第3話 最悪な出会い

 星巫女候補の地位にいながらも、肩身の狭い思いをしてきた詩桜は、いずれ別の娘が星巫女として選出されれば、始末される定めだとずっと村長に言われてきた。


 そんな詩桜に、外の世界を教えてくれたのが辰秋だ。彼と出会い、詩桜はいずれ殺される定めに抗い、星巫女として認められるよう頑張ろうと思った。


 けれど……そんな日は、訪れなかった。


 粛清が執行される当日の夜、車に乗せられ、人気のない竹林まで連れられる。


 抵抗もせず、泣くこともない詩桜の様子を、隣に座る監視役の男が気味悪そうに見ていた。


 運転手も監視役も皆、高瀬家の関係者のようだ。新たな星巫女候補の陽菜は、前を走る車に乗っており、義雄は詩桜の最後を見届けることもなく、屋敷に残っている。


(これでもう、わたしが次の朝を迎えることはないんだ……)


 自分は何のために生まれてきたのだろう。


 窓の外に浮かぶ月を眺めながら、一瞬そんな思いが過ったけれど、考えたって意味がないとやめた。


「降りろ」


 気が付けば、粛清の儀式を行う場所に着いたようだ。


 人も寄り付かない、不気味な竹林の中で、人目を忍んでそれは行われるらしい。


 魔の化身が粛清されるのだ。もっと見せしめのように、されるのかと思っていたが……。


「お嬢様、刀をお取りください」


 漆黒のスーツを着た男が跪き、巫女の正装を着た可憐な陽菜に日本刀を差し出す。


 陽菜はそれを無言で受け取った。


 詩桜はそれを、星巫女だけが扱える『ちかがたな』と呼ばれる刀かと最初思ったが、どうやら違うようだ。誓い刀は、星巫女として覚醒した者にしか扱えない代物。さすがの陽菜も、まだそれを村長から託されては、いないらしい。


「ふぅ……さすがに生きている人間を斬ったことはないので、少し緊張しちゃいます」

 そう言いながらも、陽菜は躊躇なく鞘から抜いた日本刀の先端を、詩桜へと向ける。


「ああ、でも違いましたね。詩桜さんは、凶鬼を引き寄せる魔の化身。化け物と変わらない存在でした」

「っ……」


 詩桜は、きゅっと下唇を噛みしめ、静かに目を閉じた。


「…………?」

 が、心臓を貫かれるかと思った衝撃は、訪れない。その代りに聞こえてきたのは。


「グルルルルルルルル」

「な、なんですの!?」


 低く不気味な呻き声と、陽菜の少し怯えた声だった。


 目を開け辺りを見渡すと、闇に浮かぶ紅蓮の双眸が、いくつもゆらゆらと火の玉のように、詩桜の香りに寄せられ近づいてくる。


「凶鬼っ、あなたが魔の力で呼び寄せたんですか?」


「ち、違います」


「しらばくれないでください! さすが、魔の化身」


「っ……」


「お嬢様、危険です! おさがりくだっ、ぐあっ!?」


 護衛に着いてきていた三人の男たちが、陽菜を守るように飛び出して来た。だが、護衛たちは無残にやられ、その場に崩れ落ちる。


「いやっ、いやっ、こっち来ないで!!」


 日本刀を振り回し、なんとか身を守っている陽菜だったが、護衛たちが一瞬でやられたのを見て、足が震えている。彼女が凶鬼を目にしたのは、これが初めてだったのかもしれない。


『清めの舞い』


 詩桜は闇を祓う舞いで、一体二体と凶鬼を浄化してゆく。武器を持たされていない今の自分にできるのは、それだけだから。


 けれど、次から次へと、凶鬼たちが引き寄せられてくる。本当にキリがない。


 それでも自分が舞いを止めれば、陽菜諸共喰われてしまう。新たな星巫女を失うわけにはいかない。


 だから必死で詩桜は舞い続けた。


 けれど……やがて力を消耗した詩桜の身体から閃光が消え、そこでピタリと力が止んでしまう。


「っ……」

 よろけた詩桜は、その場に倒れてしまわぬよう、なんとか堪える。


「きゃーー!!」


 その時、陽菜の絶叫が聞こえた。いつの間にか腰を抜かし、へたり込んでいた陽菜に向って、凶鬼が飛びかかろうとしている光景が、詩桜の視界に入ってきた。


「危ないっ!!」


 こういう状況は、初めてじゃない。昔、目の前で凶鬼に襲われた少女を、助けることができなかったトラウマが蘇る。


 その瞬間、詩桜の身体が勝手に動いた。


(本物の星巫女を死なせちゃだめだ、守らなきゃっ!!)


