File 3 : 奥山健 5

 奥山健の取調べの翌日、久我山警視正と竹下刑部は山本興業株式会社にガサ入れをした北川警察署にわざとアポ無しでやって来た。


 北川署は古いマンションが立ち並ぶ国道沿いにあり、少し道を曲がると昔ながらの商店街が買い物客で賑わう、そんな場所にある警察署だった。


 久我山は高級ブランドのスーツに身を包んで磨き込んだ靴を履き、縁無しメガネの右フレームを軽く上げる仕草で本庁の警視正そのもの…といった風情を醸し出していた。


 部下の竹下もクリーニングから取って来たばかりのスーツを着て髪も整え、いかにも仕事ができる若手…という雰囲気だ。


 久我山と竹下が辺りを圧倒するオーラを纏って所轄署の受付に現れると、思わず瞬きをして2人の顔をじっと見てしまった女性職員の気持ちもわからなくはない。


 竹下が警察手帳を見せて、重々しく受付の職員に告げた。


「こちらは久我山警視正で、私は竹下です。

 署長に面会をお願いします」


 警察手帳を見たと女性職員はビクッとし、慌てて2人を署長室に連絡をした。


 案内された署長室はどこの警察署もほぼ同じ造りで、多少の大小がある程度だ。


 だが、北川署の中島署長はそれが趣味なのか観葉植物が数多く置いてあり、なんとなく長閑な雰囲気が漂っていた。


「署長、久我山警視正と竹下警部をお連れしました」


 丸っこい体付きの中島署長は2人を見てニコニコと笑いながら立ち上がった。


「これは、これは…。久我山警視正!

 こんな所までわざわざお越しくださるなんて、一体どうされたのですか?こちらから伺いましたのに」


 久我山はニコリともせずにじっと中島署長を見ていた。


「ちょっと近くまで来たものですから、寄らせて頂きました」


 そして、申し訳ないと思ってもいないのに、アポなしで急に来て申し訳ない、と言って笑った。


 勧められてソファーに座ると、久我山はその長い脚を組み、竹下は少し前のめりになって手帳とペンを手に持った。


 中島署長はそんな2人の向かい側に座ったが、今日は良い天気ですなとか、喉は乾いておられませんか、空調温度を少し下げましょう、などと立ったり座ったりと落ち着かない様子だった。


 久我山は咳払いを一つして、そんな中島署長を遮った。


「先日の山本興業株式会社の捜査について聞きたいのですが、よろしいでしょうか?」


 そう久我山が言うと、中島署長は丸っこい顔を緊張させた。


「…はい、どんな事を?」


「今、特殊捜査研究所で山本興業に関わった人物の捜査をしています。詳しくは言えないのですが、こちらの捜査内容を参考にしたいので担当刑事に直接話を聞かせてください」 


 そう久我山が言うと中島は、険しい顔をして担当の刑事を呼んだ。


 呼ばれてやってきた50代と思われる刑事は河田と名乗り、中島の横に座った。


 河田は警視正のオーラを振りまく久我山とできる男の雰囲気を漂わせる竹下に臆することもなく話し始めた。


「どういった事がお知りになりたいのでしょうか?」

 

 ガサ入れに至った経緯とその後の状況を聞きたいのですという久我山に、河田刑事は捜査資料を見せながら説明を始めた。



「ある日、サギ事件に山本興業が関わっているという情報提供があったのです。オレオレ被害にあった本人だと電話で言ったそうですが、どこの誰なのかは判っていません」


 山本興業は前々から黒い噂が多い会社で何度も調べてはいたが、いつも証拠が出てこなかったのだ、と河田は言った。


「証拠が出ないのは警察内部の情報が漏れていたのではないか…と私は考えたのです。そんな事あってはなりませんけど、あるかもしれない。

 だから、署長にも上司にも言わず、私だけで山本興業の若い奴を付けてたんです。

 そうしたら、そいつがファミレスに入り、オレオレの受け子をしてる奴と会って食事をし始めまして…」


 応援の要請をして、その2人をその場で任意同行、山本興業株式会社には直ちにガサ入れをし、その場にいた人間を全員連行したのだ、と河田刑事は言った。


 河田刑事が事件のあらましを話す横で、中島署長はずっと貧乏ゆすりをしていた。



 久我山は河田刑事が持参した一つ一つの資料を丁寧に読んで、河田に訊ねた。


「奥山健はご存知ですね?」


 はい、と返事をして河田刑事は顔を曇らせた。


「そろそろ勾留期限も切れそう…という頃に突然本庁から連絡が来ました。

 実はあの日、奥山は食後から具合が悪く、朦朧としていたのですが、本庁の奴等は半ば無理矢理に連れて行きましたよ。医者に見せてやりたかったのですが…。

 ですから奥山健は本庁にいるはずです」


 その時本庁の刑事が持って来た依頼書です、と差し出した用紙には大物の名前があった。


 警視庁副総監、井上新太 

 秘書官 山之上麻耶


(なんだよ!言われる前に出しやがって!

