第12話 交わる道、揺れる信念
颯太に連れられ、ミナトは野戦指揮所のような場所へと足を踏み入れた。目の前には簡素なテーブルと、古びた兵器や地図が並べられている。空気は冷たく、張り詰めたような緊張感が漂っている。
「朝倉ミナトさんを連れてきました。」
颯太の声に反応して、三人の幹部たちが一斉にこちらを向いた。その視線を感じ、ミナトは一歩踏み出す。
視線の先には、軍人らしいガタイの良さを感じさせる男、京都絢香のような気品と育ちの良さを感じさせる女、そして如何にも技術者と言った出で立ちの……男か女か、どちらとも取れない風貌の人物が立っていた。
「初めまして、朝倉ミナトさん。」
男らしい体格を持つ彼が、にこやかに手を差し出した。声には、どこか冷徹さと人懐っこさが混ざっている。
「柳川龍一と言います。申し訳ありません、本来なら、我々が直接お迎えにあがるべきところを。」
「いえ。とんでもない。」
ミナトはぎこちなく手を差し出し、握手を交わす。その手は、硬直した感触を覚えた。言葉が浮かばない。
「あなたが噂の……申し遅れました、田川凛と申します。」
その声を発したのは、気品を漂わせた女性だった。彼女の目は鋭く、まるでミナトを計るような視線を送ってくる。
「どうぞ、こちらにお座りください。」
その手のひらで指し示された椅子に座ると、彼女はすぐに続けた。
「あなたのことは、よく伺っています。素晴らしい技術を持っていらっしゃると聞いております。」
その言葉は、少しばかり皮肉を込めたようにも感じられたが、彼女の表情はどこか優雅で、ミナトはその言葉にどう反応するべきか戸惑った。
最後に、技術者らしき人物が低い声で続けた。
その人物は、ミナトに視線を送りながら、無感情な表情で言った。
「単刀直入に言います。私たちは、あなたの協力を必要としている。」
ミナトは一瞬、その言葉の意味を測りかねたが、すぐに気を取り直して答える。
「協力……ですか?」
その声には、明確な答えを出せない自分への苛立ちが滲んでいた。
颯太はその様子をじっと見守っている。言葉少なに、全てを見守るような目でミナトを見ている。
「解放軍には足りないものが多い。」
再び声を上げたのは凛だった。彼女は冷静で、どこか鋭い。
「あなたの技術があれば、この戦いを有利に進めることができる。」
その言葉には、ミナトが予想していた以上の期待とプレッシャーが込められていた。彼の心の中で、少しずつ疑念が膨らんでいく。
「私たちに協力していただければ、この戦いを終わらせることが出来るかもしれない。」
最後に言葉を発した技術者らしき人物は、静かに続けた。
「必要なものは、全てこちらから提供しましょう。我々には、多くのスポンサーがいる。九曜インダストリーもその中の一つだ。」
「九曜って……」
その目には、ミナトの返答を待ち望む強い意思が見えた。
ミナトは深く息を吸い、幹部たちの視線を受け止める。重圧感と緊張が、冷たい汗となって背中を伝った。
「協力……か。」
彼は低く呟き、頭の中で何度もその言葉を反芻する。思い浮かぶのは、廃村で見た涼の傷ついた姿。そして、彼女のかすかな息遣い。助けを求めていたあの瞳。
涼がいる限り、ここで背を向けることはできない。
だが同時に、脳裏に蘇るのは、過去の戦場。轟音、爆炎、そして焼け焦げた仲間の姿。金属の冷たさと、引き金を引く感触。身体の奥深くに残った戦場の匂いが、まるで幻のように甦る。
彼の手が無意識に震えた。
「……わかった。」
絞り出すように言葉を紡ぐ。
「協力はする。ただ、俺は……戦線には立てない。少なくとも、今は。」
その言葉は静かだが、どこか脆い。心に張り巡らせた壁が、今にも崩れそうな感触だった。
幹部たちの表情が一瞬、複雑に揺れる。
凛が口を開いた。彼女の瞳には、理解と哀しみが滲んでいる。
「それで構いません。今は、あなたがここにいることが重要なんです。」
龍一は少し眉をひそめたが、すぐに短く頷く。
「背を向けなかっただけでも充分でしょう。」
研究者然とした———勝馬輝、それが彼の名前だ———男は、唇の端をわずかに歪め、皮肉げに笑った。
「無理に前線に立たれて、使い物にならなくなるよりはマシでしょう。実際、あなたの機体は相当歪なようですし。」
ミナトは勝馬の言葉に軽く睨みを利かせたが、それ以上の反論はしない。心の奥底では、彼の言う通りだと感じていた。
