第19話 灯真のいない夕食
その日、夜になっても灯真はなかなか家に帰ってこなかった。
人間にも吸血鬼にも、平等でいなければいけない立場の星巫女なのに、今日の自分の言動は最低だったと思う……灯真にも謝りたい。ちゃんと、自分の気持ちを改めて。
久々の灯真がいない夕飯は、そんなことばかり考えてしまい、まったく美味しく感じなかった。
もう愛想つかされ、彼は出て行ってしまったのだろうか。他の人から血を貰えばいいと、突き放したりしたから……今頃、他の誰かのもとへ。
「……灯真のご飯が、食べたいな」
ぽつり、自分で作ったしょっぱい煮付けを食べながら、つぶやいていた。ひどく寂しい。
なんだかんだ言いつつ、いつのまにか灯真と一緒にいる時間が、当たり前になっていたのだ。
今更気付いて、泣きたくなった。
カタンッと、小物が倒れたような音で、詩桜は目を覚ました。
今日も凶鬼たちを清めるため、見回りに行こうと思っていたのに。巫女の正装に着替えたものの、机に突っ伏して眠ってしまっていたようだ。
物音で最初、灯真が戻ってきたのかと思った。けれど、寝ぼけ眼のまま身体を起こしたそこに……。
「んんっ!?」
突如、黒い影が襲ってきたかと思うと、すぐに口元を手で覆われてしまう。
恐怖が湧き上がる。視界に飛び込んできたのは、先日と同じく目元以外顔を布で隠したアカツキだ。
アカツキの視線は、詩桜が握りしめていた巫女の誓い刀へ向けられた。
「それ、本当は、君のものじゃないでしょ?」
「っ!」
押さえつけられた身体は、思うように動かせず、いとも簡単に刀を奪われてしまう。
だが、一瞬の隙を付いて、詩桜はアカツキに蹴りを入れる。
「グッ」
彼は呻き、腹を押さえながら蹲った。
ようやく束縛から解放された詩桜は、呼吸もままならなかったため、大きく息を吸い込む。
ふと甘い香りが鼻を掠めた。
男はよろめきながらも、すぐに立ち上がると奪った刀を懐に入れ、部屋の外へ飛び出す。
詩桜もその後をすぐさま追跡した。
屋敷から東に向かい走ると道はやがて住宅街を抜け、開けた道路にでる。時間は深夜だ。車一台通っていない。
街灯がじりじりとたてる音のほか、聞こえてくるのは微かな水音。
道路を渡ってみると、そこは河川敷だった。この先には、村で一番大きな星翔川がある。
橋を渡りこの川を越えれば、吸血鬼たちが多く暮す地区だ。
「見つけた! 誓い刀を返してくださっ……」
詩桜が息を切らして追いつくと、アカツキはただ静かにそこに立っていた。
アカツキの足元には、蹲る若者が三人もいた。口元には牙、吸血鬼だ。
彼らの周辺には、ビールの空き缶が散乱している。おおかた、花見と称して川辺で酒盛りでもしていたのだろうが。
「グルルルルルル」
一人が呻き出すと、もう一人もそれに共鳴するように、唸り声をあげる。
吸血鬼たちの瞳が、紅蓮に光る瞬間を、詩桜は目の当たりにしてしまった。
でも、それ以上に驚いたのは、アカツキが纏う黒い風だった。まるで、彼を守るように吹き荒れるそれは……邪悪な妖し風のようだったから。
「アカツキさん……あなたはいったい」
何者なの? そう聞く間さえ与えられず、凶鬼が襲ってきた。
「グルルルルッ、チヲ、チヲヨコセ」
詩桜がその相手をしている隙にアカツキは、逃げてゆく。
「待って!」
追い掛けたいが、凶鬼に邪魔され出来ない。
武器一つ手に持たず飛び出した自分が悪いのだ。今日に限って退魔の札も持っていないのに、敵は三体。
(なんとかしなくちゃ、お願い正気に戻って)
詩桜は飢えた形相で襲ってくる凶鬼たちを、軽やかに交わし舞い始めた。
「きゃっ!?」
けれど、三体の攻撃を避けながら舞うのは、容易ではない。
吹っ飛ばされ、背中を地面に打ち付ける。そこで覆いかぶされ恐怖で身が竦んでしまう。
(もう、ここまでか……)
その時だった――。
ドカッと鈍い音とともに、詩桜に馬乗りになっていた凶鬼が意識を無くし倒れたのは。
「俺に喰われるのは、いつも抵抗するくせに。こんなのに吸血を許すな」
なにが起きたのか目を開き、確認すると。
「……助けてほしい時は、俺を呼べ」
灯真が凶鬼を蹴りあげ詩桜の上からどかす。
すぐに残りの凶鬼が鋭い爪を向け詩桜に飛び掛るが、迷いもみせず彼は詩桜を抱き寄せ庇った。
二人、抱き合うような形で、ゴロゴロと川べりまで転がり落ちる。
おかげで詩桜は軽傷だったけれど、灯真の頬に一筋の傷が浮かび上がり、左腕からは、じわりと滲む血が制服を染めている。
「灯真っ」
「なにしてる。舞い続けろ!」
彼は、いつものように常備している誓い刀を、抜くことはしなかった。ただ、凶鬼たちの気を引き、詩桜から遠ざけようとする。
灯真は純血種だ。本来なら刀などなくても、どうにでもできるのかもしれない。
けれど腹を空かせる今の灯真では、素手での攻防が不利なことぐらい詩桜にも分かる。
なんとか敵をあしらっているけれど、その表情にいつもの余裕は感じられない。
(早く、早く……凶鬼を元に戻さなくちゃ)
詩桜は、灯真が凶鬼の攻撃を掠めるたびに、小さな悲鳴を上げそうになりながら、それを堪えて舞い続けた。
そして一体が、灯真を襲おうと、背後から飛び掛った瞬間……その身体を光の粒子が包む。
すでに意識を失っている凶鬼を含め、昂ぶる心と魂から妖し風が浄化されてゆく。
身体から閃光を放ち舞う詩桜の姿を、灯真は眩しそうに目を細めながら見つめ、逸らすことはしなかった。
「よかった……」
舞いきると、詩桜は全身の力が抜け落ちる程の脱力感に襲われ、その場に崩れ膝をついた。
灯真はさらに大きな音をたて、土手に倒れこむ。
「灯真!? しっかりして」
怪我が原因だろうか。頬から血が出ている。でも致命傷は左腕の方に違いない。
鋭い爪でぱっくりと裂かれた制服から、深く切られた腕が確認できる。
「ぅっく……」
灯真が、なにかうわ言のようにつぶやいた。
「灯真、ごめんね、ごめんなさいっ」
自分を、庇ってくれたばかりに……。
いつもそうだ。凶鬼を呼び寄せるこの身は、存在するだけで誰かを傷つけてしまう。
なのに、灯真が声を絞るようにして呻いた言葉は、詩桜を責めるものではなくて。
「――った」
「何、もう一度言って?」
「腹、減った」
「え……」
グルルルルッ。川のせせらぎを掻き消すような、腹の音が、あたりにこだました。
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