第12話 「遷る世の瀬」

 一方その頃、亀吉は紅間について行って坂道を上り、二人は桜ヶ丘公園へとやって来た。周りにはぼちぼちと和みに来た老人や飼い犬を連れて散歩に来た人がいるが、誰も二人には気付いてすらいなかった。散歩にやって来ていた犬が紅間に向かって吠えると、紅間は鋭い眼光で犬を睨みつける。

「ケッ、汚い犬っころめ。俺の前から、さっさと去ねぇ!」犬はその気迫に押され、か細い声で鳴き地面にうずくまって動かなくなってしまった。しかし紅間と亀吉が見えていない飼い主の男性は、その犬の行動にただ困惑していた。

「ぽ、ポチ?どうしたんだ?大丈夫だよ、ほら、目の前には何もいないから!」慌てふためく飼い主を尻目に、紅間と亀吉は静かに横を通り過ぎながら着々と坂道を登っていった。


 亀吉は周囲を見渡しながら訊ねる。

「...紅間。こんな所まで私を連れてきて、話とはどういうつもりだ?」すると紅間は後ろを振り返り、少し穏やかそうな顔で亀吉に言った。

「お前にこの世の景色を見せてやろうと思ったのでな。わざわざ此処まで連れて来たのだ。ほら、後ろを見ろ。」亀吉は言われて後ろをゆっくりを振り返る。その先に広がっていたのは、水平線の向こうまで家やマンション、ビルが無尽蔵に狭くひしめき合って立ち並んでいるという現代では何気ない都会の景色だった。しかしその景色を今まで見たことがなかった亀吉は、その圧巻の壮大さにハッと息を呑んで言葉を失う。

「な...何と言う景色だ...!私が生前に見た江戸の都の光景とはまるで違う。これが、今の江戸の町並みなのか?」それを聞いた紅間は歩いて背後に近づき、亀吉の肩に手を預けながら唐突に訊ねた。

「...なぁ、稲葉よ。お前にはこの景色がどう写っている?美しく見えるか?」

「は?何を突然...『美しいか?』とな...う〜む、どうだろうか。...すまぬが、その質問の意図も、自分の思いさえも私には良く分からない。」


 すると紅間はうつむき、口から掠れるような笑いを見せながら言った。

「ハハハ...そうかそうか、お前には分からぬか。お前の頭の中にある江戸の景色が、どのような道を辿り、その瞳に写る景色になったのかを。」

「っ...ど、どういう意味だそれは?」亀吉が問うと、紅間はその場の芝生に胡座をかいて座り込み、連連つらつらと語りだした。

「...稲葉、お前近頃になって目が冷めたのだろう?俺はお前とは違って、死んですぐにこの霊の体になった。そうして何もなく、ただ放浪としながらこの世がどのようになっていくのかを見ておったのだ。その道中を簡潔に言うならば、無常の極みというべきだろうか...南蛮の族の文化を取り込んだこの国の者は、かつての誇らしい大和の生き方を何と容易く捨てていった。そして時が流れるうちに幾度か紅毛人(今の西洋人)、支那人(今の中国人)と合戦をし、負け、更に我々の魂は跡形もなく消えていった。そうして現代になった今、この『日本』という国は幾万もの悪や闇にまみれている。警察とかいう町奉行がおるようだが、かつての我々のような武の力はない。まるで牙を抜かれて飼いならされた獅子のようだ。笑止滑稽...これでは嘗ての我々の方が素晴らしく、そして雄大で栄えていたのではないか?」


 それを聞いた亀吉は口を引き締めて黙りこくる。紅間は真っ直ぐな目で亀吉に言葉を返した。

「俺は、今のこの世界に辟易へきえきした。誰も彼もが皆、持っていた『魂』を失って徒然つれづれにただ呆けて生きている。皆最早屍人しびとと化した。我々と大差変わらないのだ。...なぁ稲葉よ、俺と一緒にこの世界を変えないか?この国の者に、この世に、再び『魂』を吹き込むんだ。」亀吉は紅間の顔を見て、ただ穏やかな表情で答えた。


 「紅間...済まないが、私はお主と共には行けない。」

「...それは何故なにゆえにだ?」紅間はギロリと目を細めつつ亀吉に低い声で言う。亀吉は下に広がる街を眺めながら言った。

「無論、私もまだこの世の隅々までもを理解している訳ではない。だが、私にはこの国...かつての江戸とは違うにしても、さほど悪くはないと思うのだ。お主の言う通り、この世界は我々の生きた世界とは大きく異なっているし、見様によっては腑抜けているのかもしれぬ。かつて存在した人々の活力や強さが無くなってしまったのかもしれぬ。しかし私はそれ以上に、この世界は人道と平和が満ちていると思うのだ。...私は知っている。世の中から憎悪が消えて広く泰平になれば、人はより多く死なずに済むと。」


