第9話 色好きな小動物


 出会ってから数ヶ月、学園生活の中でのライナスとアルノルの関わりは、ひっそりと誰の目にも止まらない場所で着実に多くなっていた。


 結局ライナスはその言葉通り、毎日図書館奥の窓下のスペースへと通い、眠ることを目的に訪れているであろうアルノルも、ライナスが現れると決まって起き上がって会話を始めた。


 最初の内は、一言二言、その日の天気だとか、学内であった小さな事件の話だとかを交わして、それぞれソファに腰を下ろして眠りに落ち、授業の始まる10分前にはどちらともなく起き上がってから片方を起こし、静かに次の教室に向かって戻っていくだけで終わっていたのだが、数ヶ月も経てば、次第に2つのソファに挟まれるようにして鎮座するテーブルの上には、菓子やティーセット、共通の話題となる本などが少しづつ増えていった。


 双方、人との関わりを避け、静かな場所で過ごしたり、眠ったりすることを目的にこの場を訪れていたのが当初の目的であったが、思いの外、人間性や価値観の面での相性が良かったらしく、静かな休憩に使えるはずの時間を会話に使う分には何の拒否感も抱かなかった。


 しかしまあ、ライナスとて自らの感情には決して疎くない方だ。


 この意外とガサツで口が悪くて性格もたいして良くはなく、人間が嫌いだと言うくせに妙に人間に依存しているように見える、美しくて変な先輩に惹かれていることに気づくのに、時間はそうかからなかった。


 だが、ライナスが皇族である以上、この恋情がそれ以上に発展することはまずないだろう。この国では同性婚も異性婚と同様に主流ではあるが、皇族であるライナスにはそれは許されないし、アルノルの存在を学園に入学するまでには見たこともなかったことからも、おそらく身分にも差があるのだろうと考えた。


 それに加え、何やら気になる噂も聞いていた。

 この美麗な先輩は、どうやら学年を超えて噂になるほどの遊び人らしい。年齢、性別問わず、彼との関係を持ったという生徒は数え切れないほどに存在する。本人もその噂を否定するどころか隠しもしないのだから、多かれ少なかれそれは事実なのだろう。


 しかし、彼は相手を選びはするものの、その数は多い。だというのにライナスに対しては全くその素振りも見せないところが悔しい点だ。これが脈なしというものなのだろうと一時は少なからず心が塞いだものの、彼は一度関係を持った相手とはそれ以来関わりもしないらしいので、すぐに彼とのそういった方面での親交は諦め、友人として彼の側に誰よりも近づけるよう努力することに徹した。


 ふと、横でぼーっと窓の外を眺めるアルノルに目をやる。


 陽に照らされた琥珀色の瞳が青い空を反射し、混ざりあった色が色素を薄く見せ、まるで透明感の増した幼子のように映る。


 はじめて彼を見たときに抱いたように、彼がどこか遠い場所に行ってしまいそうで、ここではないどこかを見ているようで、自らの手すら届かないような腹の奥底に、静かに不安の種が再び芽を覗かせた。


 だがこんな意味不明な焦燥を抱くのも珍しいことではない。いつものことだと慣れたように封じ込める。


 自分の胸中など悟られぬように、また自分自身を騙すように、努めて笑顔を作ってから、テーブルの上にあった焼き菓子を1つ摘まんで彼の口元に差し出した。


「これ、結構いけるぞ。今月食べた中では1番」


 すっかりライナスに対しての警戒心をどこかへやったアルノルは、窓の外へとやった視線はそのままに大きく口を開けて頬張る。


「…んー、…んーーーうまい


 お気に召したのか、召さなかったのか、ライナスからは判別がつかない。

 美味しいと言っていることは分かるのだが、アルノルは今まで何を食べても同じ反応をしてきていたので、好物が何かもよくわからないでいた。


 しかし、アルノルの口に入るギリギリのサイズのものを選んだ甲斐があった。


 薄い唇はバターケーキの油でほんのりと艶を増し、薄桃色の頬いっぱいに含んだ甘味をもぐもぐと一生懸命に咀嚼している。


「………」


 仕草は完全に小動物のそれだ。


 ライナスは自分に許された特権に思わず笑みを滲ませつつも、無言でその光景だけを焼き付けるように視界に収めた。


 それからというもの。


 無事に卒業したライナスは皇城で予想もしていなかった再会を果たした。


 一年先に学園を出ていた初恋相手はすでに上級の文官として立派に働いている。加えて身分に差があるのだろうと思っていた彼は、見事に皇族に準ずるような高位貴族家の子息だった。


 学園を出て距離を置けば、彼へと向ける思いも忘れ、ライナスのためとなる良家の令嬢との婚約に前向きになれるだろうと踏んでいたのだが、物理的に距離をとることには失敗したらしい。


 しかし、当然というべきか、彼には幼少から決められている婚約者が存在した。学園内で見ていた彼の自由な性事情からは予想もしていなかったのだが、高位貴族の直系男児ならばそれも当たり前。

 王位継承権や派閥の関係で婚約者を定めずにいるライナスの方が例外なのだ。


 そのことに加え、上下関係ができてからはアルノルが徹底的に臣下としての態度を崩さなくもなった。他人行儀な口調をはじめ、表情など1mmだって崩さないのだ。それは非公式な場でも、二人きりの空間でも同じことだった。


 仕方のないこと。そういう運命だったというだけのこと。


 アルノルにとって自分がそれまでの存在であったのかと考えると悲しい部分もあるが、それだけの理由があれば、ライナスだって落ち着いて諦める選択ができた。


 初恋とは実らないものであると聞いていたし、皇族に生まれた以上、もとより期待はしていなかったことなのだ。


 将来国を支える1人の有望株と、1人の皇子。


 それだけの関係で上辺を取り繕うようになってから数年と少し。


 興味本位と情報収集の目的で参加した国内最大規模の仮面舞踏会で、ライナスはアルノルと出会った頃のように心の臓から震えるような新たな出会いを果たした。


 その相手の名前どころか、顔さえも知らない相手。会話だって酒混じりに交わした数時間程度。


 しかし頭に直接文字を打ち込まれるように理解させられた。


 初恋の彼との出会いを彷彿とさせる、内から溢れ出るような愛情、恋情、逃したくないと焦がれる欲望。


 そして、こんな出会いはもう二度と訪れない。


 頭ではこれを追うべきではないと解っている。それでも頭より先に身体を突き動かす何かがあった。


 これを逃がしたくない。逃がすべきではない。


 この出会いは確かに、ライナスにとっての新たな恋だった。

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