第18話 好きな人の話

「あ、詩桜。もう授業始まっちゃうよ……どうだった? 白波瀬くんに詩桜が探してたよって、伝えておいたんだけど」


 教室に戻る廊下の途中で、わざわざ迎えに来てくれた遥と出くわした。


「うん……会えたよ。ありがとう」


 遥に心配を掛けないよう、精一杯笑ってみせたけど、心の中に溜まったモヤモヤが晴れることはなかった。






 その後、少し冷静になり、言い過ぎたと灯真に謝ろうと試みもしたのだが、間が悪くなかなか声を掛けられないまま、気が付けば放課後になっていた。


(灯真、まだ学校にいるのかな……)


 家に帰ればどうせ会えるのだが、ついつい気が急いでしまい、下校時刻の校内で彼の姿を探す。


 ちょっと目を離した隙に教室にはもういなくて、あの大きな腹の虫も近くからは聞こえない。


「春宮、今帰り?」


 顔を上げると、月嶋がいた。


「あ、月嶋くん、えっと……」

「白波瀬と、なにかあったのか?」

「え? な、なんで?」


「だって、今日のあいつ機嫌が悪そうだったから」

「……灯真、今どこにいるか分かりますか?」


「う~ん、さっき東棟の屋上の方へ向かっていたような……」

「ありがとう。行ってみる」

「うん。仲直りできるといいね」


 詩桜は、月嶋にペコリとお辞儀をすると、走り出したのだった。






 東棟屋上へ向かうため三階まで上ると、微かに聞こえるグルルルルという腹の音。


 聞きなれた灯真の音に、詩桜は安堵した。


 だが……屋上へ向かう階段へ一段足を乗せると、遥の声も微かに聞こえる。


 見上げると踊り場を越えた辺りに二つの影。

 灯真の後姿と遥の横顔が手すりの影から窺えた。二人とも、詩桜にはまだ気付いていない様子だ。


「そんなに気になる? 私のこと」


 うまく言えないが二人は、どこか割って入れるような雰囲気ではなかった。


「ああ、初めて見た時からな」

「そう……私も、ずっと気になってたよ。君のこと」


 これは、聞いてはいけない会話な気がして、引き返そうと思ったのだが。


「っ……」


 軽くバランスを崩して、段差によろめいた詩桜の気配を感じたのか、ふと上にいる遥と視線がぶつかる。


「あれ、詩桜。どうしたの?」

「あ……わたし」


 遥はすぐに灯真から離れ、いつもと同じ笑顔を向けてくれたけれど、灯真はなにも答えぬまま、詩桜の横をすり抜けて行ってしまった。


 ずっと探していたのに。呼び止めればいいだけなのに。遠くなってゆく背中を見送ることしかできない。


「詩桜、一緒に帰ろう」


 遥は、何事もなかったかのように、詩桜の肩をぽんと叩き歩き出す。


「う、うん」


 今の二人の雰囲気は……一体、なんだったのだろう。


 詩桜も続いて歩き出すけれど、なぜか心は晴れないままだった。






 歩きなれた夕暮れ時の並木道を、遥と一緒に歩く。


 けれど詩桜は、先程の光景が何度も頭を過っていた。


 お互いに気になる存在だなんて……まるで惹かれあっている者同士のような会話だった。


「遥ちゃんの、好きな人って……」


 まさか灯真? 分からない。


 でも、盗み聞きしてしまったような会話を探るのは、気が引けた。


「そんなこと知りたいの?」

「えっ!? 今、わたし声に出して言ってた?」

「うん、思い切り声に出して言ってた」


 しどろもどろな詩桜の態度に、遥はなぜか少し困ったように微笑む。


「ご、ごめんなさい……でも、気になるかも」

「ふーん……いるよ、特別に思っている人なら」


 なんて切なそうな目をするのだろう、と遥を見て詩桜は思った。


 それは、どんな恋なの? 相手は灯真なの? 


 聞きたいことは他にもあったけれど、遥の横顔を見ていると、それ以上踏み込めないなにかを感じる。


「遥ちゃんは……その恋をして、幸せ?」

「どうかな……恋って言えるのかな。出逢わなければよかったって、思ってるし」


「え?」

「今さら抱いても……許されない想いだから。この気持ちを伝えても、伝えなくても、後悔する自分がいるんだ」


「どちらを選んでもなの?」

「そうだよ。だから……こんな気持ち、このまま風化させてしまえればいいのに」


 遥は切ない恋をしているのか。そんな恋を知らない詩桜には、理解してあげられないけれど。


「……たとえどんな恋でも、わたしは遥ちゃんの味方だよ」


 そう言うと、自分の言葉で遥が微笑んでくれて、詩桜はそれが嬉しくて釣られて微笑み返した。


「で?」

「え?」


 一言聞き返され、詩桜はなんのことかときょとんとする。


「私も教えたんだから、次は詩桜の番だよ」

「そ、そっか。こい、恋の話……えっと~」


 一瞬、ほんの一瞬だけ灯真の顔が過ったけれど、自分を食べたいなんて言ってくる吸血鬼と、恋愛なんて結びつくはずないとかき消した。


「う~ん、う~ん……」

「ふふ、無理しなくていいよ。詩桜には、まだ早かったね」

「……不甲斐無い、恋の一つも語れないなんて」


 詩桜だって同級生の子たちと、好きな人の話で盛り上がってみたいという気持ちはあるのに、恋愛経験がスカスカの自分じゃ、なにも語れないことが虚しく思えた。


 けれど落ち込む詩桜の顔を見て、遥はくすっと笑いながら。


「詩桜には、今のままでいてほしいな。ずっと」


 と、呟いていたのだった。

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