学び舎と少女
「数学と、物理か…理系科目ばっかじゃん」
部屋でカバンに荷物を詰め込みながら今日の授業に愚痴をこぼす。
僕的には文系科目多めの方がいい、昔から国語とか英語は得意なのだ。
「っし…いってきまーす」
すでに両親は仕事に出ているため家には誰もいないが、こうやって挨拶をしていくのは大事なことだ。
朝日を浴びて歩き慣れた通学路を行く、今日も今日とて旧校舎で至福のひと時を過ごすとしよう。
「にしてもいつまで残ってるんだろここ」
壁は剥がれ落ちてるし、廊下は歩くとギシギシ音するし…
まぁ僕はここ好きだから残っていてくれた方がありがたいけど。
そんな事を考えながら扉を開ける。
ガラガラと音を立てる木製の扉の向こうには昨日と同じ様に仮面の少女が座っていた。
「桜灯さん…?」
「……おはようございます」
「あっ…おはようございます」
お互いに会釈をし僕はカバンを床に置いて椅子に座り、桜灯さんは立ち上がりこちらへ歩いてくる。
そして僕の隣の席に座った。
驚きながらもカバンの中から小説を取り出し、栞が止めていた物語に目を向ける。
「………」
僕とは違い、桜灯さんは仮面をつけたまま真っ直ぐ前を見据えていた。
一体何を見ているのか…それとも何も見ていないのか…?
「……私の面になにかついていますか?」
「…!いやなにも?ただ…その…綺麗なお面だなぁ…って」
「……お気に入りなんです」
「そっか、いいねそのお面」
心做しか桜灯さんの声に喜びがあった気がした。
今日のお面は鬼の面ではなく狐の面、色合いがなんとも綺麗で艶のある黒髪に溶け込み少女を絵のように魅せる。
「……私もその小説持ってます」
「そうなの?これ面白いよね」
「……終わり方が綺麗で好きです」
「あ〜わかる!わかってても心にクるというか記憶に残るのに読む度に驚きがあるというか…」
「……えぇ私もあの終わり方は驚きました」
桜灯さんとの何気ない世間話に花を咲かせる。それは朝の日差しと僕たち二人しか知らない、秘密の日常の始まりだった。
「みんなおはよー!今日は特に連絡は無し!先生忘れ物したから取り行ってくる!」
相も変わらず元気の溢れる先生だこと…テンション高いしなにかと雑だけどいざって時に頼りになるから文句も言えない。
今日は1限と2限を使ってクラス毎にレクをすることになっている。
うちのクラスは体育館でのレクらしい…
「嫌だなぁ…」
運動は苦手だからあんまり嬉しくないけどそれでも授業をするよりはマシだ。
「…ふぅ」
意味の無いため息をついて教室を見渡してみると様々な人間関係が見えてくる。
男子と女子でそれぞれ違うグループが細々とあり机を囲って盛り上がっているのがわかる。
スマホをいじったり、ペットボトルを片手に談笑したり…僕はあんまり友達がいないけどこういう雑多な感じの雰囲気は結構好きだ。
その中には仮面を付けた少女が一人ポツリと座りただ静かに黒板を眺めている光景がある。
「…デジャブ?」
僕にとって桜灯さんが仮面を付けている、というのは当たり前でも他人から見た桜灯さんはどう映っているのだろうか?
