18

 手紙を書き終えるとリザイデンツはキャティーレの私室に向かった。昼間、ネルロと話したことを報告するためだ。ところが、いつもは私室の居間で読書をして過ごしているキャティーレの姿がない。眠っているのだろうか?


 昨夜は森に魔物退治に出かけ、明け方前には戻ってきた。たいして休むひまもなく、今度はネルロとして出かけて行った。でも昼頃には戻って寝室に入っている。深夜も近い。まだ起きてこないなんて珍しい。


 仕方がない、起こすとするか……リザイデンツが寝室のドアをノックする。だが返事がない。そんなにぐっすり眠っている? 不審に思ったリザイデンツがドアを開けて寝室を覗く。ベッドはもぬけの殻だった。


 その頃、ジュリモネアの部屋をノックしたのはキャティーレ、応対に出たエングニスが絶句する。こんな時間にレディーの部屋を訪問? 貴公子のすることか?


 部屋の奥から聞こえてくるのはジュリモネアの声、

「どなたがいらしたの?」

ドアの向こうを覗き込む。見えるのはうっすら輝く銀色の髪……

「キャティーレさま!」

駆け寄ると、エングニスを押し退けた。

「わたしにご用事ですよね?」

嬉しくて仕方ない。こんな時間まで起きててよかった。


「ナミレチカ! すぐにお茶の用意を」

「いや、不要」

むすっと不機嫌にキャティーレが言った。


「あら? だったらワインでもご用意しますか?」

「何も要らない」


 相変わらずキャティーレは素っ気ない。それどころかジュリモネアを見ようともしない。どこかあらぬほうを見ているだけだ。キャティーレって随分恥ずかしがり屋なのね、とジュリモネアが思う。でも、いいわ。見ないふりしてちゃんとわたしの顔を覚えてたから。


「とにかく部屋の中に。立ち話も――」

「話もない」

「はい?」


 それじゃあ何しに来たのよ? 困惑するジュリモネア、目の前が急にお花畑になった。ジュリモネアの顔にくっつきそうな近さに突き出された花束のせいだ。キャティーレが後ろ手に隠し持っていたものだ。


「これをわたしに?」

受け取ろうとするジュリモネア、ちょっとだけキャティーレの手に触れた。すると花束がバサッと落ちる。キャティーレが花束を放して手を引っ込めたからだ。本当に、どこまで恥ずかしがり屋なのよ? 呆れながらもしゃがみ込んでジュリモネアが花束を拾う。


 ん? どこかで見た花、なんて言う花だったかしら? 薄紅色の可愛い花、甘い匂いはこの花の香りね。

「お見舞いかしら? いただいてもいいのよね?」

花束を眺めながら立ち上がり、キャティーレを見る。そんなジュリモネアをチラッと見ると、クルッと向こうを向いてしまったキャティーレ、そのまま何も言わず去っていく。


「なんだったのかしら?」

茫然と見守るジュリモネアに、

「お見舞いにいらしたのでは?」

ナミレチカがクスリと笑った。


「来てみたらジュリモネアさまが元気だったので、ご安心なさったのではないでしょうか?」

「そうなのかしらね?」

せっかくだからとお茶を淹れ、エングニスと三人で飲むことにした。


 昼間はずっと眠っていたジュリモネアだ。お陰で風邪は良くなったが、今度は目がさえて眠れない。そんなジュリモネアに付き合って、深夜だと言うのにナミレチカもエングニスも起きている。


「なんだかお腹もすいたわ」

「クッキーならございますよ。お召し上がりになりますか?」

「こんな時間に食べて大丈夫かしら?」

太るのを気にしている。

「ジュリモネアさまは痩せ過ぎです。少し太られたほうがよろしいかと」


 さっさと立ち上がったナミレチカ、皿にクッキーを乗せてジュリモネアの前に置いた。言葉とは裏腹に嬉しそうなジュリモネアの顔、やっぱりジュリモネアさまは可愛いかただと言葉にはしないが思うナミレチカだ。


 クッキーを齧りながらフィナンシェが食べたいわねなんて呟くジュリモネアにナミレチカが笑う。

「明日、焼いてくださいってリザイデンツさまにお願いしてみますわ。持ってきたクッキーも、これで終わりですし」


「このお城の料理人、お菓子は作れないとか言わないわよね?」

「それはないかと思います。キャティーレさまだってお菓子くらい召し上がるでしょうから」

「うーーん……お食事は全く手つかずだったわ。あっ、ひょっとして、お菓子しか食べないとか?」


 と、再びノックの音がした。エングニスがムッとする。こんな時間にまたかと思っているのだ。それでも立ち上がろうとするのをジュリモネアが止めた。

「きっとキャティーレさまよ。いいわ、わたしが出るから」

ところがドアの向こうに立っていたのはリザイデンツ、エングニスに輪をかけてムッと難しい顔をしている。


「先ほどキャティーレさまがこの部屋を訪れたと思うのですが……」

どことなく怒っている。

「このような時間の訪問、主人あるじに代わって、まずは謝罪いたします」


「あら、いいのよ。どうせ起きていたから……ついでだからお茶にしてたの。リザイデンツも一緒にどう? お願いしたいこともあるし」

ジュリモネアのお願いはお菓子のことだ。今、頼んでおけば朝には出してくれるかもしれない。渡りに船だ。


「ジュリモネアさま、その前にこちらの話を聞いていただく」

リザイデンツはやっぱりイライラしている。だいたい、深夜にわざわざ部屋まで来て、なんの用事なのか?


「キャティーレさまは大変ご立腹です。至急この部屋から出てください」

「えっ?」


 こんな真夜中に、婚約者のわたしを追い出すって言うの?――血の気が引くのを感じ、ジュリモネアがフラついた。

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