 それを聞いた紅間は暫く静止して、亀吉の事をジッと見ていた。街の方からは微かに風が吹き上げる。紅間は何度か無言で頷いてから街の方を眺めてポツリと答えた。

「...成程。それがお前の決めた道というわけか。...ならば良かろう。さしてお前を招くつもりはない。ただ久しく会うお前と、こうして腹を割って語り合いたかっただけだ。」そして紅間は立ち上がり、芝の坂道を歩いて降りながら亀吉に言った。


 「...これで話は終いだ。ところで稲葉、お前は生前どうやって死んだんだ?お前と別れてからの出来事はあまり良く知らなくてな...」

「っ...そ、それは...」亀吉は少し険しい顔をして横をふと向いた。それを見た紅間は一回ため息をついて優しい声で言う。

「ふぅ...別に無理に言わなくても良い。きっと、墓場を過ぎても尚言外出来ぬ修羅場があったのだろう?言わなくても、お前の顔を見れば分かる。...さらばだ、また何処かで会おう。稲葉。」言い終えた紅間は風に吹かれた枯れ葉かのようにふんわりと飛び上がり、そのまま街の中へと消えていった。亀吉は段々と街の向こう側に落ちていっている太陽を見ながらポツリと言った。

「...貴殿きでんにも、この景色を一度見せたい物だ...おっといかんいかん!早く正華殿の所へ戻らねば。」亀吉は歩いてきた坂道を駆け下り、街の奥に見える金城大学へと向かっていった。


 ___一方その頃、私は元氏さんから連絡があったと思われる日野市の実践女子大学付近までやって来た。あれから一切連絡が返ってこなくなったのをずっと心配しながら近くまで走っていくと、丁度正門付近で女子大の学生二人と警察官が何やら話をしていた。私は少し遠くから耳を済ませて三人の話を聞いていた。


 「...えっと、この周辺でその男性を見たのは何時頃ですか?」警察官がバインダーに挟んだ紙にメモを取りながら女子学生に訊ねる。

「えっとあれは確か、つい30分前ぐらいですかね。私と彼女で一緒に外に出ていた時でしたのできっとそれくらいです。」

「そうよ。何か3人くらいの強面の人が男性を追いかけてるような感じで、凄く恐ろしかったです。お巡りさん、これくらいしか私達分からないんですけど...」

「えぇ...分かりました。一旦その男性はこちらで捜索しますので、お二人はこれで大丈夫です。ご協力、ありがとうございました。」警察官はそう言って横に止めてあったスクーターに乗り、そのまま交番の方へと帰っていった。


 私は肩を上下に揺らして、荒い息を吐きながら考える。

「(元氏さんは、闇バイトの人たちにダッシュで追いかけられてたってこと?なら尚更危ないわ。早く見つけないと...いや、もう捕まってるかも...)」私は両手を膝について下を向き、顎から汗を垂らしながら半ば絶望して諦めかけていた。その時、自分のすぐ目の前を通った黒いミニバンの車に強烈な違和感を感じた。私は下を向いていた頭を持ち上げて車を見る。その車には、他の車にはいないぐらいの大量の浮遊霊が後ろに憑いていたのだ。


 「あの車...間違いない、きっと元氏さんが乗ってる!」私は車の浮遊霊の憑き具合を見て素早く確信した。あくまで憶測だったのだが、元氏さんは不満を感じて発生させる負の胆力の量が一般人よりもかなり多いから、浮遊霊が異常につきやすい体質なのだろう。私は素早く写真を撮り、元氏さんのメールにその写真を送った。

「『元氏さん。今写真を撮ったこの車に乗っていたら、何でも良いので何か送ってください。』」私がメッセージを送ると、元氏さんは既読をつけてから直ぐにグッドのスタンプを送ってきた。


 それを見た私は急いで車を追いかけようとした。しかし車はそのまま真っ直ぐ走っていき、橋を渡ってすぐに向こうへ行ってしまった。視界から消える車にどうやって追いつこうかと悩んでいると、元氏さんから再び返信があった。私はすぐにタップして確認する。送られてきたのは、闇バイトで使われていると思われるマップ写真であり、一箇所に赤い印が書いてあった。私はそれを見てすぐに確信する。

「(このマップの位置...っ!分かったわ、きっとあの車はここの川沿いの工場に向かうんだ。だったら急いでここまで行かないと!)」私は写真とスマホのマップアプリを頼りに、夕焼けに染まっていく街を必死に駆けていった...


 


 


 


 

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