第29話 幼い頃の思い出

 今日は薄い雲が月を隠し闇が深い夜だった。


 結界の弱まりは日に日に強くなっているように思える。それは気のせいではなく、羅針盤からも窺える。


 現に凶鬼化の事件も多発しているし、詩桜が一度におびき寄せ清める数も増える一方だ。


「ふぅ……終わった」


 詩桜は、舞い終えるとへなへなと星翔川沿いの土手にしゃがみ込んだ。この辺りはチクチクと硬い草がはえていて、座り心地が良いとはいえない。


「毎日立てなくなるまで、よく続けられるな」


 近くで護衛をしてくれていた灯真も、隣へ腰を下ろす。


「元に戻れる可能性が残っているのに、殺されてしまうなんて見過ごせないでしょ」


「怖いくせに。凶鬼に対して慈悲深いというか……」


「最初は、わたしも凶鬼化した者は、殺されるのが当然だって思ってた。けど……実はね、昔出会った小さな吸血コウモリと、こっそり一緒に生活していた時期があって」


「っ!」


「その子との出会いで少し考えが変わったの。吸血鬼も、好きで凶鬼になるわけじゃないんだって。種族は違っても、彼らにだって感情があって、家族がいて、わたしたちと同じなのかもって思えたの」


 でも……と詩桜は悲しそうに俯いた。


「わたしに大切なことを教えてくれたその子は、わたしのせいで死んじゃったんだ」


「死んだ?」


「前の村長の義雄様に見つかって、斬られて……わたしが、連れてきてしまったばかりに」


 今思い出しても、悲しみが蘇り声が震えた。


「……大丈夫だ。その吸血コウモリは、斬られたことをお前のせいだなんて思ってない」


「どうしてそんなことが言えるの?」


「こうして、今お前の目の前にいるから」


 灯真は笑っていた。


「……へ?」


 訳が分からず、詩桜は間の抜けた声を出してしまう。


 けれどそんな詩桜を見つめる灯真の目は優しげで、どこか嬉しそうでもあった。


「忘れてなんていなかったんだな」


「え、え?」


「そうか、あの時、俺が死んだと思って……それで」


 ぎゅっと抱きしめられ、詩桜は赤面しながらもがいた。


「と、灯真、どうしたの突然。苦しい」


「キュウちゃん。お前が俺にくれた名だ、覚えてるだろ?」


 それは自分だけが知っている、吸血コウモリに付けた名前だった。


 それを知っているということは、灯真があの吸血コウモリだったという事実が、嘘ではないということで……。


「本当に……灯真が、キュウちゃんなの?」


「ああ」


「そんな……思い出したというか、キュウちゃんのことは一度だって忘れた事ないよ。まさか、灯真と同一人物だとは気付けなかっただけで」


「そうか。最後に呪いが解けて、人型に戻った俺の姿を、覚えてなかったんだな」


 話しているうちに、詩桜の中でぼやけていた記憶が蘇ってくる。確かにあの時は……大怪我を負ったキュウちゃんを助ける為、自分の血を捧げた。その後、血を吸われ過ぎて意識が朦朧として……その先のことは、思い出せないまま気が付けば屋敷に連れ戻されていたのだ。


 そして義雄に吸血コウモリは死んだと聞かされ、ずっとそれを信じていた。


 キュウちゃんが生きていたなんて。そんな驚きと喜びを感じた詩桜だったのだけど……。


「ん? 待って……灯真がキュウちゃんで間違いないと言うなら。わたしキュウちゃんと一緒にお風呂に入った記憶があるんだけど」


「…………」


「ほ、他にも、キュウちゃんが普通の吸血コウモリだとばかり思っていたから、わたしっ」


「……俺は、あんまり無防備なことをするなと、その都度忠告していたはずだ」


 しれっとそう言われてしまうと、なにも言えない。いや、しかし灯真が正体を隠していたせいなのだが。


「いいだろ、お互いガキだったんだし今さらだ」


「よ、良くない!」


「なんなら今だって、また一緒に風呂へ」


 ぐいっと腰を掴まれ引き寄せられる。


「もっと良くないよ!」


 冗談なのか本気なのか、灯真のそういうところは相変わらずで、けれど前より……灯真に触れられることが、嫌じゃなくなってきている自分に、詩桜は気付かないフリをして彼の腕から逃げ出した。


 だって、これ以上は辛くなる。


 遥が正式な星巫女ならば、灯真はいずれ彼女の守護者になるのだから……。

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