第五話「心と身体の違和感」
気がついた時にはフィーネと老人は何時ぞやのアトリエに転移していた。そのような超常現象を目の当たりにしてフィーネは目を丸くする。
「もしかして魔法……?」
直接的に見たのは初めてだった。老人から受ける強制命令も、恐らくは近しい何かなのだろうが魔法という感じはしない。
「そんなこと言っとる場合か、今からお前の修理をするんじゃぞ」
発光をやめた本を机に置き、フィーネの身体を一番最初にいた台――手術台のようなものに横たわらせる。
そんな老人の顔はいつもに増して笑顔だった。
「何が楽しいんですか?」
「いや、いいものを見せてもらったなと。まさにあの娘との出会いは運命じゃったなぁ」
フィーネは老人の言葉に首を傾げながらも全身の力を抜いた。アトリエに漂う薬品の匂いと、金属が触れ合う軽い音がフィーネの緊張をさらに高めた。
老人が工具を手に取り準備を進める間、ふと恐怖が頭をよぎる。
「……ちょっと待ってください。 麻酔は?」
フィーネが身を起こしかけると、老人はきょとんとした顔をして首を傾げた。
「麻酔? ……なんじゃそれは?」
「え? 痛みを感じないようにするやつです! 手術の時とか普通あるはずじゃ……!」
フィーネの説明に、老人は苦笑しながら肩をすくめた。
「痛みじゃと? フィーネ、お前は今まで痛みを酷く感じたことがあったか?」
その問いに、フィーネは思い返す。確かに、転倒や破損を経験しても、思い出せる痛みはどれも鈍い感覚だった。激痛を感じたことは一度もない。
「……そういえば、ないかも?」
「じゃろう。お前は最初からそういうふうに作られておるんじゃ。苦痛を極力感じないようにな。ある意味、設計者の配慮というやつじゃの」
老人が楽しげにそう言い放ち、再び作業に戻ると、フィーネは少しだけ安心したような気持ちで台に横たわった。
老人は静かに修理を始めた。フィーネの腕を覆う外装を取り外し、内部の細かな配線や部品を調整する。フィーネは不安な気持ちで作業を見つめるが、痛みを感じることはなかった。
「そういえば、壊れた原因って……やっぱりお茶を飲んだからなんですか?」
老人は工具を動かしながら軽く頷いた。
「そうみたいじゃな。それが直接の原因じゃ。お前の体はそもそも食べ物や飲み物を摂取できるようには作られておらんのじゃよ」
その言葉にフィーネは目を見開いた。
「それってつまり……食べたり飲んだりできないのが普通ってことですか?」
「そうじゃとも。それを無理にやれば、こうして内部に負荷がかかって壊れることになる」
フィーネは衝撃を受け、憤慨した様子で老人に詰め寄った。
「それ、最初に説明してくださいよ! どうしてそんな大事なことを放置してたんですか!? お茶だって普通に出されたのを飲んだだけなのに!」
老人は工具を置き、苦笑いしながら手を広げた。
「まぁ、そう怒るな。お前が怒る理由もわかるが、実はそこまで気を回せなかったんじゃよ」
「どういうことですか?」
フィーネが食い下がると、老人は少し困ったような顔をしながら話し始めた。
「ホムンクルスというのはな、作るだけでも大変なんじゃ。私がここまで人間らしいものを作れるようになったのは、正直、奇跡に近い話じゃよ」
「奇跡?」
「そうじゃ。お前は感情を持ち、意思を持ち、こうして私に文句も言える。それだけでもすごいことなんじゃ。だからな、食事が必要な機能や、消化器系なんて手間のかかるものは最初から省いたんじゃよ。私の技術ではそこまで手が回らんかった」
老人の言葉にフィーネは少し呆れたような顔をした。
「それじゃあ、私は普通に生活できないってことですか」
「元々ホムンクルスというのは、創作上の存在なんじゃ。現実の生物とは違う。ただここまで作れるだけでも素晴らしいことなんじゃぞ」
老人はどこか誇らしげに笑いながら言葉を続けた。
