第7話 彼の想い人……。

 灯真は、幼い頃に出会ったという星巫女候補に、焦がれているらしい。そして、彼は現在この世に一人しかいない星巫女候補である詩桜が、その少女だと思い込み執着している。


(本当は違うのに……わたしは、灯真の想っている星巫女じゃない)


 詩桜には、灯真と幼い頃に会った記憶などないのだ。ずっと幽閉されていたのだから、会えるはずもない。


 だから灯真に優しい目で見つめられるたび、自分じゃない誰かへの感情を向けられているのだと思うと、複雑な気持ちになる。


 彼は、人違いをしている。


 けれど、真実は誰にも言えない。


 自分が、偽物の星巫女候補だと言う事実を知っているのは、義雄と辰秋含め、日向家のごくわずかな人間だけなのだから。



◇◇◇◇◇



 あくる日の昼下がり。


 麗らかな日差しに春を感じながら、詩桜は縁側に腰を下ろし、素足をぶらぶらさせながら、砂紋広がる庭先を眺めていた。


 錦鯉の泳ぐ石囲いの池の水面には、ひらひらと舞うようにして散る桜の花弁が浮かんでいる。


 桜の木で羽を休める鵯の鳴き声と、庭に響く猪脅しの音を遠くの方で聞きながら溜息を零す。


「どうした、詩桜。日向ぼっこか?」


 突然背後から感じた気配に振り向くと、辰秋がいた。


 詩桜と同じく両親のいない辰秋は、中学まで祖父である義雄に面倒をみてもらっていた。


 村長の跡を継いだ今も飄々としているけれど、内心葛藤もあるのではないだろうか。実の祖父の罪を公にするのには、どれだけの覚悟が必要だったのだろうと詩桜は思う。


「辰秋さん、お出掛けですか?」

「ああ、なかなかきまってるだろ」


 今日辰秋は、帝都で開かれる五芒星会合という、結界を守りし五家と、星翔村の長の集まりに出席するのだと言う。


 そのため、普段は着ないスーツを着こなしている。


 黒いスーツの中は、緩めたネクタイに赤いワイシャツ。さらに、サングラスまで着用し、どうにも会合に出席する長とは思えない風貌だが。


「……その格好で行くんですか?」


 辰秋はガタイが良く、キリッと釣り上がった目つきも相まって、ただでさえ、相手に第一印象で畏怖を与えてしまうような面立ちなのに。


 そのうえこんな格好をしては、どこかのごろつきに見えてならない。


「カッコイイだろー。しっかり、五芒星会合の皆様方を、威嚇してくる」

「威嚇してどうするんですか」

「はは、若輩者だと舐められちゃいかんと思ってな」


 辰秋は、今年で二十五歳だったか。確かに長としては若い。だがその風貌と、つねに堂々とした態度から、舐められることはなさそうだが。


「そういうことだから、今日からしばらくの間、俺様は家を空けるぞ」

「えっ」


 会合に出た後、挨拶回りをしたり、夜会にも出席と大忙しらしい。


「なんだ、寂しいのか? でも、そんなに不安そうな顔は、しなくても大丈夫だ。灯真殿がいるからな」


(……だから不安なんですよ)


 退魔の札を、多めに準備しておく必要があるかもしれないと、詩桜は密かに思った。


 あの困った吸血鬼は、油断するとすぐに味見と称したくちづけを、してこようとするのだから。


「なんだ、難しい顔して。灯真殿が苦手なのか?」


「苦手と言うか……彼は、勘違いしてるんです。わたしが、偽物だって知らないから」


 その昔、自分よりもっと相応しい星巫女候補が、他にいたのに……その少女は死んで、生き残ったのは自分だった。


「お前さんは偽物なんかじゃないよ。もう、誰にもそんなこと言わせないさ」


 言いながら、サングラスを左胸のポケットに納めた辰秋は、詩桜の隣で胡坐を掻いた。


 生まれた時から凶鬼を呼び寄せてしまう、特殊な体質だった詩桜は、幼い頃、魔の化身と罵られ、星巫女に匹敵する霊力を持ちながらも、認められず疎まれていた。


 それでも、とある事情から星巫女候補でいなければならなくて、村人たちに魔を呼び寄せる体質を隠すためにも、星巫女とは名ばかりの幽閉生活をしいられ、ただ生かされてきたのだ。


