第16話 夜明けの予兆
まだ薄暗い早朝の解放軍基地。高千穂の山中を進んできたトラックのエンジン音が響き渡る。砂利道を軋ませながら到着したトラックから、大型のコンテナが慎重に降ろされる。
コンテナの扉が開かれた瞬間、薄い蒸気のような冷却ガスが漏れ出し、その中から新型の魔導機が姿を現した。
青と白を基調とした軽量なフォルム。装甲には細かな魔力回路が浮き彫りになっており、見る者にその洗練された設計思想を印象付ける。
「これが『村雨』だ。」
整備班班長であり、元帝国陸軍で魔導機の整備を担っていた入部春樹が周囲に向かって説明を始める。
「九曜インダストリーが開発した第4世代型魔導機で、搭載しているのは第五世代型多重出力式協調制御型リアクターだ。従来型とは完全に一線を画す性能を持っている。」
涼が一歩前に出て、村雨を見上げる。その姿には何か特別なものを感じさせるオーラがあった。
「この機体、何がそんなに違うんですか?」涼が恐る恐る質問する。
「簡単に言えば、パイロットの魔力特性をリアルタイムでフィードバックし、最適化できる。」入部が誇らしげに説明を続ける。
「これまではパイロットごとに個別のセッティングが必要だったが、この機体ならそれを自動で行える。それだけじゃない。搭乗者が熟練していなくても、機体がポテンシャルを引き出してくれるんだ。」
「……そんなこと、本当にできるんですか?」涼が不安そうに尋ねる。
「理論上はな。」入部が笑いながら答える。「でも、お前次第だ。大事になってくるのは意志の力だ。こいつの性能を引き出せるかどうかは、お前の覚悟にかかっている。」
村雨の搭乗口が開かれ、整備員たちが調整を始める。その姿を見つめる涼の瞳には、不安と期待が入り混じっていた。
コンテナの別の区画から、次に取り出されたのは複数の追加パーツだった。入部が手に取って説明を始める。
「ミナトさん用の焔の改修装備だ。これで戦術サポートの精度が格段に向上する。まず、背部にマウントする広域魔術通信システム。これを使えば、味方全体の魔力反応をリアルタイムで把握し、指示を送れる。」
ミナトがそれを無言で受け取り、じっと観察する。その横で入部がさらに別のパーツを取り出した。
「これが頭部に装着する高感度視界共有システムとマルチスキャニングシステムだ。戦場全体の地形や敵味方の位置を正確に把握できるようになる。それに加えて、タブレットモニター型の戦術オペレーティングシステム(戦術OS)も搭載。これでリアルタイムの指揮が可能だ。」
ミナトはタブレットを手に取り、軽く指で操作する。画面上には戦術マップのデータが投影され、整備員たちが動かしている村雨の位置も正確に表示されていた。
「タブレットはコックピット内にマウント出来るのか?」
「そりゃもちろん。ブラケットも用意してもらった。ロールケージに取り付けられるぞ。」
「こりゃいいな。思ってたよりもかなり。」
ミナトが静かに呟くと、入部が少し笑って肩をすくめた。
整備作業が進む中、涼がミナトの近くに歩み寄る。彼女は少し迷いながらも、意を決して尋ねた。
「ミナトさん……私、本当に村雨を扱えるんでしょうか?」
ミナトは彼女を見つめ、「最初から扱えるやつなんていない」と答える。
「ただし、村雨はお前の力を引き出すために最適化される機体だ。機体を信じてみろ。それが第一歩だ。」
涼は小さく頷き、村雨を見上げた。その横顔に少しだけ希望の色が浮かんでいるのを、ミナトは静かに見つめていた。
村雨が整備台から降ろされ、テストエリアに運ばれる。解放軍の訓練用フィールドには簡易的な障害物が設置され、周囲の整備員や技術者が興味津々にその様子を見守っている。
「準備は整ったぞ、涼。」入部が整備班の無線で涼に告げる。
「搭乗して、まずは基本動作を試してみろ。」
涼は村雨の搭乗口に立ち、一瞬だけ深呼吸をしてからコクピットに乗り込んだ。彼女が操作パネルに触れると、村雨が低く唸るような音を発しながら起動する。メインディスプレイに魔法式の術式が次々と表示され、内部が柔らかな光で満たされていく。
「よし、村雨のフィードバックシステムが稼働している。反応は安定しているな。」入部の声が通信越しに響く。
涼がゆっくりと操縦桿を動かすと、村雨が滑らかに歩き始める。その動きはまるで自分の体の一部のようで、初めて操縦するとは思えないほど自然だった。
「すごい……まるで私の体そのものみたい。」涼が小さく呟く。
「そう感じるのは村雨のリアクターが、お前の魔力を最適化しているからだ。」ミナトが観察用タブレットを見つめながら答える。「ただし、その分、負荷もお前に跳ね返ってくる。無理をするとお前の体が持たないぞ。」
涼は小さく頷きながら、村雨をさらに動かしていく。障害物をかわし、細かなターンやスピード調整を行うたびに、彼女の操作はどんどん滑らかになっていった。
