File 6 : 立石恵 6

 その次の日、久我山は田代裕二をモンブランの美味しいカフェに呼び出した。


「チー君、なに?どうした?

 モンブラン、このお兄ちゃんと一緒に食べたくなったのかい?」


 裕二の軽口にも反応せず、久我山は半身を乗り出した。 


「実は…パヤ毒の事で…」


 ほう…と裕二は言うと、それで?という顔をした。


「20年前の事件で亡くなった方が、パヤ毒の被害者だったと調べられますか?」


 う〜ん…と裕二は唸った。


「う〜ん…難しい…かも。

 その事件の事を少し教えてもらえるかな?事件の概要だけいいよ。何か方法があるかもしれない。

 口は硬いから大丈夫」


 久我山から事件の概要を聞いた裕二は、しばらく考えながらコーヒーを飲んでいたが、ハッとした顔をして久我山を見た。


「チー君。血液が冷凍保存されていればいいんだよ」


「じゃあ、ダメですね…。

 血液が残っているはずないですからね」


 久我山がため息をつくと田代祐二はニヤッと笑った。


「私の大先輩に血液化学の専門家がいてね、怪しい事件の被害者となった人の血液を採取して冷凍保存をしてるんだ。

 『いつの日にか、この血液が何かを語り出すかもしれないだろ』

 …ってのがその先輩の口癖でさ。そんな怪しい事件を先輩が見逃すはずない、と思う」


「ほんとですか!」

 

「早速、明日の朝イチで先輩に聞いてみる。連絡するから待っていて」


 2人はものすごいスピードでモンブランを平らげて解散した。



 翌日、田代裕二からはしゃいだ声で連絡があった。


「チー君。あったよ、あった!

 事件の発生時期から間違いないと俺は思う。変な事件はそんなには起こらないからね。被害者の男性と女性、2名分の血液があるって先輩が言ってる。

 2週間で結果を知らせる。待ってて」


「よろしくおねが…」


 途中でプチンとスマホが切れた。

 裕二はハイな状態らしい。





 結果が出るまでの間に、久我山は神尾家を訪ねた。研究所から自宅に戻り療養を続けることになった恵は、変わらずに神尾家の明るい部屋にいた。


 こんにちわと久我山が部屋のドアを開けると、カーテンを揺らす心地よい初夏の風が開け放った窓の外から吹いて来た。部屋には色とりどりの花も飾られて、神尾家の皆が恵を思う気持ちの表れのようだ、と久我山は思った。


 ベッドの上で横たわる恵は目を開けていて、じっと耳を澄ましているように見えた。


「こんにちわ、恵さん。

 特殊捜査研究所の久我山です」


 恵の顔を見ながら挨拶した久我山は、恵の瞳の中に何か揺らめくものを見た気がした。


(恵さんは俺の事を認識した?)


 清一郎は柔らかに微笑んで、恵を見た。


「実はこの2日ほどで、恵は眼を開けている時間が長くなってきましてね。指を動かすような微かな動きもするんです」

 

「それは素晴らしい!」


「研究所の野沢先生が、口の固い優秀なリハビリの先生を紹介して下さいました。

 リハの先生は、話したり動いたりできる可能性はゼロじゃない、とおっしゃいました。

 これから、毎日リハビリですよ。

 頑張ろうな、恵!」


 しばらくして、恵はゆっくりと目を閉じて、眠りについた。


 清一郎に誘われて、久我山は庭にある四阿に行った。木漏れ日が差すテーブルで寛ぎながら、清一郎は恵の事を話し出した。


「野沢先生から、恵は皆の会話を理解しているから言葉には気を付けるように、と言われました。1番最初に戻る機能は聴覚だと言われているそうですね。私達家族は目を開いている時も閉じている時も、恵を傷付ける様な事は言いません」


 久我山はうんうんと頷いた。


「先ほど私が名乗った時、恵さんの瞳の奥に揺らめくモノが見えました。きっと、知っている名前だから反応したのでしょうね」


「恵は立石親子に復讐するという強い思いを持ち続けています。女の一念岩をも通す、と言いますからね。恵はきっと甦り、復讐を果たしますよ」


「えぇ。私もそう思います」


 柔らかな香りのカモミール茶を飲んでいると清一郎が、そうだとカップを置いた。


「私の母が預かっていたプリペイド携帯電話はすべてお渡しします。母も了承してくれました。かなり、重要な証拠ですからね。よろしくお願いします」


 それにしても…、と清一郎は笑った。


「恵は私が思っているより、したたかな女でしたね。私より、ずっと…強い。

 驚きましたよ」


 清一郎はふっと真顔に戻った。

 

「それにしても、久我山さん。

 私は不思議でなりません。

 なぜ立石家は恵をあんなに邪険に扱ったのでしょう?まるでモノの様ですよ。恵は何もしていなかったのに。恵が復讐を考えるのも無理のない話でした。

 どうしてなのでしょうね。

 本当に、私にはあいつらの気持ちがわかりません」

 

 久我山は何も言えなかった。


 風間風子と行動を共にし、数多くの殺人やテロを繰り返した男を父に持つ和美が、父親と同じ残虐な性格だとしても不思議はない。


 しかしまだ、久我山も清一郎も迂闊には口にできない事だ。

 

「これから恵さんの取調べを元に、奴等の犯罪の証拠を固めていきます。

 どんなに時間がかかっても、必ず奴等の罪を明らかにします。

 その過程で、立石親子の事が明らかになっていく事でしょう。いや、明らかにして見せますよ」


 久我山はそう力強く言った。




 田代裕二から連絡があったのは、冷凍血が見つかってきっちり2週間後。

 2人はまたいつもの所で会った。


「いやぁ、出たよ。出た、出た!

 これが結果報告書。でも、先輩は血液を内緒で保管してたからね…。内密にね」


 はい、しまっておいてね、と報告書を久我山に手渡した裕二は顔を少し顰めた。

 

「マカルト教授が言ってた事は正しかったんだ。パヤンカ遺跡で生き残った日本人が 'パヤ毒' と大きく関わっていた、って事だと思うよ」


 裕二はそう言うと、久我山をじっと見つめた。

 

「チー君。犯人が誰か、わかってるんだろう?

 気をつけておくれよ。

 チー君は警視正という立場上、事件の解決が大切なのはよく分かっている。でもさ、私も純ちゃんも、チー君には自分の事も大事にして欲しいと思ってるんだよ」


 久我山はコーヒーカップをしばらく見つめていたが、わかってますよ、とでも言うように顔を上げて頷いた。

 



 数日後。

 世の中の不条理を酒で忘れさせてくれる場所、もうもうと煙が立ち込める焼き鳥屋で久我山は井上副総監と会った。


 立石恵の 'インネル' による取調べの内容は電子ファイル化して副総監にすでに送付してある。でも、久我山は井上副総監に会って直接聞いておきたいことがあった。


 油っぽい匂いと酒の匂いが混じった空気が店の外まで溢れ出した焼き鳥屋は、酔っぱらい達の馬鹿でかい笑い声が響いていた。


 久我山は副総監に尋ねた。

 

「今までの証拠をいつオープンにするのですか?」


「すまないな、久我山くん。

 まだその時ではないんだ。もう少し待ってくれ」


 井上副総監はそればかりを繰り返す。


 まだその時ではない。

 今はまだ材料が足りない。

 もう少しだけ待ってくれ。


 副総監は何かを隠している。

 でもそれが何なのか、久我山には分からなかった。



 井上副総監の闇は深い。

 久我山は、何となくそう感じるのだった。





 File 6 : 立石恵 Case closed



 

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