 それにおかしいと意を唱え、詩桜に外の世界を教えてくれたのが辰秋だった。


「ところで、どうだ。学校のほうは、ちゃんと上手くやれているのか?」


 幽閉状態だった詩桜は、つい数カ月前まで学校にすら通わせてもらったことがなかった。


 もっぱら、勉強は家庭教師。高校は通信制の学校に在学、という形だったものだから、高一の冬に転入し、初登校の日には驚きの連続だった。


 そんな詩桜の反応に、保護者として着いてきてくれた辰秋が、幾度も苦笑いしていたのを思い出すと、今さらながら恥ずかしくなる。


「今は……だいぶ慣れたと思います。お友達が出来たんですよ! すっごく美人で、優しくて、素敵な子なんです」


 少しはにかみながら珍しく熱弁をする詩桜に、辰秋も「そうかそうか」と相槌を打ち、微笑み返してくれた。


「それはよかったなぁ。最初は、あまりの世間知らずっぷりに、俺様も心配が尽きなかったんだが。今は、灯真殿もいてくれることだし安心だ」


「そ、そうですね……」


「なんだ、なんだ。その引き攣った顔は。灯真殿は、仮にも封印の陣を守る仲間だろうよ」


 言葉にしなくとも、仲良くしなさいと言われているような気がして、詩桜は思わず渋い顔をしてしまった。


 初代星巫女は、五家に五芒星の陣を形成する、五つの石と誓い刀を託した。

 人間と吸血鬼に隔てなく託したのは、二つの種族の共存を願った、星巫女らしい配慮だと言われている。


「この村が、今大変な状態なのは、前に教えただろう」


「はい、結界の力が弱まり、星翔村に届く妖し風を、封じきれなくなってきているんですよね……」


「それだけじゃない。凶鬼派の吸血鬼たちの組織『緋夜あかよつき』が、人間に危害を加える事件も増えてきた。星巫女不在の現状を、好機に思っているんだろうな」


 凶鬼派とは、少数だが、人間を食料としてしかみなしていない、厄介な吸血鬼たちの事だ。

 普段は、そんな嗜好を隠し、人間と共存する吸血鬼の中に潜んでいるようだが……いつの間にか、組織を作っていたとは。


「それでだ。ほれ」


 ひょいっと、辰秋が投げてよこしたのは、詩桜の両手にぽんっと乗せられるサイズの羅針盤。


 その中には、星翔村を中心に張られた、五芒星の陣のミニチュアが浮かんでいる。ただ、星を繋ぐ五つの光は、不安を覚えるほどあえかなものだった。


「歴代星巫女がご愛用されてたらしい、星の羅針盤だ。夜空に浮かぶ星を示すものではないぞ。これで、五芒星の陣の様子が見れる。なにかの役に立つかもしれない」


「そ、そんな大切なもの、軽々しく投げてよこさないでください」


「まあまあ。この板の上で浮かぶ光の線が、今の日ノ本中心部に張り巡らされている、結界の現状だ。そして、その線を指で辿る先にあるのが、五色の小さな石」


 辰秋の話によれば、それが示すのは守護者五家、それぞれの本家。


「つまり、封印の陣がちゃんと機能しているか、状況を調べるために作られた羅針盤ですか?」


「だろうなぁ。この前、星翔神社の蔵を漁っていたら、偶然でてきた」


「……まさか、無断で持ってきたんじゃ」


「ハハハ、さすがの俺様も、そんなこそ泥染みた真似はしないさ」


 暢気に笑っているけれど、がさつな辰秋なら、悪気なくやりかねないから心配だ。


「俺様が次に村へ戻ってくる時には、お前さんが覚醒した星巫女になってることを、期待しているぞ」


 と無責任に言い残し、辰秋は帝都へ旅立った。

 詩桜と灯真、二人を残して……。


(何事もなく過ぎれば良いけど……)


 これから数日、灯真と二人暮しかと思うと、気が重くてならない。

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