その頃、ミナトは整備班と共に焔の改修作業を進めていた。
「まず広域魔術通信システムを取り付ける。このバックパックモジュールは、通信だけじゃなく敵味方の魔力反応を一括で把握するためのものだ。」手際よくパーツを組み込みながら説明する。
「次に、高感度視界共有システムだ。」彼は焔の頭部パーツに小型のセンサーを取り付ける。「これで戦場全体の地形データや敵の位置をリアルタイムで表示できる。」
ミナトが整備されたコクピットに入り、新しい戦術オペレーティングシステム(戦術OS)の動作を確認する。追加されたタブレットモニターに、村雨や訓練場内の全体図が表示されるのを見て、彼は軽く息を吐いた。
「まるで司令室だな。これなら戦場全体を見渡せる。」
ミナトが呟くと、作業を手伝っていた颯太が笑いながら「戦術サポートってのはそういうことだろ」と返す。
「これで俺が最前線に出る必要もなくなる。」ミナトはそう言いながらも、少しだけ複雑そうな表情を見せた。
訓練が終わった涼が村雨から降り、整備員たちに囲まれながらコクピットの感想を話している。その様子を少し離れた場所から眺めていたミナトが、静かに目を細めた。
「涼はこれで、戦場に立つ準備ができたな。」
ミナトがそう呟くと、入部が小声で続けた。「あんたもそうなんじゃないのか?戦場に立つ形は違ってもな。」
ミナトはそれには答えず、再び焔の調整に目を戻した。
繁華街から少し離れた閑静な通りに佇む、小さな喫茶店。入り口には控えめな看板と柔らかな照明があり、古い木製のドアを押して店内に入ると、落ち着いた音楽とコーヒーの香りが迎えてくれる。
絢香と凛が奥のテーブル席に向かい合って座っている。外の喧騒が届かない静かな空間。店内は客も少なく、二人の間には微妙な緊張感が漂っている。
絢香がゆっくりとコーヒーカップを手に取り、一口飲む。その仕草は優雅で、どこか冷静さを象徴している。一方の凛は、すぐにはカップに手を伸ばさず、絢香をじっと見つめていた。
「鹿児島なんて珍しい場所を指定したわね。」凛が軽い口調で切り出す。「こういう場所に来ると、体制側の人間だってアピールしているようなものよ。」
絢香が少しだけ笑い、「安全な場所を選んだだけよ。」と答える。
凛が少し体を前に乗り出し、小さな声で言葉を続ける。「体制の中で動く、なんて悠長なことをしていて、本当に何かが変えられると思ってるの?」
「外側から全てを壊せばいいと思う方が、よほど危険だわ。」絢香が冷静に返す。
凛が薄く笑い、「壊さなければ新しいものは作れない。」と反論する。
「壊した後に育つのは憎しみだけよ。」絢香はため息をつきながら視線を窓の外に向けた。
凛が少し苛立った様子で続ける。「絢香、あなたは知らないでしょう?収容所で何が行われているのか。人間扱いされない魔法使いたちがどれだけの苦痛を味わっているか。」
絢香は目線を外さないまま、静かに反論する。「知らないわけがない。だけど、それでも感情だけで動くのは危険だとわかっているから、私はこの方法を選んだ。」
「それで?あなたの方法はどれだけ成果を上げたの?」凛が冷たく問いかける。
絢香が一瞬だけ考え込み、口を開く。「成果を上げるのには時間がかかる。だけど、内側から動かなければ、いずれ外側からの破壊だけでは持続可能な変化にはならない。」
凛は肩をすくめる。「その悠長さが命取りになるのよ。」
二人の間に一瞬の沈黙が訪れる。店内のBGMが遠く響き、その静けさの中で、絢香がコーヒーカップを置く音が小さく響いた。
「でも、結局のところ、私たちは同じ目標を持っているわ。」凛が少し笑みを浮かべながら言う。「魔法使いが自由に生きられる世界。それがあなたの望みでもあるでしょう?」
「ええ、それは変わらない。」絢香も微笑みを返す。「方法が違うだけ。」
「その方法が大きな問題だと思うけど。」凛が皮肉交じりに答えた。
凛が椅子を引き、立ち上がる。「あなたが本気で何かを変えられるというのなら、それを証明してみなさい。私は外から体制を揺さぶる。それが私のやり方。」
絢香が微かに頷く。「期待しているわ。」
凛が店の出口に向かい、ドアを開ける。その瞬間、外から冷たい風が入り込み、絢香の髪をわずかに揺らした。
凛が振り返らずに出て行った後、絢香は一人静かに席に座ったままだった。
窓の外に広がる鹿児島の夜景を見つめながら、絢香が静かに呟いた。
「外から壊すだけじゃ、結局は瓦礫しか残らない……。」
彼女はコーヒーカップを手に取り、残りを一口飲み干す。その仕草は冷静で、どこか達観しているように見える。
しかし、その瞳に一瞬だけ迷いの色がよぎる。ミナトの顔が頭をよぎったのだ。
「……彼ならどう考えるのかしら。」
彼女は静かにテーブルにカップを置いた。ミナトの決断――戦場に戻らないという彼の選択と、それでもなお戦術サポートという形で戦いに関与する姿勢。それは、彼女が今まで見てきたどの人間とも異なっていた。
