旧版 第1話 初めての仲間

第1 話 初めての仲間


 殲獣せんじゅう


 私の歩く木々の繁茂する山道には、それらの唸り鳴く声が響く。


 殲獣たちは、およそ百年前に突如世界各地に出現し、世界に混乱を巻き起こした。

 世界を壊し人々を殺し回った異形の怪物を人々は、殲滅の獣『殲獣』と呼んだ。



 現在、世界は殲獣中心に回っていると言っても過言ではない。

 かつて世界に普遍的に存在していたという動物たちは、その数を激減させている。


 その動物たちの多くは、殲獣に成り代わられていた。


 少年少女は、殲獣を倒す戦士になることを夢見る。

 大人達は、殲獣を倒しその体の部位を売り捌く。


 それにより経済が回った。


 殲獣は、とある概念を現実のものとした。


 魔法だ。


 殲獣たちは火を吐いた。氷を吐いた。大地を操った。巨大化した。翼もないのに、空を飛んだ。


 人々は殲獣の魔法じみた力を“魔術”として、また、その身体を武器として利用した。



 かつて世界では人族が人口の九割を占めていたそうだ。しかし、殲獣の登場により、人族の数は激減した。

 

 西部のように、いまだに地域によっては人族が大半であることもある。


 しかし、世界全体で見ると、長耳族、小人族、鬼族、吸血鬼族、獣族……かつては世界のごく一部の地域で繁栄した人族の亜種族が急激に勢力を広げているという。


 理由は不明だが、殲獣が現れてから、それぞれの亜種族が持っていた固有の能力や特性が強化されたことも、その原因であった。


 百年前に、殲獣が登場しておよそ五十年の間。

 人々は協力して殲獣に対応したという。


 しかし、やがて、亜種族たちは、殲獣の魔法じみた力の大部分を掌握した気になった。各種族は、のちに『大陸戦争』と呼ばれる大規模な戦争を、人族相手に起こすことになる。


 五十年前、各種族の王達が最も人口の多い人族の王を皇帝と認め帝国を建国したことで『大陸戦争』は終わった。


 亜種族が人族の皇帝を立てるという、人族に有利な条件で戦争を終わらせたのは、ライトの活躍により、戦況が長引いたのも一因であったそうだ。


 亜種族は数が少ないため、膨大な人口を誇るという点で、人族を恐れていた。そんな中、予想外に人族が奮戦して、戦争が長引いていた。


 人族の王国の将軍であったライトのおぞましいほどの戦果に、亜種族たちは、終戦を決意したらしい。


 しかし現在。

 人族の皇帝は都に集う亜種族たちに、傀儡とされている。


 亜種族達の行う政治は、人族に無頓着だった。


 これは、帝国最西部の辺境で、ライトに育てられた私でも知っているのだから、帝国中の誰でも知っている常識。


 亜種族が人族を軽視し、人族が亜種族を毛嫌う所以だ。


 そして……戦争が終わり50年経った今でも、帝国内の治安は……最悪だ。



 そう、例えば。



 一人で山道を旅する美少女に、数人がかりでカツアゲを仕掛けるような、自称冒険者どもが、三日連続で現れる程度にはね……。


 太陽が雲に隠れ、日が差していた山道には涼気が流れる。

 私の目の前には、人族の冒険者と自称する3人の盗賊がいた。

 古びた刀を持ち薄汚れた茶色い衣服に身を包んでいる。


「てめえみてェな餓鬼が、一人でこの山ウロついてたってな、どのみち命はねェんだ。殲獣に蹂躙されるよりも……今、俺たちに大人しく従ってついてきた方が身のためだぜ?」


 真ん中の長らしき男が、片手を差し出しながら幼子に言い聞かせるかのように言った。


 長い黒髪に、闇に吸い込まれるような黒い瞳。

 --こんな美少女に声を掛けておいて、よくもそんな言葉が出るものね。


 私は軽く息を吐いた。


 殲獣狩りなど、私にとっては慣れたものだ。幼い頃からライトにこっぴどくシゴかれたからな。

 

