第21話 不穏な噂

 あくる朝。色々あったせいで寝不足の詩桜は、登校する足取りも眠気でよろよろとしていた。


 だが、いつもより少し遅れて到着すると、なにやら学校中が騒がしい。


 玄関で上履きに替え中央棟の二階に上がると、吹き抜けの開放されたホールは、いつもにない人だかりになっていた。


 その中心にあるのは、校内ポスターなどが貼られている掲示板だ。


「なんの騒ぎ?」

 不思議に思い人混みの方へ足を向けると。


「詩桜……」

 人混みの中にいた遥が、詩桜に気付いて気まずそうに視線を逸らす。


 その時、何かを囲うように集まっていた生徒たちが、いっせいにこちらに振り向いた。


 ざわざわと噂話をしながら向けられる視線は、あまり居心地の良いものではない。


 詩桜は生徒たちが見ていたモノがなにか知りたくて、一歩二歩、掲示板へ進んだ。


「これは……」

 掲示板の中心部。一番目立つ場所に、大きな張り紙が貼ってある。


 そこには『春宮詩桜は星巫女。守護者、白波瀬灯真と一目を忍ぶ関係発覚』なんて、ゴシップ誌の見出しのように、面白可笑しく書かれている。


 記事の内容は、主に星巫女にあるまじき禁断の愛だと。あること、ないこと、好き勝手だ。

 詩桜が戸惑いを隠し切れずにいると、遥はそれを乱暴に掲示板から剥がした。


「詩桜、大丈夫?」

「遥ちゃん……その張り紙」


 書かれていることは、嘘ばかりではない。自分が星巫女候補であること、灯真と一緒に住んでいること。否定できない事実も含まれているから、反応に困る。


「春宮、なんか大変なことになっちゃってるな」


「月嶋くん、えっと」


「気にすることないよ。こんなの、ただのデマでしょう? 白波瀬くんとは、なにもないんだよね」


「う、うん……でも、その……」


 遥の励ましにも曖昧な返事しかできなくて、詩桜は心苦し気持ちになった。






 その日は、教室についてからも、つねに居心地の悪い視線と噂話が付きまとってきた。


 ここは、人間と吸血鬼が対等に暮せる村だと思っていたのに。その考えは甘かったのだと、詩桜は身をもって体感した。


 半鬼が凶鬼化する事件が多発しているご時世に、平和の象徴とも言える星巫女が吸血鬼と交わりを持つなど、秩序を乱すという声が多かったのだ。


「……すごい騒ぎになっちゃった」


「勝手に騒がせておけばいいだろ」


 もう一人の当事者である灯真はといえば、周りの声などまったく気にしていない。


「勝手にって……みんな、種族の違うわたしたちが恋仲になると、秩序を乱す原因になるのではないかって、心配しているんだよ」


「だからなんだ。第一血の濃い薄いがあったとしても、今時この世にいる吸血鬼の大半が半鬼。それを今さら、くだらない」


 でも、と言いかけた詩桜の口の中に、灯真がなにかを押し込んだ。

 ころんと口の中で転がり、甘酸っぱい味が優しく舌の上で溶けてゆく。


「くだらない悩みに頭を使う必要はない。お前はなにも心配しなくていい」


 それだけ言うと灯真は振り返ることも無く、生徒の視線もなんのその教室を出て行った。


「イチゴ飴……」


 昨日あげた飴のお返しだろうか。

 強張っていた心を解く甘さに、なんだかとっても救われる。


「……詩桜、白波瀬くんとなに話してたの?」


「あ、遥ちゃん。たいしたことは、話してないよ」


「ふーん……仲良いよね。なんだかんだ言って。星巫女と守護者だったんだもんね。当然か」


「そ、それは……黙っていてごめんね」


 どことなく、遥の声に棘があるような気がして違和感を覚えたけれど、その顔を見上げると、遥はいつもと同じ涼やかな笑みを浮かべていた。


 だから、気のせいだと思った。詩桜は、そう思うことにした。






「あの張り紙は、誰の仕業なんだろう……。刀を盗んだアカツキさんと関係があるのかな……」


 夕刻、詩桜は高い塀の上で、庭に遊びに来た子猫に相談を持ちかけていた。


「ねえ、子猫ちゃん。聞いてくれている?」


 真っ白な毛に覆われる子猫は、触るとふわふわ柔らかくて華奢な身体が愛おしい。


「猫相手に、楽しいのか?」


 庭先に出てきた灯真が、塀の上で子猫とじゃれて遊ぶ詩桜を見上げ尋ねてきた。


「子猫って可愛くって癒されるでしょ?」


「……お前の方が、可愛い」


「えっ!?」


 不意打ちでそんなことを言われ、素っ頓狂な声を上げた詩桜に驚いたのか、子猫は走り去って行ってしまった。


「な、なに言ってるの、灯真っ」


