第3話-⑥
創星暦八四九年 一一月二〇日 土曜日
暗殺術に長けた者を雇った。
闇の精霊の加護。存在しない加護。その恩恵をあれは十二分に持っていた。
知られたらおしまいだ。
あれの食事に、寝つきを良くするための薬を混ぜた。
殺したら、地中深くに埋めなければ。
創星暦八四九年 一一月二一日 風曜日
暗殺は失敗した。
寝室に縛られた暗殺者を投げ込まれ、さらに私自身の首も刈られる寸前だった。
子どもとは思えない強い殺気に、すべてを白状した。
そうしたら、取引を持ち掛けられた。
命は取らない。いざとなれば暗殺者として邪魔な人間を屠ってやる。だからこのまま
十にも満たない
(中略)
創星暦八五〇年 二月四日 光曜日
あれにせがまれ、丸一日オフを取らされた。なんでも重要な話があると。
人払いをした上で聞かされたのは、
この三年と少しの間、文字を覚えてから彼が本を読み漁っていた理由はそれだった。
生まれついたときから働かされ、虐げられていた彼は、本来奪われるはずだった気力を今日まで持ち続けていた。
だが、彼が持ち込んだ本――歴代領主の手記だった――を読み返すと、それが誤りだと気付かされた。
初代から三代目、つまり建国百年ほどまでは
『特定の加護を持つ者を迫害して何になる。それを利用した運営なんてすぐに破綻する』
実際、四代目と五代目は
だが六代目から少しずつ
そして七代目――私の曽祖父以降は、
「国はビビったんだ」
彼はそう言った。
「姿も、気配も、匂いも、音も、すべてを隠せる闇魔法を恐れた。
事実はどうだったのだと、私は訊ねた。
「知らん。本当かもしれないし、でっちあげかもしれない。けど、でっちあげなきゃこんな大規模なみせしめ、起こらないだろ?」
たしかにそうだ。
国は罪のない人々を巻き込んで、大規模な奴隷制度を確立させてしまった。
私は訊ねた。
国に復讐するのかと。
彼は頷いた。
「こんな国、ない方がいい」
はっきりと告げられて、いよいよ足元から崩れ落ちる感覚がした。
同時に、ようやく目の前の子どもをはっきりとした輪郭で見ることができた。
栄養をつけたおかげで年相応の肉付きを得ているが、服の下には痛々しい無数の傷跡がある。どれもこれも理不尽につけられたものだ。
屋敷の外では子どもたちが雪の中を走り回っている。その横で、同じ年頃だろうか、
その頭に、子どもたちがきつく固めた雪玉が命中した。
そして飼い主――小麦商人が罵倒しながら
いつもの光景だ。
そう思った自分に吐き気がした。
吐き気を覚えた自分に愕然とした。
嗚呼、嗚呼。
気付いてしまった。
平民も、貴族も、
そこに気付いてしまって以上、見て見ぬふりはできなくなってしまった。
「どうする?」
彼が、ディムが訊ねた。
「あの子、助けられるけど?」
きっと彼は気付いていた。
私が非情になり切れない性格だと。
いくばくかの葛藤の末、私は彼に、かつて
「今夜、連れてくる。口の堅い医者を呼んでおけ」
宣言通り、真夜中に彼は例の
かなり厳しい折檻を受けたのだろう。息も絶え絶えの彼女を(女の子だった)医者と協力しながら手当てし、その後の看病は今、ディムが引き受けている。
飼い主だった小麦商の方からは目立った話はない。
ただ、一線を越えてしまった罪悪感と、胸をすくような晴れ晴れとした気持ちが同居していて、どうにも気持ちが落ち着かない。
かなりのページを書いていた。最長記録かもしれない。
このあたりで今日は締めよう。
(中略)
創星暦八五〇年 六月三〇日 水曜日
アンネと名付けた
見ていて微笑ましいが、私が近づくとアンネが隠れてしまうのはショックだ。治療のために服……とも言えないずだ袋をはぎ取ったのは事実だが、それ以上のやましいことなんてしていないのに。
……されたことがあった?
同時進行で、屋敷にいる
私もすっかり大胆になってしまった。
(一枚だけページが破られている)
(中略)
創星暦八五〇年 九月七日 光曜日
驚いた。
心なしか、屋敷全体の雰囲気が明るい。こんなに楽しい声が飛び交っている日を私は経験したことがない。
ディムは最近、剣の稽古の傍らで私の政策にいろいろと口出ししてくる。しかもそれが的確だったりするから舌を巻く。たしかまだ九歳だったはず。
なんで領内総生産の数式の誤りを一発で見抜けるんだ? それを直した上でさらに生産効率を上げる方法を提案してこないでくれ。私の立場がなくなる。
(中略)
創星暦八五〇年 九月二三日 風曜日
表立ってディムを紹介できないのが辛い。
彼はとても優秀だ。他の元
なぜ国は彼らを迫害するのか。闇の精霊の加護を受けて生まれただけだ。それだけで自由を奪われるなんてあんまりだ。
だが、辺境の一領主にできることなんてたかが知れている。王家とのパイプなんてないし、他の貴族や領主を懐柔できるほどの力もない。
嗚呼、恨めしい。
(中略)
創星暦八五一年 三月一四日 水曜日
王家に感付かれた。
国の精鋭がこちらへ向かっている。
見聞を広めるために、王都の親類へディムの保証人を依頼した手紙を検閲された。
私自身に反逆の意思はない。
いや、
そういう国なのに、忘れていた。
幸か不幸か、市長に経緯を説明すると、そちら経由で王都の古い友人に伝手があるとのことだった。自分の身も危ぶまれるのに、危険を冒してでも手を差し伸べてくれた彼には頭が上がらない。
ディムはすでに出発しているが、早便を出せばまだ間に合う。どうか戻らず、王都で五年間、様々なことを見てきてもらいたい。
上級学園は無理だったが、普通学園でも得られるものがあるはずだ。
最後に。
こんなことになってしまって申し訳ない。
必ず約束を果たしてくれると信じている。
私以上の幸せを掴んでくれ。
愛している。
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