第8話【パン屋さんのクリスマス】

 勝負の日がやってきた。少ないバイトと私と店長で回す12月24日のパン屋さんだ。もちろん商店街の内外からたくさんのご予約を承っており、店長はお客様から聞いている受け取り時間に合わせて新鮮なクリスマスケーキが仕上がるように、キッチンに缶詰になる。

 雪をも溶かすパン屋さんの熱い一日が始まった--

 我らが「ブーランジェリー・ジュワユーズ」は玉栄商店街にある。昔ながらの小商店の集まりだが、商圏には新築マンションも多く、客層は若いファミリーが結構いる。クリスマスとはいえ、毎日のパンを買いにくる人も当然ながらいて、その買い物のついでに思い立ってケーキを買ってくださる人もいる。予約以外のケーキは早い者勝ちだが、無くなる前にキッチンに伝えては補充するのを繰り返す。

「あの、すみません」

 品出しをしていると女性の声に呼び止められた。

「はい、いらっしゃいませ!」

 女性はなにやらお困りの様子だ。

「クリスマスのケーキが欲しいんですけど、娘がイチゴのアレルギーが出てしまって。パン屋さんにお願いするのも悪いんですが、イチゴを使っていないケーキはありますか?」

 さっとショーケースを見渡してケーキの在庫を見る。パン屋さんの作るケーキにそれほど種類はない。クリスマスケーキは季節的にもイチゴがメインだ。でも一つだけ、黄色が目立つケーキがあった。

「いま店長に確認しますので、少々お待ちください」

 私は急いでキッチンに向かい、店長に伝えた。

「イチゴアレルギーのお客様がいらしてるんですけど、柚子のショートケーキってイチゴ使ってますか?」

 店長が冬至で大量に仕入れた柚子。その残りをケーキに仕立てた商品だが、私は調理過程を見ていないから無責任にイチゴを使っていないとは判断できない。

「ヤマノさん、いい判断ね。実はクリームにイチゴを使ってるの」

 確認してよかった。でもお客さんには残念な思いをさせちゃうか。

「お客様にお断りを…」

「待ってヤマノさん」

 私がキッチンを出かけたところを店長が声で制した。

「イチゴ不使用のショートケーキ、今から作るわ。90分後に受け取れるか、聞いておいて」

「はい、かしこまりました!」


◆◆◆


 怒涛の一日が終わり、クリスマスイブのパン屋さんはいつもより少し遅く夜9時に閉店した。

「お疲れ様。はい、私からのプレゼント」

 帰り際、私のところに店長がケーキを包んでやってきた。

「もう遅いから、帰って食べなさい」

 中身を見ると柚子のショートケーキだった。私は少し考えて、片付けをする店長の後ろ姿に向けて言った。

「ここで食べます。店長、一緒に食べましょ」

 店長が片付けを終えるのを待って、私はコーヒーを淹れて二人分のショートケーキをお皿に移した。

「今日も店長はプロフェッショナルでした」

 いつもは突っ走る店長を斜めに見ながら観察しているが、この一日を乗り切ったあとだと正直にすごいと思う。

「あなた、社員になるつもりはない?」

 いきなり店長が直球をぶつけてきた。

「朝早く出勤する必要はないわ。もともとパン職人と接客は勤務形態が分かれてるからフレックスでOKよ」

 私の目をまっすぐに見て言葉を続ける。

「冷静に考えても、私にとっていい話だとは思うんですけど」

 この人の期待に応えられるようなことは何もしていない。私は頭の中で悪態をつきながら、不承不承で店長の無茶振りに対応していただけだ。

「いいえ。私にとっていい話なの。あなたのような人材がこのお店に入ってきて、とてもいい仕事をするのを私に見せてくれた。そんな人が社員になってくれるなら、こんなにいい話はないのよ」

 とっても自分本位な言い分なのに、とっても素直で嬉しくなる言葉だ。じっと私の目を見据えて話す言葉に偽りがないことはわかっている。

 どうせ何の目標もなく生きてる人生だ。この人の近くにいれば、目標のある人生を学べるかもしれない。

「わかりました。私、社員になります」

 店長の顔が一瞬柔らかく緩み、次の瞬間には目つきだけ鋭くなった。

「よし、そうと決まれば明日の戦略を立てるわよ。25日こそクリスマス。まだまだケーキを食べてもらいましょう。」

「ちょっと店長、ケーキぐらいゆっくり食べさせてくださいよ」

 この切り替えの早さと商売っ気の強さをじっくり勉強する日々がこれから始まるのだ。

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パン屋のバイトのヤマノさん 与太ガラス @isop-yotagaras

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