「電話だ。辰秋さんから」


 灯真から電話だと差し出される。


 詩桜は慌てて塀の上から飛び降りると、それを受け取った。


 今、自分の身に起きていることを知られては、余計な心配を掛けてしまうかもしれない。


 だから精一杯の平静さを保って、詩桜は電話を耳元へ当てた。


『よう、詩桜。元気にやっているか?』


「げ、元気ですよ。辰秋さんこそ、ちゃんと愛想良く挨拶回りしてますか?」


『当たり前だろう。こっちは順調だ。やっぱり、一仕事終えた後の酒は最高だなぁ』


「もう、また夕飯前からお酒飲んでるんですね」


 しょうがない人だと思いながら、顔が緩んでしまう。詩桜がこんなにも気を許せる大人は、今のところ辰秋ぐらいだ。


『ちゃんと職務を終えた後の一杯さ。文句なんて言わせないぜ。あぁ、だがたまには、詩桜の下手くそなお酌が恋しくなってなぁ。暇つぶしに電話を掛けたってわけだ』


 下手なお酌って、暇つぶしって、まったく失礼な言い分だけれど辰秋らしい。


「辰秋さんったら。てっきり、こちらの様子を心配して、電話をかけてきてくれたのかと思ったのに」


『そんなことは、なんにも心配してないさ。お前さんには、灯真殿がついているんだ。二人で力を合わせれば、どんな困難だって乗り越えられる』


「もう……辰秋さん、明らかに酔っ払っているでしょう」


『おうよ、ほろ酔いでいい気分だ。けどな、酔っ払いをなめるなよ~。お前さんの空元気ぐらいは、電話越しで見抜けられる』


 さらりと言い当てられてしまい、詩桜はギクリとした。辰秋は、意外と鋭い。


『なにかあったなら、相談ぐらいは無料でのってやる。まあ、考えるのは面倒だからな。答えは自分で出してもらうが』


 それは相談にのってくれる気がないと、言っているようなものじゃないのか。辰秋らしい、無責任な発言だけど、そういう放任主義さも詩桜は嫌いじゃない。


「辰秋さん、わたし……今日、人間と吸血鬼の間にある溝に、ショックを受けました」


 星翔村外で人間の殆どは、吸血鬼の存在を認識していない。それは吸血鬼が人間のフリをして、都会に馴染むことが、普通とされているからだ。吸血鬼だけが暮す村はあっても、互いの種族を隠さず、人間と吸血鬼が協定を結び、平和に暮らす村はここぐらいなもの。


 詩桜は、それがこの星翔村の誇れるところだと思っていた。

 けれど、今日その考えは甘かったのだと認識したのだ。


「半鬼と言われる人たちは、今までどんなに肩身の狭い思いをしてきたのでしょう」


『人と魔が交わり、その血を半々に持つ者か。今も封じられし吸血鬼の王は、自分を裏切り人と交わり続けた吸血鬼たちに怒り、その子孫である半鬼の者を、妖し風で惑わすと言われているからな』


「人間は、半鬼の者も吸血鬼だと見るし、純血の吸血鬼も魔の血が薄い半鬼の者を、仲間としては見ないでしょう? この村にいる限り、どちらの地区に住んでも、居心地が悪いんじゃないかって思って。この村は、人と魔が対等に暮せるはずの場所なのに、人と魔の間に生まれた者たちにとっては、都会にいるより住みづらそうです」


『今は、な。妖し風の影響で、皆カリカリしてるんだろう。特に血が薄まり吸血鬼としての力の弱い者は、封陣が不安定な村を出て人間として都会で生きるヤツも多い。まあ、それはお前さんがどうにかしてくれるって、俺様は信じているぞ。なにせ、お前さんは、日向家の予言により選ばれた、星巫女だからな』


 偽りの、ですけどね……。


 そんな皮肉めいた言葉を、詩桜は心の中に沈め口ごもった。

 辰秋だけは、全てを知ったうえで、それでも詩桜を正式な星巫女だと言ってくれているのだから。


『詩桜、なにを弱っているんだ。今は、なにがあろうと、前だけを見て突っ走れ。お前さんの未来は、幸せの花が咲き乱れると決まっているんだぞ』


「また、無責任ですね……辰秋さんったら」


『ははは、まあ酔っ払いの戯言だ。信じなくてもいいけどよ』


 詩桜は気が付くと笑みを零していた。


『詩桜。何はともあれ、俺様が留守の間も、星翔村を頼んだぞ。もちろん、未来の星翔村もな』


 電話越しに聞こえる自分を応援してくれるこの声に、どれだけ救われただろう。


 難しい問題だけれど辰秋の言うとおりに、いつかもし自分が正式な星巫女となって、妖し風を清められたなら、また穏やかな村への再生に貢献できるだろうか。


 今日は、詩桜にとって、そんなことを改めて考えさせられる一日だった。

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