「だが、確かに今回のことは私の説明不足でもある。すまんのう、これからはもっと注意して設計を見直すべきじゃった」
フィーネは呆れながらも、老人の言葉に納得するしかなかった。自分がどんな存在であるかを改めて思い知らされるとともに、老人が自分をここまで作り上げた努力を感じ取ることもできたからだ。
「……まあ、次からは注意します。でも、本当に私を作るのにそんなに大変だったんですか?」
「そりゃあもう、私の人生の大半をかけたといってもいいくらいじゃよ。お前がここにいる、それだけでわしにとっては成功じゃ」
フィーネは少しだけ肩の力を抜き、苦笑いを浮かべた。
「それなら、もう少しちゃんと使いやすく作ってくれてもよかったのに」
「贅沢を言うんじゃない」
二人の間に静かな笑いが生まれる。修理が終わるころには、フィーネの心にも少しだけ安堵と感謝の念が広がっていた。
フィーネは身を起こすとずっと思っていたことを尋ねる。
「どうして私が壊れたのにすぐ気づけたんでしょう?」
老人は手を止め、ふむ、と小さく頷きながら椅子に腰を下ろした。
「それはな、私とお前にはパスがあるからじゃ」
「パス……?」
フィーネは不思議そうに眉をひそめる。老人は静かに説明を始めた。
「お前の体は完全に独立して動いているわけではない。私が創った存在として、お前の状態や異常をある程度把握できる仕組みになっているんじゃよ。言うなれば、微弱な信号のようなものが私とお前を繋いでいる」
「それで、私の様子がおかしいのが分かったってことですか」
「その通りじゃ。お前の動作が不安定になったから、すぐに異常を察知した。それで急いで様子を見に行ったわけじゃ」
フィーネは少し驚いた顔を浮かべながら、自分の存在について考え込むように黙り込んだ。
「じゃあ……もし私が他の人と接していても、あなたにはわかるんですか」
「ある程度はな。だがフィーネ、覚えておくんじゃ。他の人間に、自分がホムンクルスであることを知られるのは得策ではないということを」
老人の声が急に真剣になり、フィーネは驚いたように顔を上げた。
「どうしてですか」
「人間というのは、理解できないものに対して恐れや偏見を抱くものじゃ。特にお前のように見た目が人間そっくりな場合は、逆にそのギャップが大きな問題になる」
フィーネはしばらく黙っていたが、やがて先ほどの出来事を思い出したようだった。
「……そういえば、さっき人攫いに遭いかけたんです」
「なんじゃと?」
老人は思わず身を乗り出した。フィーネはその場面を思い返すようにして口を開いた。
「知らない男の人に急に声をかけられて、その後急に腕をつかまれて……でもアイリのおかげで逃げられました。結局、何が目的だったのかはわからないんですけど」
老人はしばらく考え込んだ後、深いため息をついた。
「やはり、目立ちすぎたんじゃろうな。お前の見た目があまりにも、こう……可愛らしすぎるせいじゃ」
「えっ」
フィーネは呆気に取られた顔をした。
「私の目から見ても、お前は作り物とは思えないほど愛らしい。人間たちもそれを見て自然と惹きつけられてしまうんじゃろう。守ってやりたい、そばに置きたい、そんな風にな」
老人は静かにそう告げると、フィーネは言葉に詰まったようだったが、何かを思いついたように顔を上げた。
「……すみません、鏡を見せてください」
「鏡じゃと?」
「自分の顔、ちゃんと見たことがないんです」
老人は少し驚いたが、近くの棚から鏡を取り出してフィーネに手渡した。
フィーネは恐る恐る鏡を覗き込む。そこに映るのは、整った目鼻立ちと滑らかな肌、そしてどこか儚げで守ってあげたくなるような顔立ちの銀髪の少女だった。
「……これ、私?」
フィーネは思わず声を漏らした。その顔はもちろん、男だった頃の自分と似てるわけもなく、想像していたものとは全く違う美しさがそこにあった。人間だった時のフィーネが見掛けたら絶対に一目惚れしてるだろう。
