第八話「微かな違和感の先に」
二人で街を歩き回っているうち、賑やかな通りを抜け、静かな区域へと足を踏み入れた。ここは観光客があまり訪れない場所らしく、人通りもまばらだ。代わりに、ひっそりと佇む古びた建物や、少し朽ちた外壁が目につく。
「なんだか、急に雰囲気が変わりましたね」
「うん。観光地って感じじゃないけど、こういうところの方が掘り出し物があったりするんだよね」
アイリは周囲を見渡しながら足取りを軽くした。だが、フィーネの表情はどこか硬い。見覚えのある道が目の前に続いている気がしてならなかったのだ。
そんな時、二人の横を通り過ぎた男性たちの会話が耳に入ってきた。
「なあ、知ってるか? この辺りにある店、めっちゃ珍しい薬とか魔道具が揃ってるらしいぞ」
「ああ、あの老人の店だろ? 何年も前からやってるって話だな。でも、この間見たやつが言ってたんだよ。そこにボロキレ纏ったすごい可愛い店員がいたってさ」
「へえ、そりゃまた妙な話だな。ボロキレって……どんな格好なんだか。しかも、その店員、一回しか見られなかったっていうんだろ? まるで幻じゃねえか」
「だな。店もいつ開いてるのかわかんねえし、やっぱり噂だけなのかもな」
男たちは笑いながら通りの奥へと歩いていった。アイリはその話に興味を引かれたのか、足を止めて小さく首を傾げる。
「ボロキレ纏った可愛い店員……? なんだか不思議な話だね」
「……そうですね」
フィーネの胸中には、彼らの言葉が妙に引っかかっていた。老人の店、そして一回だけ店番をした可愛い店員――それはまさしく、自分のことかもしれない、と。
「ねえフィーネ、ちょっと行ってみない?」
「えっ?」
「せっかくだからその店を探してみようよ。薬とか魔道具のお店って、すごく面白そうじゃない?」
アイリは楽しそうに言うが、フィーネはどこか落ち着かない気持ちだった。
「うーん……でも、その店って営業しているかわからないんじゃ……」
「それも確かめてみるのが面白いんじゃない?」
アイリに半ば引っ張られる形で歩き出すフィーネ。道を進むたびに、想像が確実になってくる。やはり、噂はあの老人の店に違いない。
やがて、目の前にその店が現れた。朽ちかけた木の扉に、少し色褪せた看板。目立つ装飾などは一切ない、地味な店構えだ。けれども、フィーネにとっては忘れられない場所だった。
「ボロキレって、そういえばそうだったような……」
「え、もしかして知ってるの? フィーネ!」
「……まあ、少しだけ……」
アイリが興味津々な様子で店の前に立つ。フィーネは躊躇しながらも、扉の前で足を止めた。
店内から漏れる独特な香り――薬草と金属の混じった匂いが鼻腔をくすぐる。中に入れば、再びあの老人と顔を合わせることになるのだろうか。フィーネは老人があまり悪い人ではないと知っている。だがアイリはそうじゃない。会わせてしまって本当に平気なのか。
「入ろっか、フィーネ」
「は、はい……」
扉がギィ、と音を立てて開いた。店内の薄暗い空間に、微かな光が差し込む。その先にはいつもの店内が広がっていた。案の定客の姿はない。というより、従業員の姿もない。
老人が誰かを雇っている様子はなかったが、本当にこれで経営できているのか……?フィーネの頭にハテナが浮かんだ。
「誰もいないね。……まぁ、適当に見よっか」
アイリの言葉に頷くと辺りを散策する。特に店内は広いわけでは無いが、それでも珍しい物が多い。よく分からない機材や道具が沢山置いてあるのだ。
今まではここを観察する余裕は無かったが、今ならある。
加えて、文字も多少なら読めるのだ。ここがどんな店で、どんな道具を扱っているのか今なら理解できる気がした。それを達成できたなら、老人のことももっと詳しく知れるだろう。
フィーネは棚に並ぶ様々な道具に目を移した。初めて見る形や材質のものばかりで、興味が尽きない。木製の台座に金属の歯車がはめ込まれた機械や、透明な球体の中でゆっくり回転する紫色の液体などが無造作に置かれている。
「これって……なんだろう?」
手に取ったのは、小さな金属製の器具だ。表面には複雑な紋様が刻まれており、側面にはいくつかのスイッチらしき突起がある。フィーネは試しにその突起を押してみたが、特に何も起こらなかった。
器具の横には値札が置かれており、彼女はそれを読むために顔を近づけた。
「えっと……『次……元動……器……』? ……なにこれ、全然わからない……」
どうにか文字を拾おうとするが、難しい単語ばかりで断念する。フィーネは少し悔しそうな顔をしながら器具を元の位置に戻した。
「フィーネ、こっちはどう?」
アイリが棚の向こう側から声をかけてきた。フィーネが向かうと、アイリは丸い鏡のような道具を手に持っている。鏡の表面には虹色の光が微かに揺らめいていた。
「これ、なんだか綺麗だよね。説明も書いてあるみたいだけど……あ、フィーネ、読める?」
「えっと……」
フィーネは鏡の近くにある札に目を向けた。そこには、簡単な文字でこう書かれていた。