「彼のような人間は……私たちに何をもたらすのか。」
微かに口元に浮かんだ苦笑。それは期待か、それとも自分自身への皮肉か。絢香自身にもわからなかった。
月明かりが窓から差し込み、彼女の横顔を淡く照らしていた。その光景の中で、絢香はもう一度だけ静かに呟く。
「彼なら、きっと……。」
言葉の続きを紡ぐことなく、彼女は静かに席を立ち、喫茶店を後にした。
村雨の調整作業がほぼ完了し、基地の片隅に涼の姿があった。彼女は星空の下、村雨を静かに見上げていた。その横顔には、新たに与えられた力への期待と責任感が入り混じっている。
「……この機体が私を支えてくれるなら、私も応えないといけない。」
彼女の声は小さいが、周囲の静寂の中でしっかりと響いていた。
村雨の装甲が月光を反射し、どこか神秘的な光を放っている。それを見つめる涼の表情には、わずかに迷いが浮かぶが、彼女は拳を握り締めて言葉を続けた。
「ミナトさんが言った通り……信じるところから始める。きっと、それが第一歩なんだ。」
その声を聞きつけたのか、ミナトがゆっくりと涼に歩み寄る。
「もう遅いぞ。何かあったのか?」
涼は振り返らずに答える。「……なんでもありません。ただ、いろいろ考えてて。」
「いろいろ、ね。」ミナトは苦笑しながら、彼女の隣に立つ。「戦場に出る前は、誰だって考えることがあるもんだ。」
涼が少しだけ顔を上げ、ミナトに尋ねた。「ミナトさんはどうでしたか?最初に戦場に出たとき……怖くなかったんですか?」
その問いにミナトは少しだけ視線を逸らす。短い沈黙の後、静かに答えた。「怖かったさ。でも、恐れを感じる限り、俺は人間でいられた。だから、戦う理由も得られた。問題は……その理由が本物かどうかだ。」
涼はその言葉を反芻しながら、自分の足元を見つめた。そして、小さな声で言った。「私も……理由を見つけたい。」
涼が村雨を見上げながら決意を新たにする姿を、ミナトはしばらく無言で見守っていた。彼女の幼さの中に、確かに成長の兆しを感じ取る。
「理由か……。」
ミナトは心の中で繰り返す。かつて自分が戦場に立った理由――それは国家の命令に従うだけのものだった。しかし今、涼や他の解放軍の仲間たちを見ていると、かつての自分とは異なる『理由』が必要なのだと感じ始めていた。
「お前はきっと、その理由を見つけられるだろう。」
そう心の中で呟いた後、彼は一歩後ろに下がり、涼に声をかける。
「焦る必要はない。理由を見つけるのは時間がかかる。でも、その理由が見つかったら……村雨がきっと力になってくれる。」
涼は振り返り、少しだけ微笑む。「ありがとうございます。私……頑張ります。」
夜の静寂が基地を包み込む中、ミナトは焔の前に立っていた。整備を終えたばかりのその機体は、追加された改修装備が僅かな光を放ち、以前よりもどこか異質な雰囲気をまとっていた。
ミナトはゆっくりと手を伸ばし、焔の装甲に触れる。その冷たさが、彼の記憶を刺激する。
「……お前も変わったな。」
静かにそう呟くと、自分自身に語りかけるように続けた。
「俺も、お前と一緒にどれだけの戦場を駆けたんだろうな。あの頃のお前は、ただの兵器だった。俺も……ただ命令に従うだけの兵士だった。」
焔の追加装備が微かに電子音を立てる。それが返事であるかのように響き、ミナトは薄く笑った。
「今の俺に、お前を戦場に連れて行く資格なんてあるのか……?」
自分の言葉に答えはない。それでも彼は続けた。
「でも、お前は今、支えるための機体だ。戦うためじゃなく、仲間を守るためにここにいる。俺も、それを忘れないようにしないとな。」
彼は焔をじっと見つめながら、過去の記憶を思い返す。仲間を失い、自分だけが生き残ったあの戦場。無意味に終わった任務の数々。
「俺はもう、あんな戦いを繰り返すつもりはない。」
焔に語りかけるその声は、どこか決意に満ちていた。
「お前は、俺にとって戦場そのものだ。だけど、それでも今の俺たちは変わらなきゃいけない。涼も、瑠璃も、他の仲間たちも、もう無駄に失いたくないんだ。」
焔の装甲に手を置いたまま、ミナトは微かに苦笑する。
「お前にこんな話をしても仕方ないな。でも……お前は、聞いてくれるだろう。」
遠くの山の向こうから、少しずつ夜が明ける兆しが見え始める。焔の装甲に朝の光が反射し、微かにその姿が輝く。
ミナトは焔から手を離し、振り返りながら呟いた。
「俺たちは変わる必要がある。そして、変わるための第一歩を踏み出さなきゃな。」
夜明けの光が少しずつ基地を照らし出し、ミナトの背中を明るく照らしていく。その姿は、決意を新たにした人間そのものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます