第40話 包囲網

 かつて政界のフィクサーあるいはキングメーカーと呼ばれた火草ひくさ王造おうぞうの屋敷は、都内でも有名な高級住宅街の一角にあった。

 広大な平屋の日本家屋は高い塀に囲まれており、重厚な構えの正門を見ただけでも、全盛期の火草ひくさの栄華がうかがえる。

 幸いにも、屋敷があるのは、住宅が集まっている区域からは、やや離れた場所ではある。しかし、念の為、「怪異戦略本部かいいせんりゃくほんぶ」を始め、協力関係にある警察や消防、自衛軍の一部も動員し、周辺住民たちの退避が進んでいる。

 現在、術師たちが屋敷を監視しているが、たしかに強力な「怪異」の気配が感じられるものの、内部では未だ動きがないという。

 陸と桜桃ゆすらは、火草ひくさの内偵を担当し、今は正門の前で屋敷を監視している、術師の伊織いおりや、「対怪異戦闘部隊たいかいいせんとうぶたい」の来栖くるすたちと合流した。

「『対怪異戦闘部隊たいかいいせんとうぶたい』および術師により、この屋敷は完全に包囲されています。こっそり抜け出そうとしても『感知の結界』に引っかかるから、すぐに分かります。袋のネズミというやつですね」

 屋敷を眺めながら、伊織が得意げに言った。

 普段は本部の外で見かけることのほとんどない、戦闘車両まで待機している様は壮観である。霊子れいしエネルギーをまとわせた弾丸を発射する機関砲などが搭載された、「怪戦」専用のものだ。

「姿を隠す能力を使っても、術師の皆さんには見付かってしまうんですよね」

「その通りです。只人ただびとの目は誤魔化せても、我々のように高い霊力を持つ術師を欺くことは不可能ですから」

 陸の言葉に、伊織がますます鼻を高くしている。

「伊織よ、相手の正体が分からぬ以上、油断は禁物ぞ。まして、少なくとも人間と同等の知恵を持つ者だろうからの」

 背後から聞こえた声に、陸たちは振り返った。

 そこに立っていたのは、桜桃ゆすらの祖父にして、「怪戦」に所属する術師の最高責任者である術師長、花蜜はなみつ無常むじょうだった。

「これは……術師長までが現場にいらっしゃるとは」

 驚いて姿勢を正す伊織を見て、無常むじょうが笑った。

「これは、結構な大事おおごとになりそうだと思ってな。耄碌もうろくした年寄りは邪魔か?」

「と、とんでもない! 久々に師匠の術が見られるかもしれないと思うと、楽しみですらあります」

 普段は、どこか高慢な伊織がかしこまる様子を見て、無常むじょうが相当の実力者であろうことを、陸も感じた。

 ふと、陸は胸の奥から、これまでに感じたことのない灼熱感が湧き起こるのに気付いた。

「ヤクモ、何か変な感じがするんだけど」

「……『悪しきもの』の気配である」

 陸の脳内に、これまでになく暗い声が響いた。

「『悪しきもの』?」

「すまぬ、『あれ』を的確に言い表せる言葉は、人間の語彙の中にはないのである」

「もしかして、何か思い出したの?」

「未だ霞がかかっているようではあるが……われが、『あれ』を滅ぼさなければならぬということは分かるのである……」

 普段とは異なるヤクモの様子に、陸は一抹の不安を覚えた。

「案ずるな、われは何の問題もないのである。其方そなたは、帰った後に食べたいものでも考えておればよいのだ」

 陸の心を見透かしたようにヤクモは言うと、小さく笑った。

 その時、正門の分厚い扉が音もなく開いた。

 開いた門の間には、杖をついた和服姿の老人がたたずんでいる。

 すっかり髪が抜けて、つるりとした頭部に、曲がった腰、深く皺の刻まれた顔――絵に描いたような「年寄り」である。だが、まとっている着物は遠目に見ても高価なことが分かるものだ。

「おや、皆さん、お揃いで。こんな年寄り一人に、大層な出迎えですな」

 外見に似ず張りのある声で、老人が言った。

 その声と姿に、陸は言葉に表せない不快感を覚えた。嫌な感じとしか言いようのない感覚と共に、胸の奥の灼熱感が更に強まっていく。

「陸よ、そろそろわれと代われ」

 ヤクモが言うと共に、陸は自分の意識が身体の奥に沈むのを感じた。

「あなたが、火草ひくさ王造おうぞうか」

 一方、術師長である無常むじょうが老人に問いかけた。

如何いかにも、わし火草ひくさです」

 老人――火草ひくさが、微笑みながら答える。自分の屋敷を武装した集団に取り囲まれているというのに、不安や恐怖、疑問すら感じられない、その余裕のあるたたずまいは、もはや異様だった。

「ふむ、火草ひくさ氏は、少なくとも『人間』の筈だが。貴様は『人間』ですらないようだな。『本物』の火草ひくさ氏は、どうした?」

 無常むじょうの言葉に、場の空気が一気に張り詰める。

「そこまで分かっているなら、回りくどい言い方は不要だ。あの老人は、情報を得る為にわしが食らってやったわ。わしの一部になったなら、永久に生きられるということでもあるな」

 火草ひくさの姿をした「怪異」が、いやらしい笑みを浮かべた。

「この屋敷には火草ひくさ氏の世話をしていた者たちがいた筈だ。彼らを、どうしたんだ?」

 伊織が問いかけると、「怪異」は哄笑しながら言った。

火草ひくさ同様に食らっただけよ。お陰で、色々と情報を得られたが……あの光明院こうみょういんという小僧が思った以上に使えなかった所為で、計画が台無しになったわ」

 その言葉が終わらないうちに、無常むじょうの手元から「怪異」に向かって無数の光の槍が放たれた。

 凄まじい光と熱の奔流に、陸を始め周囲の者たちも圧倒される。

 しかし、最後の光が消えた時、「怪異」は何事もなかったかの如くたたずんでいた。

 着ていた服は術の熱で焼け落ちているものの、本体は無傷だ。 

「そんな……おじい様の、あの術を受けて……?!」

 桜桃ゆすらが、珍しく狼狽うろたえた様子で呟いた。

「戦闘部隊、術師ともに、一旦、対象から距離を取れ!」

 インカム越しに来栖くるすの声が飛んだ。

 同時に、火草ひくさの姿をしていた「怪異」のシルエットが、どろりと崩れたかと思うと、それは見る間に波打ちながら膨張していく。

 頭上にあった門まで破壊しながら、不定形だった「怪異」は、巨大な烏賊いかたこなどの軟体動物を思わせる姿へと変化した。

わしを追い詰めたつもりかもしれんが、その逆だ。邪魔な貴様らを、ここで一網打尽にできるのだからな!」

 「怪異」の声――いや、不快な思念が直接脳内に捻じ込まれるのを、陸は感じた。

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