 正直この山によくいる猪型の殲獣の群れの方が、お前らチンピラ共よりも手強いわよ。


「ねぇ……私の持っている槍が見えないの?」


 私の槍は幻獣型の殲獣“ドラゴン”の牙で作られている。


 ライトに都シュタットへの旅を認めてもらうために狩った、ドラゴンの。

 冒険者を名乗るものであれば、この意味が分からないはずはないのだけれど。


「だからなぁ、嬢ちゃん。……ここは安物の槍振り回して甘えてりゃ良かったような故郷の村とは違えんだよ!!」


 怒声と嘲笑が曇天の山に響く。

 優しくしているうちに従わないからこうなるのだ、とでも言いた気である。


 ……聞かなかったことにして、見逃してあげてもよかったのだけれど。……一つだけ、許せない言葉があったわね。


「……そこまで言われて無傷で帰すほど、私は温厚ではないわよ」


 三人。

 まずはいちばん汚い口を聞いた真ん中の男の首筋を柄で叩きつけた。

 動揺した隙に、残りの二人はそれぞれ脳天を石突で小突いた。


 男達は微かに呻き声を漏らして倒れた。


「……なにが、安物の槍よ! 私がドラゴンを狩るのに一体どれだけ苦労したと思っているの!?」


 意識を失っている冒険者……いや盗賊連中に向かって吐き捨てる。


「ふん」


 動かなくなったのを確認して私はふたたび、足を進める。


「……もう雑魚相手は飽きたわ。村を出て三日、もっと強い相手と楽しみたいものだけれど……」


 口ではそう言いつつも、足取りは軽やかで滑らかに山を移動した。


 戦いは好きだ。


 互いのすべて、命を賭けた意思疎通。

 幼い頃からライトに槍を握らされて育った私には刃を交わすことは意思疎通の一つだった。


 もちろん殺意がない戦闘でも強者相手の戦闘は刺激的で、好きだ。でも、命を賭けた戦いを楽しめるという点では……私は殲獣との戦いの方が好きね。


 先ほどの男たちを殺さなかったのは、連中が私の命を奪うつもりまではなかったからだ。


 まぁ……この殲獣がいる山に気絶して放置されれば最悪死ぬけれど。加減はしたからきっと遠くないうちに目を覚ますはずだ。


 くるりと宙を一回転。山を駆ける足は速さを増すばかり。


 そうしているうちに、ますます楽しい気分になってくる。

 

 私はもっと、踊るように足を進めた。



『サキは危ういな。戦闘を楽しみ過ぎている。その趣向はいつかお前の足元を掬うだろう』



 いつかライトに言われた言葉を不意に、思い出す。


 今まで、村の連中との手合わせではライト以外に負けたことはなかった。

 隣の村に住んでいた駐在騎士には、幼い頃は苦戦したが最近では圧倒できていた。


 殲獣には、何度か死に目に合わされたけれど。

 ライトには、その度に、慢心するなだの油断するなだの頭を使えだの、叱られたものだ。


 ああ、でも。確かに。


 山の中では油断大敵だ。


 神出鬼没の殲獣。


 今日は居なかったけれど、昨日は、チンピラの仲間に弓使いがいた。木の上にいるのに気づくのが遅れて危うく怪我をしかけた。

 せっかく楽しい気分で身を翻しながら進んでいるのに。

 ザワザワと揺れる木々が私の心を騒がせる。気配を感じる。


 ……何か近くにいるな。


「……黒い翼……」


 低い声が聞こえた。一体、どこから聞こえたのか。


 ……!?


 しまった、上だ。気がついたときには、間に合わなかった。


 視界が揺れる。


「……グッ!」


 突如、上空から現れた男。

 高い木に潜んでいたのか。

 気がついた時には、押さえつけられていた。

 男は、両足で私の両腕を踏みつけている。

 そして、両腕で興味深そうに私の……翼を、掴んでいる。


 ……クソッ、槍を離してしまった。


「珍しいな、こんなところに吸血鬼族がいるなんざ。それも1人で」

 

