第13話 謎の吸血鬼

 保健室に入ると、独特の消毒液の匂いが鼻腔をツンと刺激した。


「あれ、保健室の先生いないみたいだな」


 月嶋に続いて、詩桜も初めて入った保健室を見渡す。

 窓際には書類の重ねられた机があり、奥のほうには空いた白いベッドが三つ並んでいるが、人の気配はない。


「月嶋くん、わたしなら大丈夫。寝たらよくなると思うから教室に戻って」

「でも、具合が悪いときに一人じゃ心細いだろ。先生が来るまで付き添うよ」

「いえいえ、お気を遣わず」

「ほら、いいから。遠慮しないで寝て」


 そんな風に優しくされても、仮病なので居た堪れない。詩桜は、罪悪感を覚えながら、具合も悪くないのにベッドに腰を下ろした。


「ごめんなさい、色々と」

 嘘ついて……とまでは白状できないが。


「具合が悪い時は、お互い様だろ」

 少しも迷惑そうじゃない、人がいい笑顔だ。


 そういえば月嶋は、灯真と一緒にいるのをたまにみかける。あんな困った人と一緒にいれることからも、その心の広さが窺えると詩桜は思った。


「月嶋くんって、いい人だね」

「うん、よく言われるけど……喜ぶべきか微妙なとこだよ」

「悪い意味なんてないと思うけど」

「だってさ、女の子ってなんだかんだ言って、白波瀬みたいなのがいいんだろ? おれって、いつもいい人止まりなんだよな……」


 女子はみんな灯真みたいなのがいいだなんて、とんだ偏りのある考えだ。


「白波瀬はいいよな。顔はいいし、背は高いし、声は良いし、クールでそのうえ文武両道の御曹司って……」


 月嶋だって、清潔感があって爽やかじゃないかと詩桜は思う。なにより優しげな笑顔は魅力的だ。


「灯真は、クールというよりクレイジーというか……」

「はははっ、春宮って意外と真顔で毒吐くんだな。おれは、白波瀬嫌いじゃないよ。分かりづらいけど、あいつって結構いい奴だし」

「えっ……いい人というのは、遥ちゃんのような人に使う言葉では?」


 あとは辰秋と月嶋。この三人ぐらいにしか優しくされた記憶がないのも、寂しいことだが。


「いやいや、白波瀬が可哀相だって……でも、そうだな、河合さんはとっても素敵だよね。それには深く同意するよ……あ、あのさ! それで、こんな時に悪いんだけど、春宮に聞いてもいいかな」

「え?」


 わたしに答えられることなら、と言うつもりだったのに、月嶋の背後、二階の窓硝子の外から見えるものに、詩桜は硬直した。


「河合さんってさ、どんな男が好きなのかな、なんて。聞いた事とかある? おれでも気薄な望みはあるかな……って、春宮、聞いてる?」

「全然聞いてないです」

「聞いてよ!」


 正確には、聞いてあげられる余裕がない。

 なぜなら月嶋の背後、窓の外に見知らぬ男が浮いているから……ちなみにここは二階なのに。


 そして、それは一瞬の出来事だった。


「春宮、危ないっ!」

 突然足元から詩桜に絡み付こうと氷のツタが出現する。それは、咄嗟に庇ってくれた、月嶋の身体を拘束した。そのまま彼はグルグルと絡まる氷のツタに、全身の自由を奪われ吊るし上げられる。


「月嶋君!?」

「チッ、なんだ。かかったのは不味そうな男か」


 舌打ちをして、見知らぬ男が二階の窓から現れた。


「うわぁあぁあぁあぁっ!?」


 メキメキと音を立てる氷のツタに締め付けられる月嶋は、眉を顰め悲痛な声を上げる。

 先ほどまで平穏だった保健室は、氷漬けの世界となった。床もベッドも椅子もすべてが、氷に侵食される。


 そのまま振り回され地面に叩きつけられた月嶋は、意識を無くしぐったりとしたまま、半身を氷漬けにされ氷柱に吊るし上げられた。


 使い手の圧倒的な力に、詩桜は警戒の色を強める。


「あなたはいったい」

「クク、隙だらけだな」

「っ!?」


 後ろから出現した氷のツタに両足を捕られた詩桜は、そのまま逆さ吊りにされた。その姿を、男がニヤニヤと見上げてくる。


「今すぐに星巫女候補の座を降りろ。星巫女の存在など、我々は望んでいないのだ」

「っ、だれなの?」


 見知らぬ青年は、五高制服は着ておらず、浮世離れした雰囲気を醸し出している。

 美しいけれど陰険そう。そんな容姿と、口元に見えるのは牙。着物をゆるりと着こなす姿から、吸血鬼なのだと察する。


「ああ……貴様、美味そうだな。絶対美味い。誘惑するようなこの香り、甘美な果実に違いない」

 舐めるような視線が、詩桜の身体に纏わりつく。


「星巫女候補が開花する前に、潰してしまうのが目的だったが……他の吸血鬼に摘まれる前に、余が喰ってやろうか」


(なにこの吸血鬼。灯真並に言葉が通じなさそう……)


 人間を喰おうとする吸血鬼の本能を持ち合わせる男に、詩桜は恐怖を覚えた。


「ほう、近くで見れば愛い顔をしてる」

「っ!?」


 謎の吸血鬼が詩桜をまじまじと至近距離で観察してくる。


「純血種にとって、光の時間とは力を乾されるようなもの」


 男が囁くように言う。確かに、灯真もよく気だるそうにしている。先程も、詩桜が教室を出て行ったのにも気付かず、寝ていたし。彼の場合は、空腹のせいで、夜だって気だるそうだけど。


「だが、甘美な果実で喉を潤せば、乾された力も蘇るのだ」


 吸血鬼は、皆同じようなことを言って襲ってくる。昔からそんなことばかりだった。


 凶鬼の存在ならば、舞で鎮めてしまうこともできるが、正気なのに理性にかける吸血鬼というのが、一番たちが悪いかもしれない。

 この状態じゃ逃げることも戦うこともできないというのに。


「怯えているのか? 余は、恐怖に冷えた女の血が、なによりの好物なのだ」

「はな、して……」


 情けないけれど声が震えた。

 吸血鬼に血を吸われるのは、何度されても怖い。たくさんのトラウマが蘇るから。


「クククッ。なあ、娘。巫女候補を辞めるならば、そこの男を解放してやってもいいのだぞ」

「っ、それは……できません」

「ほお……」


 氷漬けにされている月嶋にを見ると、このままじゃよくないことは分かるのだけれど。


(……わたしから、星巫女を取ったら、なんの価値も残らない)


 この期に及んで自分の中に浮かんできた言葉は、なんて身勝手なものだろう。

 星巫女候補の地位に縋っている。それだけが、唯一の自分が生かされる意味だったから。


「そこの男を見捨ててでも、自分のために星巫女になりたいとは、見かけによらず強欲な娘だ」


 月嶋がどうなってもいいなんて、思っているわけじゃない。でも、このまま自分が、星巫女候補ですらなくなってしまったなら……きっとすべてを失ってしまう。辰秋からも見捨てられてしまう。


 詩桜が迷っているうちに、氷が足を伝い、徐々に侵食するように身体を凍らせてゆく。寒い。


「そろそろ食べごろのようだ」

 男は冷徹な微笑みを浮かべ、口を開く。


「っ、ぃ――」


 言葉にならない小さな悲鳴が、詩桜の口から零れた。

 男は逆さ吊りのままの詩桜に容赦なく牙を突き刺す。


 痛みと共に甘い痺れが詩桜の全身に広がった。

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