 ヤバいと思ったんだろ?

 なめてんじゃねぇぞ!)


 顔色を変えず、久我山は依頼書を河田に返して腰を上げた。


「時間が来てしまいました。そろそろ我々は帰らねばなりません。中島署長、河田刑事、お忙しい所ありがとうございました」


 そう言って久我山と竹下は北川署を後にした。


 タクシーに乗った久我山は竹下にポツリと言った。


「興味深いな…」




 続いて久我山達は、高層ビルが立ち並び高速道路が交差する場所にある浜崎署へと移動した。


 久我山と竹下が受付職員に警察手帳を見せ署長に面会だと告げると、受付職員はお待ちしておりました、とでも言うようににっこりと笑い、軽く頷いた。


 受付職員が署長の磯部に連絡を取ると、磯部は間髪をいれずにやって来た。


(俺達が来ることを、知ってたのか?)


 ニコニコと満面の笑みを浮かべ磯部は片手を差し出し、そのまま一歩近づいて和かに挨拶をした。


「これは、これは…!

 久我山警視正、今日はどんなご用件で?ご連絡頂ければこちらから伺いましたのに…」


 久我山はまた、大して申し訳ないと思っていないのに、磯部署長に言った。


「急に来て申し訳ないです。

 近くまで所用があって来たものですからね、寄らせてもらいました」


「ほう…」


「依頼されている集団自殺事件の件で、他の死亡者のデータを見たいと思いましてね。担当者を呼んでください。時間は取らせません」


 柔らかな言葉尻とは反対に、久我山のオーラがピシピシと音を立てた…と隣にいた竹下は感じた。


 署長は2人を応接室に案内すると、すぐ電話で担当刑事にファイルを持って来させた。


 息を切らせてファイルを持って来た若い刑事に、久我山は表情も変えずに聞いた。


「君、名前は?」


 直立不動で、間中浩二です、と答えた刑事に久我山は笑いかけた。


「集団自殺の経緯について教えて欲しい。

 集団自殺で生き残っている男、こちらから依頼されてるあの男の捜査を続けていてね。何か新しい情報があれば情報共有を願いたい」


「はいっ、わかりました!」


 パラパラと資料を巡りながら間中は説明し始めた。


「え〜っと、○月○日、110番通報があったのが最初です。アパートの住人からで、隣室のドアが開いていて中で人が何人か倒れているのが見える、という内容でした」


 直ちに最寄りの交番勤務の巡査が急行し、その部屋で8人男女が横たわっているのを発見。救急が到着した時に7人の死亡が確認された。

 

「なるほど…。

 では、発見した時の部屋の様子を教えていただけますかね?」


「はいっ!」


 元気よく返事をした間中は、またパラパラとファイルのページをめくった。


「部屋の中には何もなくて、目立つ所に『皆で逝きます』と書いた紙がありました」


「部屋を借りていたのはだれですか?」


「えぇっと、空き部屋だとアパートのオーナーが言っておりました」


「発見時、あの男に何か変わった所はありましたか?」


 そう聞かれた間中刑事は、チラリと署長の顔を見た。


「実は、あの男だけ嘔吐していたんです。尿便失禁もしていまして…」


(…なるほど。奥山健は体調を崩してたおかげで、飲まされた毒を全部嘔吐したのか…)


「それでは、第一発見者はどんな方でしたか?」


「一応、身元なども調べてありますが、不審な点はありませんでした」

 

「意識のないあの男を、私達の特殊捜査研究所で調べるとというのは誰の考えだったのでしょう?

 いえね、私達の事をよく思い出してくださったな、と嬉しかったものですから。割と暇な所なので」


 間中はまた署長の顔をちろりと見て言った。


「自分の上司の角田が特殊捜査研究所に依頼をしたいといいまして、署長も承諾してくださったんです」


「なるほど…。

 私達を頼ってくださってありがとう。間中刑事、これからも職務に励んでください。

 署長さんにも時間を割いていただき、ありがとうございました。

 必要事項はほぼ確認できました」


 にこりと笑った久我山は立ち上がり、帰り支度を始めた。


「さあ、竹下、帰るぞ」


 久我山と竹下が署長に連れられて玄関口に行くと、署長以下数名が並んでタクシーを見送った。

  

 タクシーが角を曲がり警察署が見えなくなると、竹下がネクタイを緩めて大きなため息をついた。

 

「久我山警視正。

 俺は疲れました…」


 久我山はタクシーの運転手に聞かれないように、さらさらとメモ書きをして竹下に渡した。


 井上副総監にアポ なるべく早く


 表情を引き締めた竹下はスマホを取り出してメールを送り始めた。



(これから何がどう動くのか…、見てやろうじゃないか!) 


 久我山はタクシーの窓から外を見て、密かに闘志を燃やしていた。

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