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 結局、ジュリモネアの部屋に鍵をつける話はどうなったのだろうと思いながら、厨房に行ったリザイデンツだ。


 厨房では夕食の支度を始めたところだった。料理長と打ち合わせをしていたマリネに、下げてきた食器類を渡す。ネルロが飲み食いしたものだ。


 料理長のスレンデがリザイデンツに言った。

「夕食なんだけど、ジュリモネアさまがキャティーレさまとご一緒を望まれているんだが?」


「ご一緒ってのは、同じ献立がいいって意味か? それとも?」

「それとも、のほうだよ。歓迎の晩餐の途中で退出したんだって? しかもまったく食べなかったって。えーーと、なんだ? お嬢さまの侍女が苦情を言いに来たんだ」

「あぁ、ナミレチカだね。苦情? どんな?」


「途中退席は魔獣が原因、だからそこに文句はない。でも食べなかったのはキャティーレさまの嫌いなものを出したからじゃないのかってさ」

「そうか、それは済まなかったね。ジュリモネアさまたちは、キャティーレさまが食べたり食べなかったりするって知らないからね。スレンデのせいじゃないって、わたしから説明しておくよ」


「ま、それは俺も判ってるから、大して気にしちゃいないんだけどさ――なにしろキャティーレさまの好物を出してくれって。楽しく一緒に食事をして、少しでも親しくなりたいって言ってるんだ。まぁ、いずれご夫婦になる。そんなのもいいかなとは思うんだけどね」

「うん。問題はキャティーレさまか……一人で過ごすのが好きだから。でも、ジュリモネアさまのことはお気に召されたようだから、案外ウンと言ってくれるかもしれませんよ」


「そうなんだ? そりゃあよかった。いやだって言って逃げ回るんじゃないかって心配してたんだよ。な、マリネ」

話を振られたマリネが、

「侯爵さまもあんな状態ですから、さすがに逃げはしないでしょうが……でも、意に染まないお相手とのご結婚はお気の毒で。ねぇ、あなた」

リザイデンツに言ってからスレンデを見る。


 スレンデとマリネは夫婦、二人とも両親が眷属で、生まれながらにして吸血の一族だ。メイドとして働くようになったマリネを熱烈に口説いたのがスレンデで、年はかなり離れているが仲のいい夫婦だ。


 リザイデンツが微笑んで答えた。

「大丈夫だよ、マリネ。キャティーレさまはジュリモネアさまを大層お気に召しておられる。婚姻の準備を進めろと仰せだ」

「まぁ! よかったわ!」

大喜びのマリネ、スレンデが、

「それじゃあ、夕食はご一緒にとられるってことで準備していいのかな?」

リザイデンツに確認した。


「うーん……少し待ってくれないかな? キャティーレさまは気難しい。勝手に決めてしまってはへそを曲げてしまわれる」

「それじゃあすぐに訊きに行って貰えるかい?」

「昨夜、森に巡回に行かれたので、夕刻まで眠ると仰っていました。下手な時刻に起こすわけにはいきません……お起きになればまずお茶を召し上がります。それまで待つしかありません」


「うーーん……まぁ、いつものことだけど、ジュリモネアさまには先に召しあがって貰うか? ご一緒するのは明日にして貰って」

「いや、せっかくのお誘いを、勝手に断ってはキャティーレさまがお怒りになる。ジュリモネアさまが待っていられないと仰ったならそれもいいけど、こちらから提案してはいけません」


 じゃあ、ジュリモネアさまに訊いてくれよ……スレンデに言われ、面倒だなと思いつつジュリモネアの部屋に向かうリザイデンツ、こんなことが続いたら、昼間は必ずと言っていいキャティーレの理由も奇妙に思われる日が来るのではないかと危ぶんでいる。


 もしネルロが現れないようになったらキャティーレは昼間、どんな状態でいるのだろうか? キャティーレの姿のまま眠り続けるような気がする。だとしたら、今のままのほうが問題が大きくならないかもしれない。一番いいのは、ネルロが完璧にキャティーレを演じてくれることだ。


 今はまだ領主代行のキャティーレ、リザイデンツの献身もあってなんとか領地経営も破綻せずに済んでいる。何も魔獣退治だけが領主の仕事じゃない。様々な雑事を、リザイデンツとネルロで『キャティーレの指示』と言って執り行うことが多い。


 大した問題が領内に起きてないから今まではそれで済んでいるが、もしも大問題が発生すればキャティーレ本人が領民の前に出なくてはならなくなる――果たしてあのネルロが素直にキャティーレ役を演じてくれるだろうか?


 国王の誕生祝いは引き受けてくれたもののいやいやだった。あの時は何を交換条件に出したんだった? 最初の時は月の表面が細かいところまではっきり見える望遠鏡だったような気がする。二回目は確か図書館並みの書籍だった。揃えるのに苦労したのを覚えている。


 そう言えば、馬を購入しろと言っていた。今のとそっくりな馬を見つけてをキャティーレに的なことを言っていたような……今の馬を独占したくなったということか。しかしキャティーレを誤魔化せるとは思えない。馬にだってそれぞれ個性がある。どんなに見た目が同じでも、性格が違う。


 あの馬はキャティーレが仔馬の頃から可愛がって調教した馬だ。お陰で昼間よりも夜のほうが調子がいいと来ている。まぁ、ネルロには『なかなか見つからない』とでも言えばいい。どうせネルロは、いつもの思い付きで言っただけだ。そのうち忘れてしまうだろう。


 ふむ、とリザイデンツが唸る。ジュリモネアさまのことも、そのうち忘れてくれないか? そして溜息を吐く。


 キャティーレは気紛れに見えて、実はいったん決めたら心を変えない。何年も領内を回っては『あの人』を探していた。そのをやっと見つけたのだ。諦めるはずがない。そしてネルロ……すぐに気が変わるネルロならあるいは? 


 リザイデンツが首を振る。初恋と言うものは、そう簡単に思いきれるものではないと知っていた。

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