颯太が静かに彼の肩を叩く。
「できる範囲で、手を貸してください。あなたの経験は、間違いなく我々の力に直結しますから。」
その言葉に、ミナトはわずかに息を吐く。
「……出来るだけのことはやるよ。」
それは、協力とも逃避とも取れる、曖昧な答えだった。しかし、今の彼にはそれが精一杯だった。
ミナトは静かな廊下を歩いていた。壁に設置された小さな照明が、淡く冷たい光を投げかける。医療区画特有の消毒薬の匂いが、過去の記憶を微かに呼び起こす。
扉の前で立ち止まる。重い息を吐き、震える手でそっとドアを押した。
静寂の中に、機械の電子音だけが一定のリズムで鳴り響く。
ベッドには、白いシーツに包まれた涼が横たわっている。彼女の顔は青白く、細い呼吸が胸を微かに上下させていた。額にかかった髪が汗に張り付いている。
ミナトは足音を忍ばせ、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。震える手が、涼の冷たい手にそっと触れる。小さく、か弱いその手。
「涼……。」
彼の声は、まるで霧の中に消えていくかのように掠れていた。
守れたのだろうか。本当に。
彼女の傷ついた姿が、その問いを突きつける。戦う覚悟を持てない自分が、誰かを守れるわけがない――そんな自嘲が胸を締め付ける。
ミナトの目が、霞切の破損した装甲を思い起こす。守るために使ったはずの力が、不完全なままだった。
その時、涼の指が微かに動いた。ミナトは驚き、息を呑む。
「……ミナト……さん……?」
そのか細い声が耳に届くと、心の奥に張り詰めていた糸が切れた気がした。
「涼……!」
涼の瞼がゆっくりと開く。焦点の合わない瞳が、ぼんやりとミナトを捉えた。彼女の唇がかすかに動く。
「……無事……でよかった……。」
ミナトの胸に、熱いものが込み上げる。
「こっちのセリフだよ……。」
涙が溢れそうになるのを堪えながら、彼は苦笑した。「お前こそ、無事で良かった。」
涼の目尻に、涙が滲む。唇が震え、かすかな声が漏れる。
「……ありがとう……助けてくれて……。」
「……助けたのは、俺じゃない。」
ミナトは俯き、唇を噛む。「結局、俺はまた誰かに助けられた。」
涼はゆっくりと頭を振る。弱々しいが、確かな意志がその動作にはあった。
「ミナトさん……ずっとそばにいてくれた……守ろうとしてくれた……それだけで……。」
ミナトはその言葉に、喉が詰まる。涼の頼りない声が、彼の心を締め付ける。
「俺は……。」
何かを言おうとするが、言葉が出ない。自分の無力さと、守りたいという願いがぶつかり合う。
涼は、そんなミナトの手をぎゅっと握った。力は弱いが、その温もりは確かだった。
「……一緒に……戦います……だから、ミナトさんも……」
涼の瞳には、迷いのない光が宿っていた。
ミナトは彼女の言葉を聞き、胸の奥で何かが軋む音を感じた。戦う恐怖、過去のトラウマ――それでも、涼の願いを無視することはできない。
「……わかった。」
絞り出すように言葉を紡ぐ。「お前がそう望むなら……俺は、もう少しだけ足掻いてみる。」
涼の唇に、小さな笑みが浮かんだ。
「ありがとう……ミナトさん……」
その笑顔は、儚くも確かな希望だった。
中庭に立つミナトは、冷たい夜風に吹かれながらぼんやりと月を見上げていた。霧が立ち込め、辺りは静寂に包まれている。ふと、背後から軽やかな足音が近づいてくる。
「こんな夜更けに、物思いですか?」
その声に振り返ると、田川凛がそこに立っていた。暗闇の中でも彼女の瞳は鋭く、迷いのない光を宿している。
「……田川凛、か。」
ミナトは視線を戻し、再び夜空を見上げた。
凛は静かにミナトの隣に立ち、同じように空を見上げる。しばらくの沈黙が二人を包む。
「涼ちゃんが目を覚ましたと聞きました。」
凛の声は優しいが、どこか冷静さを保っている。
「ああ……。」
ミナトの声はかすれていた。「無事で良かった……本当に。」
凛は小さく頷き、どこか遠くを見つめる。
「彼女、強いですね。あれだけの魔法を使って、まだ生きている。」
凛の口元に、微かな笑みが浮かんだ。「あなたが守ってくれたからでしょうね。」
ミナトは苦笑した。「守ったのかどうか……わからない。結局、また誰かに助けられただけだ。」
凛は少し眉をひそめた。「そうやって自分を卑下するのはやめませんか? あなたが助けたことに変わりはないんです。」