「『観……影……鏡』……ですかね? 影を……映す鏡……?」
彼女が不確かな読み方をするのを見て、アイリは微笑む。
「うん、合ってるよ。影を見る鏡……かな? 面白そうだね。値段は……『六千ルミナ』。うわ、これ結構高い!」
アイリは驚いた表情で鏡を棚に戻した。
その後も、二人は珍しい道具を次々と手に取っては札を確認していった。フィーネは、ある程度の文字が読めるようになったことに自分で驚きつつも、やはりまだ完全には理解できない歯痒さを感じていた。
やがてアイリが、ある小さな瓶を見つけた。
「フィーネ、これ見て! なんか可愛い小瓶だよ。しかも、値段が『五百ルミナ』って書いてあるから安くてお得かも!」
「えっと、なんて書いてあるんですか?」
「えーっとね、『体力回復薬』。ほら、傷とか疲れを癒してくれるやつだと思う!」
アイリは楽しそうに説明しながら、小瓶軽く振って中の液体を観察する。透明な液体の中で、光る粒子がキラキラと揺れていた。フィーネもそれに目を奪われる。
「確かに便利そうですね。でも店員さんがいませんよ」
フィーネが辺りを見渡すと、カウンターの上に小さなベルが置かれているのに気づいた。アイリがすぐにそれを指差す。
「これかな? 鳴らしてみようか」
「はい……お願いします」
アイリが軽くベルを鳴らすと、透き通った音が店内に響いた。どこか不思議なその音に、二人は思わず顔を見合わせる。
しかし、それから数秒待っても何も起きなかった。
「……誰も来ないね?」
アイリが首を傾げながらカウンターの奥を覗き込む。
「おかしいですね……ちょっと、待っててください」
フィーネはそう言うと、カウンターの横を通り過ぎ、店の裏手へと向かった。その足取りには迷いがなく、まるで以前からこの場所を知っているかのようで、アイリは驚いた表情を浮かべる。
「フィーネ、どこ行くの? そっちは店の人しか……」
「……えっと、ここ、私の住んでる場所なんです」
「えっ!」
フィーネの言葉に、アイリは目を丸くしたが、反応する間もなくフィーネは裏口を開け、店の奥へと消えていく。
裏手に入ると、薬草や金属の匂いが濃くなり、生活感のある空間が広がっていた。フィーネは迷いなく居住スペースへ向かう。そこには一つの小さな机と椅子が置かれており、その椅子にはいつもの老人が腰掛けていた。
老人は深く頭を垂れ、まるで眠っているかのようだ。しかし、その姿にどこか違和感を覚えた。呼吸が聞こえないのだ。
「……あの?」
フィーネは声をかけたが、老人は微動だにしない。その無反応に不安が募り、急いで肩を揺さぶった。
「ちょっと! 起きてください!」
それでも返事はない。老人の体は冷たくはないが、まるで人形のように動かない。フィーネの胸がざわつく。
「……聞こえてますよね! 返事してください!」
声のトーンが上がり、何度も揺さぶる。焦るフィーネの手の中で、老人の体が突然ピクリと動いた。次の瞬間、全身が硬直し、まるで機械に電源が入ったかのようにビクンと震えた。
彼の目がぱっと開き、すぐに光を宿したように見えた。
「ん……ああ……なんだ、騒がしいな」
低い、けれどどこか安定した声が部屋に響く。彼の老いた目はまだぼんやりしているが、やがてフィーネの顔を捉えると、苦笑交じりに口を開いた。
「何を慌てとるんじゃ、フィーネ。少し目を閉じていただけじゃ」
「目を閉じてただけって……! 完全に動かなくなってたじゃないですか!」
フィーネは怒りと安堵の入り混じった声を上げたが、老人は何事もなかったかのように椅子に深くもたれ込んだ。
「そんなに慌てるな。こうして生きてるじゃろ?」
その言葉に、フィーネは呆れながらも胸を撫で下ろす。
「それより、表にお客さんがいます。この前のアイリっていう子で、店の中を見て回ってるんです」
「ほう? あの子か。どうせ暇つぶしだろうが、勝手に見ていればいい。あの店の物は、見て楽しむために置いてあるようなもんじゃ」
「そう言わずに……せっかくだから何か買ってもらう努力をしてください。ちょっとは売り上げを気にしましょうよ」
老人は鼻を鳴らし、薄く笑った。
「ま、私が出て行かんでも、お前が対応すれば十分じゃろ。客の相手くらいしてやれ」
「……分かりました。けど、今度本当に動かなくなるようなことはやめてくださいよ……」
「ふん、心配性じゃの」
軽く手を振る老人に見送られ、フィーネは表に戻るため足を進めた。
表で待っているアイリの顔が頭に浮かぶ。この状況をどう説明しようかと考えつつ、フィーネは裏口を静かに閉め、店の方へと向かった。
「すみません、お待たせしました」
店の裏手から戻ると、アイリは棚の前で透明な小瓶を手に取りながら、興味深そうに眺めていた。
「あ、戻ってきたね。裏、何があったの?」
「えっと……少し用事があって……それで、大丈夫です。気にしないでください」