「そうじゃよ。お前はこうして完璧に作られている。だからこそ、時に危険を引き寄せることもある」
老人がそう言うと、フィーネは鏡を見つめながら静かに呟いた。
「……守ってあげたくなる顔、か」
老人の言葉が頭をよぎる。自分の存在が人間とは違うと知りながらも、その美しさが人を引きつける要因になるという事実に、少しだけ戸惑いを感じているようだった。
「だからこそ、私は言っているんじゃ。お前は慎重に行動しなければならない」
――まぁ、だからこそこのような見た目にしたんだがの。
老人の小さな呟きは届かない。フィーネは鏡を置き、ゆっくりと頷いた。
「そうじゃ、フィーネ。お前のために部屋を用意しておいたんじゃよ」
「えっ、部屋ですか?」
フィーネは驚きつつも興味深げに老人を見つめる。
「お前もこれからしばらくここで過ごすことになるじゃろう。ゆっくり休める場所が必要じゃからの。案内してやろう」
そう言うと老人は立ち上がり、フィーネをアトリエの奥へと導いた。薄暗い廊下を進み、木製のドアを開けると、そこには簡素ながら温かみのある部屋が広がっていた。小さなベッドと机、そして棚に並んだ数冊の本。窓からは柔らかな月明かりが差し込んでいる。
「どうじゃ、気に入ったか?」
フィーネは目を輝かせながら部屋を見回した。
「……こんな部屋、初めてです。ありがとうございます」
そう言って、フィーネは小さく微笑む。
「今夜はここで休むといい。修理が終わったばかりじゃからな、無理せず体を労わるんじゃぞ」
老人は優しくそう告げると、そっと部屋を後にした。フィーネは一人きりになり、ベッドに腰掛けた。柔らかな布団の感触に、自然と心が落ち着いていく。
しばらくして、フィーネはふと自分の体に目を向けた。修理が終わったとはいえ、やはりどこか違和感が残っている気がする。ベッド脇の小さな鏡を手に取り、改めて自分の姿を確認した。
「……これが私、か」
流石に生前が男とはいえ自身の身体に興奮はできない。中身が人でないなら尚更だ。けれど、好奇心はある。
――傷、治ったのかな。
慎重に手を動かし、腕の袖をまくる。そこには白い包帯が何重にも巻かれていた。さらに慎重にそれを剥がしていくと、内部には細長い傷跡が見えた。それはあたかも古い手術痕のようで、傷の端が少し盛り上がり、治癒したような痕跡が残っている。
「……傷跡は、意外と残ってるんだ。消えなかったら嫌だなぁ……」
フィーネは眉をひそめながら、続いて服の裾を少し持ち上げて腹部を確認した。そこにも同じような包帯が巻かれている。それを外すと、こちらにも深い傷跡が残っていた。まるで腹部が一度大きく切り開かれたかのようだった。
フィーネは軽く指先で傷跡をなぞる。その感触は奇妙で、まるで自分の体ではないかのような感覚に襲われた。
「私の体って……」
言葉が自然と漏れる。これまで意識していなかったが、フィーネの体はあまりにも完璧に見える表面の下で、どこか人間らしさを逸脱しているように思えた。自分がホムンクルスであることを知ってはいたものの、この体がどのように作られ、どんな過程を経て今の形に至ったのか、その全貌を知らないという事実が、フィーネの胸に不安を生み出していた。
自分の中で次第に膨れ上がる疑問。その夜、フィーネはその問いの答えを求めるように、窓の外の月明かりをじっと見つめ続けた。
依然として眠気は訪れない。娯楽も何も無い。この暇な時間がフィーネにとってはどうしようもない苦痛に感じて仕方なかった。
そして、アイリのことを考える。きっと怒っているのだろう。けど……朝になったらアイリの家に行くべきだ。
それが、この世界で唯一できた友達との約束だったから。
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