37. 強面お兄さんとボーイッシュガール(奇跡の会合)
太陽が沈み、アカツキの町には徐々に薄橙の光が灯る。
おもちゃの銃を片手に駆ける少年、男性は枝豆をつまみにビールを開ける。手を繋ぐ着物姿の男女など、老若男女が土手のブルーシートを埋めていた。
屋台から香る焦げたソースも、花火を待ちわびる人の渦へと流れて溶ける。
(うーん。これはちょっと……渚、困ったなぁ)
そんな屋台通りの中で、戦士ナギこと出雲崎 渚は立ち尽くしていた。
子役時代は祭りなんて頑なに行かなかった姉の楪が、珍しくコソコソとアカツキ花火に出かけたので尾行していた。筈だったのだが。
(ここ……さっきも通った気がする)
アカツキ花火の会場に入る前に、完全に見失ってしまった。
おまけに、迷子状態である。
巡り巡って焼き鳥の屋台を見るのは何回目か、渚は数えるのを辞めていた。
幸いな事に、子役である渚が変装なしで歩いていても、周囲の人間がパニックになる様子はない。
(でも――――それって知名度はお姉さまに遥かに劣る、って事の裏返しだし)
嬉しいような、悔しい様な複雑な感情に渚の唇が尖る。
「ちょっと、きみ」
「え? 渚のこと?」
振り向くと、警察官が二人。
訝しげな表情で渚を見下ろしていた。
「君、さっきからこの辺りをウロウロしてるよね?」
「お父さんとか、お母さんは? 一緒じゃないのかい?」
「え、えーっと」
渚がしどろもどろしている内に、もう一人の警察官がインカムへ口元を近づける。
「こちら、D班。迷子を見つけました――――はい、このまま迷子センターに。親御さんに連絡して……」
ひやり。渚の背に冷や汗が滑る。
(だ、だめ! 親だけはダメ!)
姉の楪なら、尾行がバレて怒られるだけで済むだろう。けれど両親はそうもいかない。
最悪、強制的に実家の芸の事務所へと連れ戻される可能性まであるのだ。
(何かない⁉ なんか、何でもいいから!)
とにかく現状を打破するため、渚はとにかく周囲を見渡す。
「お、おじさま!」
そして咄嗟に、渚は横を歩いた自分より大きな足に抱き着いた。
ギュッ、ひしっ。蝉みたいなシルエット。
「……あ?」
「……!」
渚が見上げるとそこには、金髪のオールバックに人相の悪い三白眼。
まるで、ドラマで演じられる屈強な悪人そのものだ。
「……悪いが、人違いじゃ」
「いいえ! そんなこと言わないでください! おじさま!」
渚がハッキリと声を張る。
吹っ切れた。もうこの際、悪人でも誰でもいい。
「渚、まだ家族のつもりです! お父さ……おじさま!」
ぽかんと驚いた様子の警察官の二人は、顔を見合わせる。
渚は瞳を潤ませ、迫真の演技を続ける。
「渚、今日のために毎日頑張って来たんです! テストも満点を取りましたし、お家のお手伝いだって沢山しました!」
「…………」
「…………」
透き通った涙が、脆く渚の頬に伝う。
それは、まるで夏の結晶の様な……。
「だから今日くらい……今日くらいは、せめて渚のおじさまでいて――――」
さながら映画のクライマックス。
響く祭りの声や、自然の喧騒さえも渚の演出へと変貌する。
……セミの様に抱き着く姿がアンマッチである事に気が付ければ満点であった。
「にいちゃん、あんたぁ……お嬢ちゃんが流石に可哀想だよ」
「お嬢ちゃん。今日はたくさん、楽しい想い出つくるんだよ」
心なしか目尻に涙を溜めた警察官が、ぽん、と強面の肩を叩く。
意味不明な状況に、金髪三白眼の眉間にはシワが増す。
「いや、だから俺はこんガキとは」
「ありがとう! 警察のおじさん!」
金髪の強面が何か言う前に、渚が声を張った。
「お嬢ちゃん? アカツキ花火は綺麗だけど混みあうからね。もう迷子にならないように、よぉく手を繋ぐんだよ」
「だから、俺ぁ」
「はいっ!」
やはり強面は何か言いたげな表情を見せるが、渚は隙は与えない。
迷う事なく、そのまま強面の手を取って歩き始めた。
「警察官のおじさんたち、ありがとうございましたー!」
そう言って手を振りながら、渚と強面のシルエットは屋台群へと紛れていった。
「えっ……とぉ」
それから、三分ほど。
「……」
二人きりにも関わらず無言を貫く金髪三白眼に、渚はたじろいでいた。
(ど、どうしよう……)
冷静に考えれば、警察官に絡まれるより不良に絡まれる方がアブナイ。
気まずさに耐えられず、思わず渚が視線を地へ落とす。
後先の無計画さは、渚もやはり小学生なのだ。
「はぁ……どこの誰なら連絡していいのか、教えろ」
「え」
突然の呟きに、渚が思わず俯いた顔を戻す。
見れば金髪の強面は、しゃがみ込んで渚と目線を合わせていた。
「どうしても親には連絡されたくねぇんだろ。誰か迎えがくるまでは一緒に居てやる」
「あ、ありがとう。おじさん」
