File 4 : 伊藤遥香 4

 久我山は副総監から言われていた通り謹慎処分となり、2週間自宅でゴロゴロして職場に戻ってきた。


 正直な所、減俸か謹慎か、どっちが処分として軽いかなど久我山には大した問題ではなかった。大幅な減俸になったらきついと思っていたので謹慎処分はむしろ有り難かった。


 謹慎中は部屋で思い切り寝たから頭の回転も心なしか良いように思われて、職場に現れた久我山は機嫌も良かった。


 'インネル' 開発担当の田代は入り口で待ち構えていて、機嫌良さげじゃないの!とうれしそうな顔をした。


「皆さんにはご迷惑をかけましたので…」


 久我山が頭を下げつつ大きなクッキーの箱を田代に渡すと、田代はさらにうれしい顔をした。


「佐橋丸谷堂!やるわね。

 皆でお茶の時間に食べましょう」

 

 そう言って田代が事務室に行く後ろ姿に久我山は声をかけた。


「すみません、本当に心配かけました」


 田代は振り向くとにっこりと笑って頷き、事務室へと戻っていった。




 久我山が自分の部屋に入ると、部下の竹下が嬉しい顔でやって来た。


 特殊捜査研究所や竹下達は今回の件で何も処分は下されなかったから…というわけではないだろうが、竹下の笑顔も輝いて見えた。


「竹下、やけに '良いお顔' じゃないか?

 何があった?」

 

 竹下は自慢げだ。


「驚きの新事実、発覚ですよ」


「何が起きても俺は驚かん!

 言ってみろ。俺が驚くどんな事がわかったんだ」


 竹下はまるで自分の手柄の様に、咳払いをした。


「自殺未遂女は伊藤香苗の双子の妹で、伊藤遥香だそうですよ」


「えっ?」


「しかも…公安の潜入班」


「おい、それはどこからの情報だ?」


 竹下は少し鼻先を上にあげ、自慢げな顔をした。


「久我山警視正殿!

 私にだって、ちゃんとした情報網があるのです。ネタ元は言えませんよ」


 久我山は眉間に皺を寄せ、竹下の襟首を掴んだ。


「竹下!誰からの情報だ。

 懲戒免職になりたくなかったら、言え!」


「わぁ!警視正殿!こ、怖いですよ、その顔!

 少しふざけ過ぎました。反省しました。

 ちゃんと話しますから離してくださいよ」


 久我山警視正殿が戻られて、嬉しかっただけなのに…と竹下は小声でぼやいた。


「先ほど、北川署の河田刑事から電話が入ったんです。まだ、内密ですが自殺未遂女の身元が分かりました。誰よりも先に久我山警視正にお知らせします、って」


(なるほど…)


「竹下、この事を誰かに言ったか?」


「言うわけないじゃないですか…。

 極秘事項だなんて、怪しいですからね。

 俺もバカじゃないんで、弁えてます」


 竹下に、このまま絶対誰にも言うなよ、と念を押し、久我山はアポ無しで井上副総監を訪ねた。




 副総監室で秘書官の山之上麻耶はいきなり訪ねてきた久我山を見て微かに微笑んだ。


「久我山警視正?

 びっくりしました。突撃訪問ですか?

 ちょうど副総監はお部屋で休憩しておられますが、15分後から予定がぎっしりです。15分、厳守でお願いしますね」


 そう言って通された部屋の中で副総監は、お茶を飲んで寛いでいた。


「やあ、久我山君!」


 片手を上げて笑った副総監はいつもと特に変わらない様子で、どうした?と久我山に聞いた。


「時間がないそうなので、単刀直入に。

 自殺未遂の女性の件は公表されましたか?」


「ふむ。公表はしてないよ。彼女は身元不明人のままだと認識している。それがどうした?」


「所轄の刑事が研究所に身元などの情報を提供してくれたので…。なぜあの刑事が知っていて、それを私に教えてどうしたいのか、副総監のご意見が聞きたいと思いまして」


 久我山の話を聞くなり、副総監はインターフォンを取った。


「ああ、山之上君。お茶のお代わりお願いできるかな?久我山君にもね。5分後に持ってきて欲しい。すまんけど、よろしく」


 副総監はほんの少し考える様子を見せた。


「山城正人君から聞いただろ?伊藤遥香の事。公安案件だからね、まだ公表されていないよ。

 所轄刑事がその事実を知っていて久我山君にリークしたのなら、その刑事は君を嵌めようとしてるのだろうよ」


「なんのために…でしょう?」


「相手は君が山城正人君からその事実を聞いている事を知らないはずだ。

 君が、もし何も知らなかったら今頃どう行動しただろうか?

 また暴走したんじゃないか?今度は謹慎どころでは済まないからね。免職になって敵の思う壺さ」


 久我山は唇を噛み締めた。

 その通りだったからだ。


「その刑事は今回の事件ではパシリだ。放っておけ」


 副総監がそう言い終わった時、山之上麻耶秘書官がお茶と和菓子を持って現れた。


「お二人とも、脳に糖分を!」


 久我山はため息をつきながら、可愛らしい練り切りを頬張った。




 さらに2週間が過ぎた頃に突然の人事異動の発表があって、特殊捜査研究所は少しざわついた。


 山城正人が、在アメリカ日本国大使館の警備対策官としてアメリカに赴いたのだ。任期は1年。


 久我山は山城正人と警察トップの間で何らかの取引があったのだろうと思っている。なぜなら、伊藤香苗の姿も病院から突然消えてしまったのだから…。


 そして、これで伊藤香苗の傷害事件は有耶無耶なまま終わらせることになるのだろう。



 噂話が大好物の田代はあちらこちらから情報収集しようとしたが、大した話は何処からも出てこなかった、と残念がっていた。


(あの野郎!逃げやがった。

 山城財閥の次期当主就任に合わせて日本に戻るつもりなんだろうよ。ご苦労なことで!

 大物がついてる奴はやる事が違うって事か)


 ふんっ、と久我山は鼻先で笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る