 真っ黒な髪に黄色い瞳。その冷たい風貌から見て取れる通りの低い声で男は言った。森の湿った空気の中でも、男からはどこか乾いたような印象を受ける。


 私は睨むが、男は気にせず続けた。

 私に気取られず近づき、動きを封じるなんて。


「知ってるか? 人族の多い地域では、亜種族の体は高く売れるんだぜ、生体死体問わずな」


 男は低い声で、笑い混じりな喋り方で言う。

 どうやら、あまりに華麗に踊り過ぎたせいで外套がはだけていたようだった。

 黒翼が露わになってしまっていた。


 それを運悪く、この男が目撃したのだろう。


「今なら、泣いて謝ったら許してあげるわよ……! 退けこの……変態根暗男が!」


 純血の人族よりは少し尖った牙を剥き出して叫ぶ。

 しかしそいつには、何も聞こえていないかのようだった。


「……お前、まさか混血か? 翼が体に対して小せェな。それじゃ、飛べもしないし満足に動かせねェだろう」


 私の顔には目もくれず、翼を見つめながら言う。その目はまるで、獲物を狙う猛禽のようだ。

 この美少女を前にして失礼な奴だ。


 自称冒険者のチンピラ共の仲間の割には鋭い。


「……ッ」


 男が私の両腕を踏みつける力を強めた。


「こんな翼じゃ売っても大して値は張らねェだろうな」


 こいつ。

 相変わらず、私の目は見ない。

 私の持ち物、そして翼を弄るように睨め付ける。


「だが……その槍……さっきの連中への攻撃……」


 ブツブツと呟き始めた。

 さっきの連中と言った。

 この男は、あのチンピラ共の仲間ではないのか。


 突如、男の唇が、歪な形を取った。ニヤリと薄汚い笑みを浮かべたのだ。


「決めた。お前、俺と組めよ」


 男の顔がさらに不気味に歪んだ。

 どうにかして腕を解放しようともがくが、強く踏みつけられており叶わない。


「……断る。お前が泣いて謝らない限り私はお前を殺すつもりよ」


 出来るだけ冷静に答えた。

 仰向けになっている私には、男の背に曇り空越しの太陽が滲んで見えた。


 私の腕を踏む力はさらに強められる。

 そして私たちはようやく目が合った。いや、男にめ付けられたと言った方が正しいかもしれない。


「どの口で言っているんだ? そろそろ限界なんじゃないのか? その腕は」


「……」


 卑怯な奴だ。

 油断して先手を突かれなければ、こんな奴には、きっと負けはしないのに。

 だが、もうこうなってしまっては仕方がない。


「……いいわ。私が帝国軍で出世するまで、舎弟にでもしてあげる」


 男の表情は変わらない。相変わらず、下卑た笑みのままだ。


「餓鬼が。だが、まぁ良いぜ。お前の貧相な翼を売り捌くよりは金になるだろうからな」


 低く、飄々とした声。

 こいつに感情は存在しているのかと、思わず疑ってしまうような喋り方。

 そして何より、話す内容。


「……それなら、さっさと退きなさいよ。……クズが」


「ああ、よろしくな。半吸血鬼の槍使い」


 男は両手を挙げて、私の翼から手を離す。

 そして、私の体に伝わる衝撃など考えずに、勢いよく踏みつけていた両腕から飛び退いた。

 

 瞬間、私は山道に転がっていた槍を手に取り、立ち上がる。飛び退き、距離を取った。

 しばらく踏みつけられたせいで私の腕は見るに耐えない状態だ。



 淀んだ天からいつのまにか雨が降り始めていた。

 それから何も言ってこない男に、仕方なく私から口を開く。



「私は、サキだ。シャトラント村の、サキ」

「……あんな辺境に吸血鬼族が?」

「お前も名乗れ。この……クズな、根暗男!」


 何か言いた気なため息をつき赤い目を伏せ、男は口を開いた。


「俺はミラクだ。殲獣殺して日銭を稼ぐ、掃いて捨てるほどいる人族の冒険者だ」


 腰に一刀差しているな。剣士か。

 いや、しかし。

 この男は、あの冒険者共とは何もかも違った。私に気取られず近づき、無力化した。

 その後も、私が暴れ出さないように油断なく押さえつけた。


 只者ではない。絶対に。

 少しだけ、ほんの少しだけど興味が湧いてしまう。


「そうか、ミラクね。当然のことだけれど、私はお前のことが嫌いよ。……でも。あんた、それなりに腕は立つみたいね」


 ミラクは答えない。


「私が回復し次第、シュタットに着くまでの退屈凌ぎに、手合わせでもしてやるわ」


 手合わせ。

 村の子供たちは、私と戦うのをすごく楽しみにしてくれていたのを思い出した。

 私と手合わせをするのが楽しくそして為になると感じていたのだろうと思う。


 私としては、少し退屈な時間だったんだけれど、やはり強者である私との戦いは楽しいわよね。

 この男だって私の強さを求めて今、誘ってきたんだ。


「断る。雑魚と何の益にもならないことなんか、俺はしない」


 冷めた目と声で言い放たれた。

 何を言われたのか分からず、言葉を詰まらせてしまう。


「ざ……雑魚って……何よ? お前……私の強さを見込んで、誘ってきたんじゃないの……?」


 この男……えっと、そう。ミラクに踏みつけられ痛む両腕を震わせる。


 私を、雑魚呼ばわりなんて。

 ライト以外には、負けたことなんてないわよ。……お前のは不意打ちだから、数えないわ。


「お前と組むのは、ある仕事をするのに最低限の戦力があると考えたからだ」


 そう言いながら、ミラクは私には目もくれず、山道を歩き出した。


「なんて奴だ! ミラク、私が治ったら……覚悟しておけよ!」


 私は、外套を黒い翼が見えないように整えた。

 強まってきた雨に舌打ちして、フードも被る。


 そして、ミラクを追いかけた。


 ミラクは乾いた笑いを溢した。


「何だ、暗殺でも仕掛けるのか?」


「……はあ!? そんなことをする必要はないわよ。 正々堂々勝負を仕掛けて、お前を負かすの!」


 ……こんな奴が……ミラクが、私の旅の初めての仲間だなんてね。


 ライトの言い付けを守らず、油断して、翼を露わにしてしまった。


 そんな私への、天罰だろうか。


 曇空越しに仄かに見える太陽を睨む。

 雨が強まった気がした。


 いや、天罰のつもりだとしたら神様とやらは見当違いもいいところだ。

 私はライト以外で私より強いかもしれない人間に初めて出会ったんだ。


 思っていたよりも、少しだけ強烈だったけれども……悪くない。


 いつの日かミラクと本気で戦うことを思うと心の底から昂る。こいつは手加減なんかせずに戦ってくれそうだしね。


 村を出て三日目。

 世界の広さと、人との出会いは、私の期待など平気で上回ってしまうのだと、思い知った。

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