少なくとも普通…ではないだろうな、でも特別相手にする事も無いと思われているのかもしれない。
…それはなんかモヤッとするな。
「おっまたせー!よしみんな、体育館に行くぞー!」
扉を開け教室に響き渡る声により、クラスのみんなが動き出す。
僕も席を立ち集団の後ろについていこうとした時、ふと視界の端に桜灯さんが映った。
「…どうしたの?みんな行っちゃうよ?」
「……仮面を取らなければいけませんから」
「そっか────じゃあ僕も残ろうかな」
「……行かないのですか?」
「どうも運動が苦手でさ、適当に言い訳考えとくから大丈夫だよ」
まぁお腹痛くて保健室行ってましたとでも言えばいいだろう。
桜灯さんが1人教室に残るよりはずっといい。
「学校楽しい?」
「……はい。人並みには慣れてきました」
「なら良かった!」
「……あの、何度も同じ事を聞いてしまうのですが…なぜこんなにも私を気にかけて下さるのですか…?」
「うーん…わかんないけど、きっと僕の中では桜灯さんが特別なんだと思う」
「……特別?」
「そう、昨日出会ったばっかりなのになんか変だけど…"あの場所"で人と会うなんて滅多に無かったからさ」
あそこに人が来ることなんて滅多にない、だからこそ静かで落ち着いていて…僕にとってもそんな旧校舎は大切な場所なのだ。
「最初桜灯さんと会った時、僕驚いたよ。こんな場所に人がいて、しかも仮面付けるーって」
「………」
「でもね、それが…とっても綺麗だったんだ」
「……綺麗、ですか?」
「そう綺麗。ずっと普通だった僕の景色が急に色付いたみたいな感じ」
「………」
「なんか僕凄いこと言ってるね…ごめん知り合って2日ぐらいなのにこんな事言われたら嫌だよね」
「……いえ、とても嬉しいです。ただ綺麗だなんて一度も言われた事がなくて、その、少し混乱してしまって…」
「………」
「………」
電気の消えた教室の秒針が僕たちの沈黙を縫うようにして進んでいく。
雲が太陽を隠してしまったせいで教室内は影に覆われて、弱々しい光は窓際の席を照らすだけ。
なんとも言えない空気が心臓の鼓動を加速させる。
「……成宮さん、ありがとうございます」
「感謝されるような事はしてないよ」
「……いいえ、成宮さんには感謝を伝えても伝えきれません」
「桜灯さん…」
未だに彼女についてはわからない部分が多いし、それはもしかしたら触れてはいけないものなのかもしれない。
それでも僕はこうして彼女と話して繋がっていたいと、彼女の事をもっと知りたいと思ってしまうのだ。
「…もうすぐ1限終わるね」
「……そうですね」
「まぁレクは2限まであるし、それまではゆっくりしてよっか」
「……はい」
いつの間にか顔を出した陽光の暖かさのせいなのか、それとも違う別の何かのせいなのか、僕はどうにも身体が火照って仕方ない。
そんな僕に知らん顔して、1限の終わりを告げるチャイムが鳴り響いたのだった。
「くぁ…んん…」
物理の教科書と睨めっこをしていると欠伸が止まらなくなってしまうのは僕だけなのだろうか…?
2限のレクも無事終わり、今年最初の授業である3限の物理が始まってまだ20分も経っていないのに既に睡魔に負けそうだ。
「───よってこうなるわけだ。次の問題も同じように解いていくと───」
「…はぁ」
黒板に書かれていくよく分からない公式を端に落書きの入ったノートに書き写し、小さくため息をつく。
なんの気晴らしにもならないとわかっていながらも教室を見渡してみる、すると何人かはもう夢の中へと旅立ってしまっていた。
「………」
眠い目をこすりながらチラリと桜灯さんの方へと目をやるとやはり仮面はつけたまま。
先生にも特に注意はされていなかったし…まぁ今は深く考えるのは辞めておこう…変に考え込むと寝てしまう恐れがある。
今はペンを持つことだけに集中しなければ…
カッカッと黒板で削られるチョークの音が教室を颯爽と駆けていく、まだ授業は始まったばかりだ。
「終わったぁ…」
物理の授業も終わり次の授業の準備を進める。
後ろの生徒用の棚に教材を入れ、カバンの中から数学を取り出す。
「…ふぁあ」
本日何度目かわからない欠伸をして残りの休み時間に退屈を吐き出した。
小説を読めば時間は潰せるのだろうが僕みたいな人間は一度読み始めて小説の世界に入ってしまうと途中で手を止めることが出来なくなってしまうのだ。
こういう時はクラスメイトの会話に耳を傾けているのが一番時間を潰せる。
「なぁ…聞いたかよ」
「なにが?」
「あの仮面付けてる女子、昨日旧校舎から男と一緒に出てきたらしいぜ」
…ん?
「マジで?もう彼氏作ってんのかよ」
…はい?
「マジマジ、羨ましーよなー!」
えぇ…
「ほらー席つけーチャイムなるぞー」
空きっぱなしの扉から入ってきた数学の先生の一言で蜘蛛の子を散らすようにみんなが席へと戻り出す。
椅子が床をずる音が消えぬうちにチャイムが鳴った。
「ってことで早速教科書の8ページからやってくぞーまずこの公式は───」
紙が擦れる音よりも鼓動の音が気になってしょうがない。
昨日のあれをまさか見られていたとは…いや別に僕はなんとも思ってない、と言えば嘘になる。
がしかしもし仮に付き合ってるなんて噂が広まって困るのは桜灯さんだ。
まぁ桜灯さんと一緒に出てきたのが僕だとバレてないのが不幸中の幸いと言えよう。
「どうしたもんかなぁ…」
とりあえずこの授業が終わったらすぐに桜灯さんにこの噂を知らせなくてはな…
時計の秒針を睨みつけ、数学の授業が終わる頃ノートは白紙のままだった。
「あの…桜灯さん…ちょっといいかな?」
「……はい。何か御用ですか?」
「いや別に特別な用事じゃないんだけどさ…その…なんていうか…と、とにかく!15分になったら旧校舎に来てくれないかな…!」
「……えぇわかりました」
「ありがとう…じゃまた後で…!」
教室を出て購買でパンを買って旧校舎へと向かい出す。
もうほんとに僕は馬鹿だ…!行く時は別々に行ったのになんで出る時一緒に出ちゃったんだ…!
