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洗濯物を担当者に託そうと、洗濯室に入る直前だった。
「リザイデンツさま、こちらにいらしたんですね」
マリネは届いた書簡を渡すため、リザイデンツを探していたらしい。見るとダンコム伯爵からのものだった。先日だした手紙への返書だろう。
「ありがとうマリネ――申し訳ないがこれを
書簡を受け取って内ポケットにしまうと、汚れ物をマリネに頼んでその場を離れたリザイデンツだ。
さて、どうしよう……リザイデンツが再び迷う。しかし今回は、何をするかで迷ったわけではない。ダンコム伯爵からの手紙をどこで読むかで迷っていた。きっとリザイデンツが『ジュリモネアさまがキャティーレさま以外の男性と恋に落ちてしまいました。いかがいたしましょう?』と書いて送った返答が掛かれていることだろう。
ダンコム伯爵に判断を仰ぐ手紙を出したのは早計だった。まさかこんな形で結論が出てしまうとは……昨夜事態は急変し、こうなったら何がなんでもキャティーレとジュリモネアを結婚させないわけにはいかなくなった。ここに来て、もしもダンコム伯爵がそんな娘ではドルクルト侯爵に顔向けできないとか、娘可愛さで惚れた男と一緒にさせたいとか、そんなことを言ってきたら?
早く開封し、内容を確認したいリザイデンツだが、自室にはネルロがいる。ネルロの前で読むわけにはいかない。かと言って、そのへんで突っ立って読むわけにもいかない。誰かに盗み読みされるかもしれない。
(やはり……夕焼けの小部屋にしよう)
キャティーレとネルロのお気に入りで、リザイデンツ以外の召使いは勝手に入室出来ない部屋だ。ネルロはリザイデンツの部屋でウダウダしているだろうから、一人でじっくり手紙を読むにはもってこいだ。
夕焼けの小部屋のカウチソファーにゆったりと腰を下ろしてから、室内に視線を巡らせる。家具をどかせてしまえばただの四角い部屋だ。庭に面しているものの、直接出ることはできない。大きな窓からレースのカーテン越しに差し込む陽光で、手紙を読むのに支障のない明るさだ。
知らないうちに庭に出て、迷子になるのを防ぐのにちょうどよいこの部屋は、かつては子ども部屋だった。壁紙は張り替えられ、家具も今では違うものだ。別の部屋と言っても過言ではないが、今でもこの部屋に一人でいると幼い頃のキャティーレの声が聞こえそうな気がする。一つ溜息をついてから、内ポケットの手紙を出して開封した。
まず、娘ジュリモネアが世話になっている事への感謝の言葉が綴られていた。そのあといきなり、リザイデンツがダンコム伯爵に判断を仰いだ件についての返答があった。ダンコム伯爵も不測の事態に、早急に手を打つ必要を感じたのだろう。
『娘をどこの馬の骨とも知れない男にくれてやる気はない。こうなったら何しろ早く婚姻式を執り行ってくれ。婚姻が成立すればさすがに、馬鹿な娘も目を覚ます』
そのあとは、国王の誕生祝賀パーティで相対したキャティーレがいかに素晴らしい青年だったかがつらつらと書かれていた。そして
『いくら手紙を出してもキャティーレさまから返事がいただけないと、娘は愚痴っていた。裏を返せば、キャティーレさまを振り向かせたいのだ。だから婚姻してしまえば他の男など忘れ、あの素晴らしいキャティーレさまに夢中になるだろう』
とあった。
祝賀パーティーでキャティーレを気に入ったのは嘘でじゃないだろうが、高収入が見込める領地を保有するダンコム侯爵家の次期当主、母親は前国王の妹で現国王の従妹、いわば貴族中の貴族、こんな良縁を逃したくないのが本心だ。なにしろダンコム伯爵は娘をキャティーレと結婚させたい。このさいジュリモネアの気持ちなどどうでもいい。もっともジュリモネアはキャティーレに夢中になっているのだから、ダンコム伯爵の楽観主義をわざわざ非難する必要はない。
続く文面は、こちらにとっても願ってもないことだった。
『だが現在、ちょっとした問題を抱えていて、ゆっくり貴領に赴く時間が取れない。勝手を言って申し訳ないが、婚姻式を夕刻以降にして貰えないだろうか? 夕刻までにそちらに到着できるよう調整する。婚姻式を終えたらそちらに一泊し、翌早朝には出立したい』
そして、そんな旅程なら都合のつく日にちが書かれていた。
キャティーレの代役をネルロにやらせるつもりだったリザイデンツ、これで説得しなくて済む。それに『婚姻の誓い』を代役ネルロにさせていいものか迷ってもいた。それ以前にきっと、キャティーレが承知しない。自分が宣誓しなくてはダメだと言うに決まっている。
これで二人を説得する大仕事が不要になった。自然と笑みが零れてくるリザイデンツだ。これからさっそく聖堂に行って、婚姻式の日程を決めてしまおう。司祭が嫌がりそうだが拝み倒し、ちょっと高額の寄進をすると言えば頷いてくれる。
難問が次々に解決していく快さ……だが手紙の最後にリザイデンツが顔を
『あの二人はジュリモネアにとてもよく仕えてくれる。今後もジュリモネアの身辺の世話はあの二人に任せてやってくれ』
リザイデンツもそのつもり、今回ジュリモネアがこの屋敷を訪れると決まった時からその話は承知している。だからリザイデンツを不快にさせたのはそんなことではない。
『実は侍女だが、あれは貴族の娘なのに農民出身の男に夢中になっている。一緒に送り込んだ男がそれだ。我が家でそんなことになったと、侍女の親に知られたら顔向けできない。そちらで過ごすうち、恋仲になったことにして欲しい』
保身にドルクルト侯爵家を利用するつもりか?
さらに
『恋する乙女の心を思えば、引き離すのは忍びない。できればそちらで二人を
と続き、リザイデンツが呆れかえる。どの口が『引き離すのは忍びない』なんて言えるのだろう。自分の娘はとにかく、他人の娘の相手なら誰でもいいと言っているのと同じだ。
それに……リザイデンツは気付いていた。ナミレチカは確かにエングニスに惹かれている。だがエングニスは?
(結局、いつまでたっても問題がなくなることはないようだ)
リザイデンツが苦笑する。
(さて、そろそろネルロには自室に戻って貰おうか)
キャティーレの部屋はもう片付けてある。昨夜の痕跡は残っていないはずだ。
ネルロを体よく追い出したら、すぐに聖堂に出かける支度をしよう……聖堂に行くなんてネルロには言えなかった。言えばまた、わんわん泣いてリザイデンツを離さなくなる――
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