「……そうだといいんだがな。」
ミナトは深く息を吐く。「でも、戦う覚悟は……まだ持てそうにない。」
凛は静かにミナトを見つめる。しばらくの間、夜の静寂だけが二人を包んだ。
「私も、昔は同じ立場にいたんですよ。」
凛の声には、少し懐かしさが滲んでいた。「魔法庁にいたんです。あの頃は、国家を守るため、力を使うことに迷いはなかった。でも、気づいたんです――守るべき国家が、守るべき人を傷つけていることに。」
ミナトはその言葉に、静かに耳を傾ける。
「昔、ロンドンの魔法学校……ロンディニウム魔法学舎に留学していました。」
彼女の声にはどこか遠い記憶を辿るような響きがあった。
「けど、結局のところ、自分の社会的地位のためだけに魔術を使う人たちに囲まれていることに耐えられなかった。」
凛の目が鋭さを帯びる。かつて感じた失望と怒りが滲み出ていた。
「だから、私はここに来た。体制の中では救えないものを救うために。」
その言葉は、夜の静寂に重く響いた。
凛は少し目を伏せ、息を吐いた。
「でも、それが正しい道なのかは、今もわからない。」
ミナトはその言葉に耳を傾けながら、自分の胸の中にある迷いと向き合っていた。彼女の言葉は、彼自身の心の奥にある「正しさ」を問いかけているようだった。
「それでも、お前は選んだんだな。」
ミナトの声は、静かだがどこか羨望の色が混じっていた。
凛は微かに笑みを浮かべる。
「選んだというより……そうするしかなかったのかもしれない。」
彼女の瞳は迷いながらも、それでもどこか強さを秘めていた。
「でも、誰かが踏み出さなければ、何も変わらない。」
ミナトはその言葉に、涼の姿を思い浮かべる。傷つきながらも、自分を頼ってくれた少女の顔。
「俺には……まだ踏み出す勇気がない。」
ミナトは正直に言った。
凛は微笑んだ。「それでいいんです。今は、あなたがここにいるだけで十分です。」
彼女の言葉には、責める色はなかった。静かな肯定と、淡い期待が込められていた。
「あなたが、いつか一歩を踏み出す時が来たら――その時は、隣にいますから。」
ミナトは小さく頷いた。夜風が二人の間を通り抜け、霧の向こうに月がぼんやりと光を放っていた。
夜が明け、整備区画には無数の金属音とが響いていた。大型の照明が天井から鋭く光を投げかけ、影を細かく刻んでいる。
霞切は解体され、骨組みだけになりつつあった。装甲は外され、フレームは亀裂と焦げ跡、各部から漏れだしたオイルに染め上げられていた。だが、その中心――機体の心臓部である炉心は、かすかな光を放っていた。
紅い光が、壊れたフレームを淡く照らす。その光は、霞切がまだ生きていることを示していた。
ミナトは無言でその光を見つめる。工具を握る手は、微かに震えていた。
「まだ動くのか……。」
その呟きは、自分自身への確認のようでもあった。炉心が脈打つ限り、霞切はまだ終わっていない――そして、自分自身も。
「機体がボロボロでも、炉心だけは無事ですね。」
後ろから整備士が声をかける。「これさえあれば、また動かせますよ。」
ミナトは目を細め、炉心に手を伸ばした。冷たい光が指先に触れる。そこには確かな温もりと、脈動する生命のようなものがあった。
「……こいつは、まだ諦めちゃいないんだな。」
かすかな笑みがミナトの唇に浮かぶ。
壊れていたのは、自分の方だったのかもしれない。
フレームは壊れても、炉心は生きている。自分の中にも、守るための意志は、まだ潰えていなかった。
「他の霞切からフレームを持ってくる必要がありますね。」
整備士が図面を見ながら言う。「ただ、元の時点でかなり改装されてます。炉心の性能についていくには、ほぼ新造ということになりますね。」
「……ああ、そうだな。」
ミナトはゆっくりと頷く。「フレームが新しくなっても、こいつの心は変わらない。」
炉心の光が、わずかに強く脈打った気がした。それは、霞切がミナトの言葉に応えたように感じられた。
「守るために――もう一度、立ち上がる。」
ミナトは工具を手に取り、再び作業に向き合う。ボロボロの霞切を一つずつ解体し、新たな姿へと組み上げるために。
冷たい金属に触れる手には、もはや迷いはなかった。
炉心の光が、工場全体に淡く広がる。ミナトと霞切――二つの心が、静かに再生へと向かっていた。
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