 凶鬼と陽菜の間に飛び込み、蹲る彼女を庇う。


 本物の星巫女を生かすために死ねるなら本望だ。


 いつか、こういう日が来ると思っていた。自分が死んで悲しむ人なんていない。だから、覚悟を決め目を閉じた。でも。


「グアァアァアァアァッ!?」


 耳を劈くような叫び声がして、再び目を開く。

 こちらに襲い掛かろうとしていた凶鬼たちが、倒れている。


(いったい誰が……こんな数の凶鬼を相手に)


 警戒しながら辺りを見渡し、横たえる凶鬼たちの中心に、佇む存在に気が付いた詩桜は、息を呑んだ。


「……だれ?」


 一目でその人物も吸血鬼だと分かったけれど、その双眸は燃えるような紅蓮の瞳ではなかった。


 月を連想させるように美しい、黄金色の瞳をしている。


(凶鬼化は、していない?)


 ならば男から発せられているのであろう、このやけに耳につく音はなんだろう。


 ぐるるるる。ぐるるるる。獣の鳴き声とも違う、呻き声とも違う。そんな音が凶鬼の倒された今でも、響き続ける。


「あぁぁ……た、助かったの、わたっ、わたくしっ……あなたは灯真さまっ」


 陽菜はガチガチと歯を鳴らし怯え、けれど男の顔を確認した途端、安堵したように表情を和らげ、そのまま意識を失ってしまう。


(灯真様? どこかで聞いた覚えが……)


 詩桜は、よろよろとしたまま、けれど男が手を差し伸べる前に身構えた。


 この男が吸血鬼であることは間違いない。それも、かなり良家の吸血鬼かもしれない。吸血鬼特有の人を魅了する美しさ。そして和装姿から漂う気品、只者とは思えない。


 青墨色の髪に金色の瞳をもつ吸血鬼。その匂いたつような色気が原因か、詩桜は見つめられ思わず息を呑む。


 男は無言のまま目を細め歩み寄って来た。


「……詩桜」


 名を呼ばれる。どうして、わたしの名前を知っているの? そう聞く間も与えられなかった。


 次の瞬間には、その吸血鬼に強く抱きしめられていたから。頭の中が真っ白になる。


 長身の男に華奢な詩桜の身体は、すっぽりと包み込まれ、上手くもがくこともできない。


「――たかった」


 耳元で囁かれた言葉。「会いたかった」と、そう言われたのだろうか。


 なぜだろう。自分を包むこの見知らぬ温もりに、懐かしさのようなものを感じる。


 けれど、もう一度、耳を傾けて確かめたその言葉は……。


「――いたかった。喰いたかった、詩桜。ずっと、お前を」


「くい、たかった?」


 会いたかったじゃなかった。喰いたかった? 一文字違いの、随分と意味の違う言葉。


 その時になって詩桜はようやく、辺りに響く謎の音の正体を理解した。


「無事でよかった……今すぐにお前が欲しい」


 詩桜の耳に届いていたのは、凶鬼化した者の呻き声でもなんでもなくて、強烈に鳴り響く、謎の男の腹の虫だったのだ。


「っ!?」


 なにをする気かと問う前に、彼が顔を寄せてきたので、吸血されるのかと硬く目を瞑ったが……喰われると思った詩桜に降りかかってきたのは、唇への噛み付くようなくちづけだった。


 されるがままにくちづけられた詩桜は、その行為が終わった後、呆然と自分の唇に指で触れた。


「ほんの味見だろ。そんな顔するな」


 そんな顔ってどんな顔? 今、自分がどんな顔をしているのか分からない。


(もう、やだ……なにもかも疲れた……)


 詩桜は、あまりの衝撃と今までの疲労がどっと押し寄せ、そこで意識が遠のいた。


 それが白波瀬灯真と名乗る吸血鬼との、詩桜にとっては最悪な出会いだった。

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