第10話 不届き者
放課後、詩桜は日課のために、いつもの場所へと寄り道をした。
星翔神社へ続く、長い石造りの階段を上り終え、境内に入ると、白壁に鉄の扉で閉ざされた建物がある。そこは、この村を中心に張り巡らされた結界の、要である蒼水晶が守られている封陣の間。
星巫女候補でしかない詩桜が祈りを捧げても、なんの反応もないのだけれど、最近は毎日掃除と祈りを欠かさないようにしていた。
だが、今日もバケツと雑巾を手に、いつもと同じようにその場所へ近付いた時だった。
「…………?」
なにか違和感を覚え立ち止まる。
そこは星巫女と守護者の資格がある者以外、立ち入ることが許されていないはずなのに、中から人の気配を感じたのだ。
扉につけられていた、大きな南京錠も外されている。
「灯真?」
詩桜は恐る恐る、重い鉄扉に体重をかける。ぎぎっと錆付いた音を立て、扉は開いた。
部屋に籠もっていたひんやりとした冷気が、足元を流れる。
「だ、れ?」
窓一つない封陣の間には、ぼんやりと光る巨大な蒼水晶が宙に浮いている。
それだけで室内は十分と照らされるのだ。だから、しっかりと確認できた。中にいる人物が灯真ではない、誰かだということも。
「…………」
黒装束を纏う男は、無言のままこちらを一瞥する。
詩桜もあわてて武器を探すが、今手元にあるのはバケツに雑巾に箒……これで、どう戦えと……。
咄嗟の対応ができず、おろおろしている詩桜を尻目に、黒装束の男は平然とした態度のまま、部屋の中心にある蒼水晶の前に立つ。
嫌な予感がした。もし、蒼水晶を破壊されでもしたら、封印の陣は力を無くし、日ノ本中に妖し風が吹き荒れるだろう。
「そこから離れてください!」
封陣の間へ、箒とバケツ片手に飛び込んだ詩桜に、黒装束の男が振り向く。
顔は目より下が布で隠されているので、面立ちもよく分からない。ただ、詩桜から視線を逸らさない真っ直ぐな眼差しに、なぜか胸の奥がひどく騒いだ。
男はすぐに蒼水晶に向き直り、ダンッと拳でそれに一撃をくらわせる。男の拳からメラメラと黒い炎のような影が溢れ出し、水晶を闇が浸食してゆく。
ピシッ、ピシッと亀裂が入る嫌な音が鳴りはじめた。
「ダメッ!」
武器を持っていない自分が、今できることなどたかが知れている。それでも見逃せるはずがない。詩桜は男に向って、箒を振り上げる。
「っ!」
振り下ろされた箒を、男は難無く飛び退いて避けた。
けれどそれでいい。詩桜もこれで男を伸せるなどとは、考えていなかった。
水晶から男を離すことができれば、それでよかったのだ。
「呪符退魔! 急急如律令!」
渾身の霊力を籠め、男に向って手持ちの札を投げつける。しかし。
「効かないっ」
それはつまり、相手が魔属性ではなく人間か、はたまた詩桜の霊力を跳ね除けられるほどの、強敵ということだ。
だが、ここで怯んでいる場合じゃない。
「ッ!」
近くに転がっていたバケツを掴み、男に投げつけると、男が腕でそれを弾いている隙に、箒を持って跳ね上がり、刀代わりに頭に一撃をくらわす。
攻撃力は低いが、どうにか急所を狙えればと、再び箒を振り上げる詩桜だったが、男は詩桜の手首を掴むと、そのまま力任せに押し倒し詩桜の動きを封じた。
「あなたは、一体何者ですか?」
「僕の名は……アカツキ」
アカツキさん。警戒の眼差しで詩桜がその名をつぶやくと、男は面白そうに目を細めた。
「……いいね、その目。君に、そんな風に見つめてもらえる日がくるなんて」
「一体なにが目的なの?」
「君に星巫女の座など似合わない。だって、君は光ではなく、闇に愛された姫君だ」
「っ……どういう意味ですか?」
「分かっているくせに。星巫女の座に相応しいのは、君じゃないよ。光に愛されたのは、あの子だけ」
「あの子って、くっ……」
「今はまだ、手荒な真似はしたくない。大人しく眠っていて」
「なに、をっ」
なんとかもがいて男の絞め技から逃れようとするが、口元に薬品の匂いがする布を押し当てられた途端、意識が遠のいてゆく。
「ん~~~~っ!!」
(だめ……意識が……だめなのに、倒れている場合じゃないのに……)
「無理だよ。今の君に、僕を捕まえることなんて。一時のさよならだ、闇のお姫様」
男がなにか言っている。けれどそれすら上手く聞き取れないまま、詩桜は意識を手放してしまった。
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