第17話 自己嫌悪

「俺のものに手を出すなら、誰であろうと容赦しない。お前は、俺のものだ」


「あなたのものじゃないです」


 気丈に答えたつもりだが、怯えた顔をしてしまっているかもしれない。それぐらい、今の灯真は殺気立っているのだ。


「なんだ、その顔……そんなに俺が怖いか?」


「…………」


「俺の事は拒むくせに、他の吸血鬼には随分と簡単に、痕をつけられるんだな」


 吸血された首筋の噛み跡に、指先で触れられる。まるで傷を抉るような触り方に、詩桜は痛みを感じ眉を顰めた。


「なあ、俺にもさせろよ。いや……俺以外には、吸わせちゃだめだろ」


 言いながら彼は先程の吸血鬼のように、詩桜をフェンス越しまで追い詰める。


 いつものことだが……いつもよりも、恐怖を感じた。


(吸血鬼にとっては、これが普通なの?)


 吸血鬼は皆、吸血しようと寄ってくる。自分の食欲を満たすために。だから詩桜は、吸血鬼が怖い。星巫女候補である自分が、そんなことではダメだと頭では分かっているけれど……。


「っ、そんなにお腹が空いているなら……わたしじゃなくて、他の子に頼めばいいじゃない」


 灯真のものになってもいいと、懇願する子がいくらでもいる事ぐらい、詩桜だって知っている。


 そういった女子たちに、自分が疎まれていることも。


「……お前は、本当になにも覚えてないんだな」


 詩桜の言葉一つで灯真は傷ついた顔をする。自分だって、無神経なことを平気で言うくせに、そんな顔しないでほしいと詩桜は思った。


「お前は……俺から逃れるために、記憶を捨てたのか?」


「え……わたしは」


 灯真が想っているのは、わたしじゃない。


 灯真が大切にしている思い出の中の星巫女は、自分じゃないのだと洗いざらい言えたなら、この胸にずっとある罪悪感は、消えるだろうか。


 言いたい。けど言えない。自分が偽物の星巫女なのだと知られてしまえば、村中が混乱して辰秋にも迷惑を掛けてしまうだろう。


 そう思うと、やはり真実を灯真に伝える事は出来なかった。


「そうかも……きっと、灯真から逃げたくて、記憶を捨てたの」


 どう答えて良いのか分からず、半ば投げやりにそう言うと、灯真はムスッとしているようで、ひどく傷ついた表情になり、詩桜まで胸が苦しくなった。


 いったい灯真と本物の星巫女の間には、どんなに大切な過去があるのだろう。


「そうか……だが、俺と共にいたいと最初に言ったのは、お前だ。裏切りは許さない」


(それは、わたしじゃない)


 抵抗する間もなく、首筋の痛む傷跡に舌を這わされた。

 ますます、詩桜の手首を掴む灯真の力が強くなる。


「や、だ……」


 詩桜の声が僅かに震える。けれど嫉妬で頭が沸騰している今の灯真は、そんな些細な変化に気付けないようだった。


「逃さない。詩桜、俺を見ろ」


 なぜ、自分ばかりこんな目に遭わなければならないのだろう。


 彼が見ているのは、自分じゃないのに……。


(灯真こそ、わたしを見てない。どうしていつもそればっかりなの? わたしを食べることしか考えられないの? 少しぐらい星巫女候補としてのわたしを見てほしい。目の前にいるわたしをっ……それともわたしって、やっぱり血が美味しいぐらいしか、価値がないのかな……)


 そんなの悲しい……。


「っ……灯真なんて嫌い。吸血鬼なんて、みんな大ッ嫌い!」


 灯真を思い切り突き飛ばし叫んだ瞬間。


 詩桜の中で今まで溜め込んでいた、ドロドロとした感情が、溢れ出して止まらなくなった。


「あなたたちがいるから、この世界はこんなにも不安定なのよっ。あなたたちのせいで、わたしは今も昔も、魔のモノを呼び寄せる不吉な存在だって疎まれている……全部全部、あなた達吸血鬼がっ、吸血鬼さえいなければっ」


 感情が荒ぶり、詩桜の大きな瞳には、光るものが浮かび上がってきたが、詩桜はそれを零さぬよう静かに息を吸い込み耐えた。


 怒りのせいか、興奮しているからか、ばくばくと大きく動く心臓の鼓動を、全身で感じる。


「……悪かった」


 そんな詩桜の様子を見て、我に返った灯真は、冷静さを取り戻したようだった。


 そして同じく我に返った詩桜は、自分の今の発言にサーッと血の気が引いてゆく。


 今のが、自分の本心? 吸血鬼なんて、全員いなくなればいいというのが?


 もしそうだとしたら、自分は星巫女失格だ。


「お前を、怖がらせたかったわけじゃない。ただ……俺にとってお前との過去は……軽く捨てられるような、薄っぺらなものじゃなかった」


 灯真はそれだけ言うと、詩桜を残して屋上から出て行ってしまった。


「灯真なんて……」


 大嫌いともう一度呟こうとして、でもやめた。


 こんなのただの八つ当たりだから。


 自分に自信が持てないことを、人のせいにする自分は、なんて醜いのだろう。


 こんな考えを持っていた自分に、嫌気がさす。


 一人取り残された詩桜は、その場にうな垂れ、自己嫌悪に陥っていた。

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