フィーネは短く答えながら、カウンターの向こうに立った。その顔はどこか硬く、少しばかり曇っている。先ほどの老人の異変が頭から離れず、笑顔を作る余裕がなかった。
「へえ、なんだかお店の人みたいだね、フィーネ」
「……そうですね、一応、そういうことになります」
そう言ってはみたものの、フィーネの口調も態度もどこかぎこちない。アイリは一瞬気にかけるようにフィーネを見たが、それ以上は何も言わず、持っている小瓶をそっとカウンターに置いた。
「これ、買いたいんだけど、大丈夫かな? 『体力回復薬』だっけ。傷とか疲れを癒せるなら、一つ持っておいても損はないよね」
「はい……ありがとうございます。えっと……値段は『五百ルミナ』で間違いないですね」
フィーネは小瓶を手に取ると、中の液体を確認し、慎重に紙袋へと入れた。その間、どこかよそよそしい仕草が続いている。
「本当に何でもない? さっきからちょっと元気ない気がするけど……」
アイリは少しだけ言葉を濁しながら尋ねた。しかし、フィーネはその言葉に軽く首を振り、淡々と答えた。
「いえ、大丈夫です。お客さんの相手をするのに、変な態度はとれませんから……」
「そっか……無理しないでね」
アイリはそれ以上突っ込まず、袋を受け取る。フィーネの態度が気になりつつも、今は深く追求するべきではないと感じたのだ。
ふと、アイリの中に一つの疑念が浮かぶ。
ボロキレ纏った女の子って……もしかして、フィーネのことなんじゃ?
店の佇まいや彼女が住んでいる場所だという言葉。さらには、店番をしているらしき様子――すべてがその噂話と結びついていた。
「ねえ、フィーネ……」
「はい?」
「もしかして、噂の女の子ってフィーネのこと?」
アイリの言葉に、フィーネの表情が一瞬だけ強ばった。
「……何のことですか?」
「ほら、さっき男の人たちが話してたでしょ? 珍しい薬とか魔道具があるお店に、ボロキレ纏った可愛い店員がいるって」
その指摘に、フィーネは沈黙した。
言い訳を考えようとするものの、アイリの瞳はまっすぐにフィーネを見つめている。逃げ道が見つからず、結局フィーネは小さくため息をついた。
「……はい、多分、それは私のことですね」
「やっぱりそうなんだ!」
アイリは驚きながらも、どこか怒ってるような顔をする。
「でも、『ボロキレ』ってひどい表現だよね。全然そんな感じしないのに」
「その頃は……本当にそんな服を着てたんです。それしか持っていなかったので……」
フィーネが眉をしかめる。あの記憶はあまり良いものではない。
「本当にそんな服を着せられてたの? 信じられない!」
アイリは眉を寄せ、拳を軽く握りしめた。いつもの明るい表情とは打って変わり、どこか怒りの色を含んでいる。
「いえ、その……着せられていたというか、私がそれしか持っていなかっただけで……」
フィーネは言葉を濁しつつも、アイリの怒りを少しでも和らげようとした。しかし、その説明が逆効果だったようだ。
「着せられてたってことは、誰かが用意してくれた服じゃないの?」
アイリの目は鋭く、問い詰めるような口調だ。
「まあ……はい。でも、それは仕方のないことで……」
フィーネは視線を逸らしながら答える。老人の事情もあり、彼を責める気持ちはなかったが、アイリにとっては納得がいかない様子だった。
「仕方ないなんてそんなのおかしいよ。女の子にそんな格好をさせるなんて、どういう神経してるの?」
アイリの声が少し大きくなる。その正義感の強さに、フィーネは困惑しながらも微笑んだ。
「でも、今は違う服を着ていますし、もう気にしていません。その人も悪気があったわけではないと思います」
フィーネの落ち着いた声に、アイリは少しだけ肩の力を抜いた。
「……そっか。でも、そういうのはちゃんと言わないとダメだよ。フィーネだって大切にされるべきなんだから」
「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから……」
アイリはまだ不満げだったが、強く押し続けることはしなかった。代わりに、ふと何かを思い出したようにフィーネへ問いかける。
「ねえ、このお店……あのおじいさんもここに住んでるの?」
フィーネは一瞬、どう答えようか迷ったが、結局正直に答えることにした。
「はい。というか、あの人がこのお店の店主です」
「へえ、そうなんだ……」
アイリはそれ以上何も言わず、意味ありげに頷いた。その表情は、多少の怒りはあるものの冷静さを取り戻している。
フィーネは、アイリの反応に少し違和感を覚えた。いつもの過保護なアイリなら、「ちょっと文句でも言おうかな!」と老人に直接文句を言いに行きそうなものだった。しかし、意外にも深追いはせず、落ち着いた態度を保っている。
――まあ、いいや……。
フィーネはその違和感を気に留めず、そっと胸を撫で下ろした。これ以上、面倒なことにならないのはありがたかった。
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