その言葉に反応するように、強面が目を細めて頬を引くつかせる。
「まだ俺はおじさんじゃねぇ……茅野 志吹だ」
「し、しぶきさん!」
渚が急いで訂正すると「うし」と志吹が頷く。
「お前、名前は」
「な、渚です」
「渚だな。よし。ほら、いくぞ」
立ち上がった志吹は、掌を渚に差し伸べてきた。
突然の行動に、渚は口を小さく開けたまま瞬きを繰り返す。
「手ぇ、つなげって言われてただろ。警察の人に」
言われたこと、守るんだ。ちゃんと。
人は見かけによらない。渚は深く学習した。
「焼きそば、食いてぇのか」
渚が焼きそばの屋台を見ていると、手を繋いだ志吹が呟いた。
「え、流石に悪いよ。志吹さん」
「ガキが遠慮すんじゃねぇ。俺が食いてぇからついでに買うんだ」
そう言って、無造作に志吹は焼きそば屋台へと渚の手を引いた。
財布から取り出したお札を屋台の親父に手渡し、挨拶してビニール袋を受け取る。
「ほら、そこのベンチ座って食うぞ」
志吹に言われるがまま、渚もベンチに移動した。
ベンチの前には手すりのついた勾配が強い坂があり、下には人だかりが見える。中央には、大仰なステージもあった。
「すっごい……お祭りって感じ……」
「おう。案外悪くねぇ席だ」
ステージの上部に大きく飾られた、「アカツキ花火イベントステージ」の看板。
「ほらよ。焦んねぇでいいから、ゆっくり食え」
志吹が一膳だけ割りばしの挟まったタッパーを開き、手渡してくる。
「い、いただきます」
もぐ、もぐもぐもぐ。渚の頬が膨らむ。
口に含んだ途端、油が染み込んだ野菜やお肉、香ばしい焦げたソースが香る。
「あ、美味しい」
もぐ、もぐもぐもぐ。渚の頬が上下する。
「ねぇ志吹さん」
「あぁ?」
ごくん。
渚は、じっと志吹を見つめた。
「何で、渚を助けてくれたの?」
「なんでって……困ってる奴。ましてガキ見かけたら、助けんのは当たり前だろうが」
あまりに簡潔な答え。
「そっか……」
困っている人を助けるのは、当たり前。ぼんやりと、渚の脳裏にある人物が浮かぶ。
ルーキープレイヤー、白魔導士のイブキ。
彼女との縁は、ダンジョン内で一人迷子になっているところを助けたところから始まった。今ではすっかり、もちもち柏マンに並ぶネッ友フレンドである。
(……ダンジョンで迷っていたイブキちゃんも、こんな気持ちだったのかな)
小さな太陽が、渚の胸の奥を温める。
金髪で三白眼。誰が見ても満点の悪人面の志吹の横顔を、渚はただジッと見つめていた。
「ほら、イベントステージ。始まるぞ」
優しい顔だ。
渚が知る、どんな大人より優しい横顔だった。
『はい、こんばんは~』
『どうもどうもどうも』
坂下のイベントステージから、マイクを通した声が響いた。
ほとんど同時に、ステージ付近から音楽と大拍手が湧き立つ。
『いやーぁ今年のアカツキ花火、盛り上がっておりますねぇ!』
『ねぇほんと! 毎年すごいけど、今年は特にすごいねぇ!』
渚から司会者であろう男性二人の顔は遠巻きであまり見えなかったが、声に聞き覚えがあった。
確か地元テレビ局の看板アナウンサーと、地元ラジオの名物パーソナリティだ。
渚も何度かローカル番組で一緒に番組に出演した事もある。
『いやー、そうでしょうよ! なんたって今年は、大目玉の【アルタイルの涙】がありますからね!』
『ほんとにね! 大丈夫なんですか、こんな大々的に公開しちゃってぇ!』
『さっき私ね、スタッフから聞いた話なんだけども。この【アルタイルの涙】にね、怪盗から予告状とか届いてるらしいですよ!』
『マズいじゃないですか! 大丈夫なの⁉ 本当に⁉』
冗談めかしたコメントが、会場から笑いを誘う。
それからもトークは続き、会場の高揚した祭りの雰囲気を掴んでゆく。
渚もそんな雰囲気をBGMに、膝元の焼きそばへと向き直した。
かと思いきや。
『おーいおいおい! ちょっとお嬢ちゃん、お嬢ちゃん⁉』
突然、司会者の声が張る。釣られて、渚もステージへ視線を戻す。
よく見ると、イベントステージ上では、お面を着けた女の子が一人。
両手を広げて走りまわっていた。ステージ上の机から何かリモコンの様なモノを手にすると、ひらりひらり。巧みに躱して、スタッフたちと追いかけっこをしている。
背丈からして、渚と同い年くらいだろうか。
「……嘘だろ、おい」
渚が、横の志吹を見る。
志吹の表情は、狼狽と放心。頬に一筋の汗が光った。
「あいつ、たぶん俺の妹だ」
志吹の口から、その言葉が漏れた。その瞬間。
――――――バツン‼
そんな音と同時に、イベントステージを照らしていた照明の電源が落ちた。
途端に、会場は闇夜へと包まれる。
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