File 1 : 霜山リカ 6
しんと静まり返った特殊捜査研究所の取調室に、突然、感情のないデジタル音声が響いた。
バイタル正常。異常なし。
聴取を終了します。
こほん!
誰かが1つ咳払いをした。
「驚きました。
いやいやいや…女の情念は怖ろしい」
「しかし、最新機器 'インネル' でも何が起きたのか、よく分からなかったですね」
「分からないものは仕方ありません」
「まあ…安田親子も訪れたタイミングが悪かった。普通、こんな事件に巻き込まれませんよ」
「男と女の痴情のもつれ…痴話喧嘩ですね。
偶然訪れた安田親子は巻き込まれた。
そんな可哀想な事件…でした」
「では、早速、そのように立山先生に報告しておきますか」
その会話を聞いた久我山警視正は思わず眉を顰め、幹部達の方に身を乗り出した。
「ちょっと待って下さい。安田隆が巻き込まれただけなん「久我山君!」しかし…井上副総監、いくらなんで「久我山!」」
井上副総監が久我山の言葉を遮り、肩をポンとして首を微かに振った。
何も言うな…という意味は察するが、それで良いわけがない。
久我山が井上副総監に何かを言いかけた時、突然、取調室の機器がピッピッピッという甲高い音を放った。そして 'インネル' のモニタが激しく波打つ様な波形を映し出したかと思うと感情のないデジタル音声が再び取調室に響いた。
パルス上昇。呼吸数上昇。
重要参考人、覚醒します。
久我山は井上副総監の顔を睨みつけてから、監視室を飛び出して取調室へと急いだ。
取調室で参考人の状態を診ていた主任医務官の野沢は久我山を見ると頷いた。
「重要参考人の状態は良好です。まもなく目覚めるでしょう」
久我山がベッドの傍に立って様子を見ていると女の指先が微かに動きだし、乾いた唇が何か言いたげに震え出して、微かな声が聞こえた。
「おき…て…よ…」
そう言った女はゆっくりと目を開けたが、女の眼はただ天井を見つめているだけだった。
しばらくして、女は掠れた声を出した。
「ここは?」
久我山警視正は女に語りかけた。
「ここは警察の特殊捜査研究所です」
「私、死んだよね?」
「日本の警察と医療技術は優秀なんですよ。事件の重要参考人である君を死なせたりません」
久我山は表情を変えずに名乗った。
「私は久我山警視正です。
まず、君の名前を教えてください」
「霜山リカ」
「霜山リカさん…。
あなたが発見された部屋で何が起きたのかを知るために、先程まであなたが見ていた記憶を全て記録しました。
その事をお伝えしておきます」
あまり意味が分からなかったのだろう。霜山リカは不思議そうな顔をしながらも頷いた。
「詳しい話は落ち着いてからにしますが、暫くこちらで療養し、取調べをする事になりました。
よろしいですね」
リカはまた頷いたが、顔をしかめ始めた。
「…頭が痛い…です」
「時間の経過と共に落ち着くと思います。痛みが酷いようなら教えてください」
主任医務官の野沢がそう説明すると、リカは顔をしかめたままで頷いた。
「では医務室に移りますが、その前に聞いておきたい事はありますか?」
久我山の問いにリカはしばらく考えて、小さな声を出した。
「…あいつはどうなったの?」
「あいつ、とは田山雅彦の事ですか?」
その名前を聞いて、リカは拘束されている体で起きあがろうとした。
「そうよ。
あいつはどうしてるの?どこにいるの?
会わせて。会わせてよ!」
久我山はリカをじっと見つめて、一言だけ言った。
「許可できません」
リカはしばらく久我山の眼を見ていたが、突然暴れ出した。
「あいつ、死んだ?
そうなのね?死んだんだ!
だって…あの時、変だったもの。
私が呼んでも起きなかった!
そっか。あいつ、死んだんだ!」
取調室に警告音が鳴り響くのと同時に、霜山リカが大声で叫んだ。
「あいつが死んだ。死んだ。死んだ!
死んだ。死んだ。死んだ!
し、ん、だ!死んだあぁぁあ!」
霜山リカは起きあがろうと激しく動いていたが、突然パタリと動かなくなりニヤッと笑った。
「ピン?
あれっ?ピン!
今、頭の中でピン!って何かが鳴った
ほら、またピン!
あれぇ?なぁに?
ピン、ピン、ピピン、だってぇ!
は、は、はっ!ピン!
ヘェ〜っ! あいつ、もういないんだ。
ピン!
言いたいことピン!
あったのに!ピピピピピンピン!
なのに
死んだ、死んだ、死んだ!
死んだ、死んだ、死んだ、死んだ!
死んだ。
ピン!
ピン!ピピン!
あいつに言いたい事、あったのに!
死んだってさ!
ピン!ピン!
ああ、もう、なんでこんなに
ピピピピピピピン!
頭ん中がうるさいよ!
えっ?ちょっと?あんた誰よ?
ピピピピピピ〜
今、あんた、わたしに触ったでしょ?
ちょ、やだ!わたしに何すんのよ?