…とにかく今は待とう…そして彼女に謝る準備をしなくては…
「……あ、いた」
「桜灯さん?随分早く来てくれたんだね」
まだ5分前だというのに…まぁ早く謝れるならそれに越したことはないか。
「……えぇもうお昼は食べ終わりましたから」
「そうなんだ、ごめんね突然呼び出しちゃって」
「……いいえ大丈夫です。それでなぜ私をここに呼んだのですか?」
「あ…そのぉ…えっとですね…」
「……?」
「いやぁ…昨日僕たち旧校舎で話してから帰ったでしょ?その時に一緒に出てきたの見られちゃったっぽくてね?それでぇ…そのぉ…」
「……それでそれがどうかしたのですか?」
「それで…その…桜灯さんが一緒に男と旧校舎から出てきたって広まっちゃってるらしくてですね…どうやら桜灯さんには彼氏がいるって噂になってるそうなんですよ…」
「……私に…恋人が…」
「そうなんだよ…ごめん!桜灯さん!僕がもっと考えて行動してればこんな事には…!」
「……大丈夫ですよ」
「ごめんね桜灯さん…」
「……謝らないでください。元はと言えば私が成宮さんを旧校舎に呼んだせいですから」
彼女は落ち着いた動きで席に座り、それにつられて僕も席へと座る。
「……私の方こそ謝らねばいけません」
「どうして…?桜灯さんが謝ることなんて一つもないよ」
「……いえ、私のような人間と成宮さんが恋人だなんて成宮さんに迷惑をかけてしまいます」
「───ん?」
「……成宮さんのお隣にはもっと相応しい方がいるはずですから」
…あれ?もしかしなくても桜灯さん…"僕と桜灯さんが付き合ってる"って噂だと勘違いしてないか…?
「あの桜灯さん…一つ伝え忘れてたんだけどさ…」
「……なんでしょうか」
「あくまでも"謎の男と桜灯さん"ってだけで…"僕と桜灯さん"が付き合ってるって噂ではないんだ…」
「………え?」
「その…ごめん…」
桜灯さんが動かなくなってしまった…僕の伝え方が悪かったばっかりに桜灯さんの耳が真っ赤になってしまっている…!
「………」
「桜灯…さん…?」
「………」
「…おーい…大丈夫ー…?」
「……少し外の空気を吸ってきます」
そう言った彼女は席を立ち、早歩きで教室を出ようとした…その時足が机に引っかかっり彼女が転んでしまったのだ。
「桜灯さん大丈夫!?仮面も外れちゃってるし…」
「……ごめんなさい成宮さん…少しこちらを見ないでください…」
「ん?なんか言っ…た…」
仮面を拾い上げると同時に彼女が何かを言った気がしたので声の方に振り向く。
するとそこには絵に描いたような赤面を必死に手で覆いながら隠している桜灯さんの姿があった。
「……見ないで…ください…」
僕は今とてつもなく最低な人間だという自信がある。
転んでしまった彼女への心配の気持ちも、見ないでと言って恥じらう彼女への配慮も忘れ、ただ呆然と彼女を見つめてしまっているのだから。
でもどうか許して欲しい…100億ドルの絵画ですらきっとこの瞬間の光景には勝てない、それほどまでに心を奪われてしまったのだから…
「……成宮…さん?」
「────死んでもいいな」
「……へ?」
「はっ…ごめん!ごめんね!こ、これ仮面!傷は無いと思うよ!うん傷は無いよ大丈夫…!」
「……あ、ありがとうございます」
「………」
「………」
床に座り込んだまま僕は彼女の方を見るに見れなかった。
"怪我が無くてよかったよ"、なんて言う事すらままならないほど僕の心はどこかに行ってしまっていたのだ。
辛うじて見えている彼女は座り込んだまま膝の上で仮面を握りしめていた。
そして自分の声よりも先に彼女の声が耳に入る。
「……顔を上げてください」
「…ごめんね」
…ん?気のせいか…?桜灯さんの瞳の色が灰色ではなく薄い桃色になっているような…?
