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乾杯だけで退席する予定だったドルクルト侯爵だったが旧友ダンコム伯爵と話が弾んで、いつまで経っても立とうとしない。お陰でリザイデンツは侯爵に付きっ切りだった。
しかし、とジュリモネアが思う。ジョルデンテ兄さまの晩餐会とまったく違う。大勢のお客様、楽師が奏でる音楽、あちこちから聞こえる笑い声、フロアはダンスを楽しむ客たちで賑わっていた。でも、ここには客と呼べる人は誰もいない。
まぁ、あの晩餐会はダンコム伯爵家の王都の別邸で開かれた晩餐会だもの、貴族が大勢来ても当たり前だわ。
「婚姻披露のパーティーって王都でも開くのかしら?」
ドルクルト侯爵家も王都に立派な屋敷を持っている。ジュリモネアの質問に、ワイングラスを口に持って行っていたキャティーレが、チラリと視線を動かした。
「王都でも晩餐会をしたいのか?」
ワイングラスをテーブルに置いたキャティーレが訊き返す。とっくにジュリモネアから視線を外していた。
「いずれ婚姻のご報告のため、国王に会いに行かねばならない。その時、わたしが出席しなくていいのなら、ジュリの好きなようにするといい」
「キャティーレが居なくちゃ、婚姻披露のパーティーにならないわ」
「では、やらなければいい」
「パーティーは嫌い?」
「一人でいるのが好きだ。ジュリ以外と居るのは苦痛」
ムフッとジュリモネアが頬を染める。
「わたしならいいのね?」
けれどキャティーレは答えない。怒ったような顔でソッポを向いた。もちろん『愛の呪縛』の効果も相まってキャティーレが自分に夢中なのが判っているジュリモネア、不安も不満も感じない。素直じゃないところも可愛い、なんて他人が聞いたら呆れかえりそうなことを考えている。
広間の上座に居るのはキャティーレとジュリモネア、ドルクルト侯爵と彼に付き添うリザイデンツ、そしてダンコム伯爵夫妻のみ。ジュリモネアのすぐ下手にはナミレチカとエングニスの席が用意されていた。そしてそこから大きく離れて、屋敷に仕える者たちの席が置かれていた。完全に身内だけの晩餐だ。
「で、王都にはいつ行くの? わたし、国王に会うのは初めて」
「父上の容態次第だな――すぐには行けない」
本音では、王都になど行きたくないキャティーレだ。またネルロに『昼間のキャティーレ』役を頼まなくてはならなくなる。もっとも、頼んで宥めるのはリザイデンツの仕事だ。本来ならば上から目線で命令したいところだが、なにしろキャティーレにはネルロに会う手段がない。
そしてそんなことよりも、昼間ネルロがジュリモネアと過ごすなんて許せない。こうなると王都行きを先延ばしする理由……侯爵の容態が
もしも万が一、ドルクルト侯爵に何かあれば、キャティーレも王都に行かざるを得なくなる。爵位を継承した報告は絶対に欠かせない。婚姻の報告をしていなければ妻を伴うようにと言われるだろう。何か婚姻報告をしないですむ方法はないか?……旨そうに料理を平らげていくジュリモネアを盗み見ながら考えるキャティーレだ。
まぁさ、わたしだってなにも別に、華やかな席が好きってわけじゃないわ。だけど、一生に一度くらい『主役』になってみたいじゃないの――次々に料理を口に入れながらジュリモネアが思う。あら、このお料理、すっごく美味しいわ。
そうじゃなかった、王都に行くことを考えてたんだ。もちろん王都には何度も行ったことがある。貴族の屋敷で開かれるパーティーにだって何度か行った。楽しそうに踊って笑う人たちの中で、わたし、黙って見ているだけだった……わたしには次期ドルクルト侯爵キャティーレって婚約者が居るってみんな知ってるから。ダンスに誘うのを遠慮したんだわ。
ま、迂闊な相手に見染められて、トラブルにならくてよかったってことよね。こうしてキャティーレの妻になれて、わたしとっても幸せだわ。それにしてもスレンデのお料理はどれも美味しい。ダンコム伯爵家の調理人たちを教育してくれないかしら? ドルクルト侯爵家の使用人たちは幸せね。毎日こんな美味しい料理を食べているのだもの。
あ、マリネがいる……ってことはその隣、仲良さそうに話しているのがスレンデ? マリネよりずっと
子どもたちは一番奥のほうに集められてるみたいね。同じお料理を食べているのかしら? それとも子ども向けにスレンデが調整したのかな? 子どもかぁ……キャティーレは何人くらい欲しいのかしら? 跡継ぎを考えたら男の子ふたりは欲しいわよね。わたしは話し相手になってくれる女の子が欲しいけど。
それにしても……やっぱりネルロはいないのね。
さて、こちらはナミレチカ。ジュリモネアと少し離れたテーブルについる。エングニスと二人でとっても落ち着かないが、そんな素振りはほんの少しも見せやしない。侯爵家の令嬢の侍女に相応しい振る舞いは完璧だ。それは目の前に座るエングニスも同じだ。テーブルマナーは言うまでもなく、ちょっとした仕草もナミレチカに負けていない。そりゃあそうか。農民の子とは言え、幼い頃に両親を亡くし、ダンコム伯爵の屋敷で育てられ、教育されているのだから。
男の子ならきっと役に立つ……ダンコム伯爵はそう見込んで引き取った。そしてエングニスはその期待をいい意味で見事に裏切った。何をやらせてもダンコム伯爵の二人の息子よりも優れていた。読み書きも計算もすぐに覚え、応用までできるようになる。乗馬に剣術、どちらも卒なく熟す。だからと言って召使は召使、けっして特別扱いなどしなかった。息子が二人もいるのだ、その二人を差し置いて養子に、など言えるはずもない。
寡黙で真面目、馬の扱いも巧ければ、いざとなったら剣も扱える。見栄えも悪くない――ダンコム伯爵はエングニスを可愛い一人娘の護衛に抜擢した。もっともその一人娘が婚家にエングニスを連れて行きたいと言い出した時は考えてしまった。手放したくなかったのだ。
しかし、可愛い一人娘、甘やかして育てたジュリモネアが『パパ、お願い』と首に腕を巻き付けて懇願してくればダメだとは言えなかった。エングニスはしょせん召使いだ。変わりは幾らも……まぁ、どうにか見つかるだろう。だがジュリモネアはたった一人の娘だ。ダンコム伯爵に輪をかけて娘に甘い伯爵夫人が『遠い所へ行かせるのです。それくらい聞き届けてあげて』と涙ぐめば、ジュリモネアにエングニスをつけると決心がついた。
もう一人ジュリモネアに付けた侍女のナミレチカが密かにエングニスを慕っているなどと、その時は知らなかった。知ったのはジュリモネアを送り出してから、教えたのはダンコム伯爵夫人だった。
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