勝手に触んないで!
ちょっと、やめなさい。
今、点滴の中になんか入れたでしょう!
ピン!ピン!
やだああ!わたしも殺されるぅぅぅ!
痛い、いたい、い、た、い!痛いってば!
ピンピンピン!ピピピピ……
ほぉら、ピンが鳴ってるよ。
ちょっと!だから、止めなさいってばっ!
やめてよ。私に触らないで。
あいつにしか…
…触らせない…んだ…から。
あいつ…だけ…
ピン!」
鎮静剤を投与された霜山リカは、まっすぐ天井を見つめたままおとなしくなった。取調室に響き渡っていたリカの叫び声も聞こえなくなり、取調室は再び静寂に包まれていた。
長い時間天井を見ていた霜山リカが呟いた。
「雅彦、死んだ」
リカの声が低くなっていた。
「雅彦は死んでも私を手放さない。
いつまでも私を縛り続けておきたいんだ!
私の事なんか、愛してないくせに。
愛してないなら、そう言いなさいよ!
『お前はバカか?
お前なんか愛してるわけないだろ』
…そう言いなさいよ!
『愛してない』って、はっきり言って。
そう言って私を捨てなさいよ!
…私からは離れられないんだから。
だから、私を捨てて欲しかった。
なのに雅彦は死んだ!
何も言わずに死んだ!死んだ!死んだ!
ピン!あはっ。
今ね、いい事思いついちゃった!ピン!
私、地獄に行って雅彦を見つけるわ。
それでね、ふふ、『お前なんか愛してない』って言わせるの。
ふふ、いいでしょう?
わたしは雅彦から解放されるよ。ふふ、すてきでしょう?ピン!
でもね、雅彦が助けてくれって言っても助けない。助けないよ。
雅彦は死んでるからさ。
私は雅彦を置いて、1人で帰って来るのぉ。
だってさぁ、私は生きてるんだもの!
私は死んだ男の事なんか忘れて生きるよ。
忘れるよ。ピン!
ふふふ、ふふふふふ、ふふ
やだ、笑いが止まらない!
ピン!
ピン!
ピン!!
ははははっ!ピン!」
リカの笑い声は静かな取調室に響きつづけていたが、鎮静剤を追加投与されて深い眠りについた。
久我山は取調室のベッドで眠るリカを見ながら部下の竹下に言った。
「元に戻るといいな…」
久我山警視正はゆっくりと取調室を後にして監査室へと戻った。竹下はちらっと霜山リカを見て悲しい顔をし、久我山警視正の後を追った。
監査室に戻ると大勢いた警察幹部の姿は既になく、井上副総監とその秘書官である山ノ上麻耶が久我山が戻ってくるのを待っているだけだった。
久我山は副総監の前に立った。
「井上副総監…。まさか、痴話喧嘩で終わらせるおつもりではないですよね?」
「久我山君。
君には 'インネル' を使って明らかにしたい事があるんだろう?だったら、今回の事は荒立てるな。今、立山誠に楯突いてもいい事は何もない。下手をすると君達は抹殺されるぞ」
「これとそれとは、全く別の問題です!」
「いいか、よく聞くんだ。
この事件は3人の犠牲者が出た。1人は重体で意識がない。
大きな事件ではあるが、捜査をしても何が起きたのか何もわからない。
痴話喧嘩などではなく殺人事件だが、犯人の手がかりは何もない。
よって、殺人事件として検察が誰かを起訴する事も出来ない。事件はお蔵入りだ。
4人の被害者達の個人情報は守られ、いかなるメディアもこの事件に関するプライバシーの侵害は許されない。
メディアは少し騒ぐだろうが、何が起きたのかわからんのだから仕方ない。
そういう結論だ」
そう言うと井上副総監は睨みつける久我山の視線を振り切り、歩き出した。
「だけどね、久我山君」
副総監が立ち止まり振り返った。
「私はこの事を忘れないし、許す気もない。今は…今は腹に納めているだけだ。
安田隆が持ってきたボトルの中身、全員の血液…全てを内密に調べなさい。だが、結果は絶対に公表するな。
そのデータが生かせる日まで…な」
井上副総監と後に続く山ノ上麻耶の姿を見送る久我山は、しばらく呆然と立っていた。
そしてふと我に帰り、そばに居る竹下に作り笑いをした。
「今回は 'インネル' の素晴らしさがよくわかったな…ってことだ」
「そうですね。
俺はなんも言えません」
竹下は項垂れながら片付けを始めた。
その後、安田が田山雅彦に飲ませたモノがなんであったかを特殊捜査研究所で調べたが、何も分からなかった。しかし、そのサンプルは全員の血液と共に密かに特殊捜査研究所の奥深くに保存された。
事件発生時、深夜の現場でフラッシュを盛大に光らせて写真を撮っていた野次馬達の興味はいつの間にか消え、データとしてスマホの中にあるはずの事件現場の写真はもう誰も見る事はなくなった。
こうして、霜山リカが絡んだ殺人事件は人々の記憶から消え去り、不本意ながらも捜査終了となった。
File 1 : 霜山リカ Case closed
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