第15話 すれ違い

 その日の夜は空気が重く淀み、嫌な雰囲気を肌で感じた。


「今日の煮物も、美味しい」

「……ああ」


 ただいまの日向家は、新しいお手伝いさんを募集中のため、家事全般、詩桜と灯真が分担している。

 そして、意外だが料理に関しては、灯真のほうが手際も良く美味しかった。


「灯真って、本当にお料理が上手だね」

「……ああ」


 保健室の一件から、灯真の様子がどこかおかしい。いくら詩桜が話し掛けても上の空だ。

 夕飯の時間となり食卓を囲うものの、会話が弾まない。いつもだって賑やかなわけではないのだけど、なんとなく沈黙が詩桜に重たく圧し掛かる。


「どうしたの? 具合でも悪いの?」


 食も進まぬ灯真が心配になり、詩桜は隣に腰をおろすと彼の額に手を伸ばした。


「熱は、ないようだけど……っ!?」


 だが、手を掴まれたかと思えば、あっという間に引き寄せられる。灯真に覇気がなかったせいで、油断していた。


「熱なんてない。ただ……あいつを殺し損ねたことが、気掛かりだと考えていただけだ」


 あいつとは、今日突然現れた謎の吸血鬼のことだろうか。

 不穏な言葉と不機嫌な眼差しに戸惑いつつ、詩桜も昼間のことは気に掛かっていた。しかし。


「……なんでお前は、俺を拒むんだ?」

「ど、どうしたの、急に」


 灯真が気に掛けているのは、詩桜の思うところとは違うようだ。


「急じゃない。答えろよ」

「そんなこと言われても……普通拒むでしょ。血を飲まれるのは、痛いし怖いもの……普通、拒むものだと」


「なんだ、その連呼する普通って」

「普通は、普通だよ。灯真がするのは、普通じゃないことばかり……普通は、好きでもない人と、き、キスしたりも、しないものだし」


「好きじゃないなんて誰も言ってない。食い尽くしてしまいたいほどに、お前の血に焦がれてる。お前は俺の果実だっていつも言ってるだろ」

「っ……そんなの普通の好きじゃない」

「これが俺の普通だ」


 あっさりと灯真に押し倒され、いつものように詩桜の視界に入るのは、灯真と居間の天井だけになる。


「……早く俺のものにしないと、また得体のしれない男たちに、お前が狙われるかもしれない。契りを交わせば、そんな心配なくなる」


 頬を撫でられ、詩桜は戸惑いの目で彼を見上げた。


「花嫁の刻印が、他の吸血鬼からお前を守る。俺は、他の誰にもお前に触れさせたくない……なのに、なんで拒むんだ」


 見つめてくる切なげな金の瞳は、吸い込まれそうなほど魅惑的だけれど……吸血鬼に備わる魅了の力に流されてはいけない。


 なけなしのそんな理性が、詩桜を動かした。


「じ……呪符退魔!」

「グッ」


 隙を突いて発動させた術に灯真は弾き飛ばされ、詩桜は今の内だと逃げ出す。


(危ない。ダメ、受け入れちゃダメ!!)


 そんな詩桜を、いつもとは違い灯真が追い掛けて来ることはなかった。






 だが、次の日になっても灯真の機嫌は戻っていないようだった。


 今朝は、詩桜が目を覚ますと朝食とお弁当だけ用意されており、灯真の姿がない。こんなことは初めてで、なんとなく落ち着かないまま登校すると、教室に灯真の姿はないものの席に彼の鞄だけ置いてあった。


「おはよう、詩桜。白波瀬くんの席なんかじっと見て、どうしたの?」

「遥ちゃん、おはよう。あの……彼は、もう登校してるのかなって」


「さあ、見かけてないけど……なんで?」

「ちょっと、気になって……」


「ふーん……喧嘩でもしたの?」

「そういうわけでもないと思うんだけど……」


 押し倒されて灯真を弾き飛ばすことは日常茶飯事なので、あれは喧嘩じゃないはずだ。

 でも、灯真の態度がどこかよそよそしいのは確かで……朝からモヤモヤと気持ちの晴れない詩桜は、ふぅっと小さく溜息を吐いた。


「大丈夫? 朝から冴えない顔してる……そうだ、気分転換に屋上へ、外の空気でも吸いに行ってみれば?」


「屋上?」


「うん。白波瀬くんが教室に来たら、詩桜が探してたって伝えてあげるよ」


 詩桜は落ち込んだ時など、いつも屋上で一人気分転換をしている。そのことを遥も知っていて、提案してくれたのだろうと思った。


 遥のそんな優しさを受け、詩桜は頷き屋上へ向かう事にしたのだった。

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