「……いいえ大丈夫です。心配してくださってありがとうございます」
「…でも怪我が無くてよかったよ、ホント」
「……仮面も無事ですし、私は平気です」
「でも万が一もあるし保健室まで送るよ」
外傷がなくとも足を捻っている可能性もある、念の為ここは保健室で見てもらった方がいい。
「……あ、あの成宮さん…」
「ん?どうかした?どっか痛いところでもあるの?」
「……もう少しここに居たいと言ったら失礼でしょうか…?」
「別に僕は平気だよ。時間もまだあるし、そうしよっか」
「……ありがとうございます」
「こんなに迷惑かけちゃってごめんね。僕のせいで桜灯さんにあらぬ噂が出来ちゃったし、僕のせいで転んじゃったし」
「……どちらも気にしないでください。私も早とちりして混乱してしまって本当に申し訳ありませんでした」
「いいんだよ、僕だって最初噂聞いた時は焦ったもん。このままじゃ桜灯さんが僕のせいでーってさ。でも幸いその旧校舎から出てきた男が僕だってバレてないからまだ良かったけどね」
僕みたいな人間と桜灯さんが付き合ってるなんて言われるなんて桜灯さんが可哀想だ、僕よりも素敵な人は沢山いる。
でももし桜灯さんと付き合えたらそれはどんなに幸せなんだろうか。
「……私もそれには少しホッとしました」
「そっか…」
「……成宮さんには絶対私なんかよりずっと素敵な人が見つかります。私が成宮さんとお付き合いしているなんて成宮さんまで変に見られてしまいますから」
彼女は寂しいそうな声でそう言った。
「…それは違うよ桜灯さん。桜灯さんは変なんかじゃない、それにとっても素敵な人だよ」
「……そんな言葉、私には勿体ないです」
「勿体なくなんてないさ。これから先も僕は言い続けるよ、桜灯さんは綺麗だって」
「……なぜ私にそこまでしてくれるのですか?」
「…さぁね、僕にもわかんない。でも一つ確かなのは桜灯さんに自信を持ってもらいたいって事だよ」
彼女はきっと自分に自信がないんだと思う。
昔の僕みたいに自分が好きになれなくて悩んでいる…そんな気がするのだ。
「……自信ですか?」
「そう自信。だから約束するよ、桜灯さんが自分に自信が持てるまで桜灯さんと一緒にいるって。笑顔だって僕まだ見てないし」
「………」
「あ…ごめんね…また気持ち悪いこと言っちゃったな…ごめん急になんか変にハイになっちゃっててさ…」
悪い癖だ…言いたいことを言い始めると栓が外れたみたいに喋っちゃうのは良くないとわかっていても治すのは難しい…
「……いいんですよ、成宮さんは優しいんですね…こんな私を避けずにここまで接してくれるなんて…」
彼女は仮面を握りしめている手を震わせながら少し微笑んでいた。
少しでも彼女の心に変化をもたらせたのなら良いが…
「だって桜灯さんが素敵なのは知ってるもん」
「……あの成宮さん…もし今週の土曜日が空いているのであれば一緒に…その…お出かけしませんか…?」
「…はい?お出かけ?」
「……ダメ、ですか…?」
…そんな顔をされて断る男がいるだろうか?いやいない。
言葉にすることすら烏滸がましいとはまさにこの事だろう…あぁ生きていて良かった、今の彼女の表情を独り占めできることに最大限の感謝をしよう。
「いいや全然、土曜なんてする事ないし家に居ても暇なだけだし、それに桜灯さんの事もっと知るいい機会だしね」
「…ありがとうございます。ではそろそろ教室に戻りましょうか」
「そっかもうそんな時間か…僕ちょっと別の用事があるから先に行ってて!」
昼休みが終わるまで残り15分、彼女には先に戻ってもらわないとまた変な噂になりかねない。
「…わかりました。ではまた」
「うん、バイバイ」
彼女に手を振り、ギシギシという足音が遠ざかったのを確認して思いっきりガッツポーズを決める。
「それにしても桜灯さんとお出かけかぁ…なんか現実味ないなぁ…」
パンを齧りながら昼下がりの生暖かい風に背を向けて土曜の事について考える。
どこに行くのか、何をするのか、その全てがまだ未定なのにも関わらず僕の心は完全に浮かれに浮かれている。
ぼやけた桜の匂いが、旧校舎に少し遅めの春を運んできたのだった。
独りの瞳 風鈴はなび @hosigo_s
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