の姿へと戻っていた。


「人騒がせな奴だな。こんな昼間から、なんで凶鬼化したんだ」


 やれやれと、灯真が中岡を解放する。月嶋も肩を撫で下ろし離れた。


「あり、がとう……ありがとう。春宮ちゃんの力が、彼を助けてくれたんでしょ?」


 奈津は倒れる中岡を抱きしめながら笑顔を向けてくれたけれど、その瞳からはまだ沢山の涙がこぼれ落ちている。


「奈津さん、どうしてまだ泣いているの? どこか、痛いの?」


 もう彼はなんの心配もないはずなのに、奈津は涙を流し続けるので、詩桜は戸惑いながら彼女に駆け寄った。


「え? 違うよ~。彼が殺されずに済んだから、ほっとして……春宮ちゃんが助けてくれたから、嬉しくって勝手に涙が」


 奈津は、照れながら鼻をすすって笑った。涙を零しながら笑っている。


「嬉しくても、人は涙がでるものなの?」


「そうだよ。知らなかったの?」


 詩桜には奈津のそんな姿が、数日前の自分と重なって見えた。


 雨の中、灯真が迎えに来てくれたあの時、自分も泣きながら笑っていた。


 あれは悲しくてじゃなくて……嬉しかったからなのかもしれない。


 お前をもう孤独にはしないと言った、真っ直ぐな彼のその言葉が……。


 その時だった。わぁっという大きな歓声と共に、拍手が起こった。


 詩桜は、驚いて教室の前後にある出入り口に視線を向ける。


 そこは野次馬たちでごった返していて、けれどその場の誰一人、詩桜をさげずむような目で見る生徒はいなかった。


 温かい言葉。温かい眼差し。拍手に包まれて、詩桜はきょとんとしてしまう。


「キミが起こした奇跡の力が、皆の心に届いたんだよ」


 月嶋も笑っている。キミは、偽者じゃなかった。そう認めてもらえたと思っていいはずだと。

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