第12話 花と氷と

 来栖たちから格闘技の手ほどきを受けた翌日、陸は真理奈まりなに呼び出され、研究施設内の実験室の一つへ向かっていた。

「また、あの冷泉れいぜいとかいう娘から呼び出しであるか。我々は何もしておらぬぞ」

 ヤクモは真理奈まりなが苦手らしく、ぶつくさと不平を漏らしている。

「まぁまぁ、たぶん、研究の為のデータ取りとかだと思うよ」

 陸がヤクモをなだめていると、背後から彼らに声をかけた者がいた。

「おはようございます。真理奈まりなさんのところへ行くんですよね」

花蜜はなみつさん、おはよう。そうです」

「私も呼ばれているんです。一緒に行きましょう」

 微笑む桜桃ゆすらの顔を見た陸は、緊張が少し和らいだ気がした。

「しかし、陸は人間にしては随分と寛容であるな。あの冷泉れいぜいという娘に殺されるところだったのに、よくもまぁ、何でもない顔で話ができるものである」

 ヤクモの言葉に、陸は少し考えてから答えた。

「俺も怖かったけど、冷泉れいぜいさんも『怪異』から人々を守る任務があった訳で……今は、そんな心配は無いし、いいじゃないか。そもそも、俺は一度死んでるから、後の人生なんてオマケみたいなものだろ?」

「陸、そんな風に考えていては困るのである。其方そなたが死ねば、われの存在もぬ……命は大事にせよ」

「ご、ごめん」

 思いがけずヤクモから諭される形になり、陸は首をすくめた。

 ――俺を育ててくれた爺ちゃんと婆ちゃんが亡くなって、もう心配をかける相手もいないと思っていたけど、今は一人じゃないんだっけ……

「あの、真理奈まりなさんのこと、あまり悪く思わないであげてくださいね」

 黙って二人の話を聞いていた桜桃ゆすらが、躊躇ためらいながら口を開いた。

「仕事熱心だから、きつく見えるけど……元々は正義感が強くて優しい人なんです」

花蜜はなみつさんは、冷泉れいぜいさんのこと、下の名前で呼ぶんですね」

 陸は、ふと気付いたことを口に出した。

「そうですね。家同士が親しくしていて、私と真理奈まりなさんは幼馴染みみたいなものなんです。私が小さい頃、男の子に泣かされそうになると、いつも真理奈まりなさんが庇ってくれました」

 桜桃ゆすらは昔を思い出したのか、遠くを見るような目をした。

「私は似合っていると思うんですけど、本人は、下の名前が可愛すぎるから呼ばれるのが恥ずかしいって言ってて……だから、人前では名字で呼んでいるんです」

冷泉れいぜいさん、意外と可愛いところがあるんだね」

 陸は、くすりと笑った。無意識に冷たい機械のように感じていた真理奈まりなに対し、今は彼女も体温を持つ人間なのだと思えるような気がした。


 実験室では、既に真理奈まりなが待ち構えていた。

風早かぜはやりく、あなたに渡すものがあります」

 陸と桜桃ゆすらの姿を見て、開口一番に言うと、真理奈まりなは傍らのデスクの上を指し示した。

 そこにあったのは、折りたたまれた服と、バイザーのようなものだ。

 陸は、手に取った服を広げてみた。

 上下がつなぎになったものと、その上に着るのであろうジャケットが一組になっている。

 繋ぎのほうは、戦闘員たちが身に着ける黒を基調とした戦闘服に似ているが、背中の部分が大きく開いている。翼を出した際に邪魔にならないようにする為だろう。

 黒に近いスモークガラスを思わせる素材で構成されたバイザーは、目元を覆う形になっており、それにインカムが付けられている。

「サイズを確認したいので、その戦闘服に着替えてください」

 事もなげに言う真理奈まりなに、陸は戸惑った。

「ど、どこで着替えれば……」

 その様子を見ていた別の男性職員が、口を挟んできた。

「こっちに、使っていない部屋があります。冷泉れいぜい三佐、よろしいですよね? さすがに、うら若い女性たちの前で彼を裸にさせる訳にもいかないでしょう」

「え……ああ、では、そちらでどうぞ」

 心底うっかりしていた、という表情で、真理奈まりなが言った。

 職員に案内された小部屋で、陸は渡された戦闘服に着替えた。伸縮性のある生地で仕立てられた戦闘服は、陸の想像以上に動きやすいものだった。

「まぁ、アニメに出てくる人みたいですね」

 小部屋から出た陸を見て、桜桃ゆすらが目を丸くした。

「そ、そうですか? このバイザー、外から見ると真っ黒でも、内側からは普通に見えるんですね」

 桜桃ゆすらの思いがけない感想に赤面しながら、陸は周囲を見回した。

「それにしても、サイズぴったりで驚きました」

「身体検査で計測した、あなたの身体のサイズから調整しましたから。戦闘部隊の制服には特殊素材の装甲が縫い込まれていますが、あなたの場合は機動性を重視して軽量化しました」

 真理奈まりなが頷きながら言った。

「出撃の際は一般人に顔を見られないよう、常に、そのバイザーを装着してください。『風早かぜはやりくという人間が怪異と融合して使い魔になっている』事実は、我々『怪戦』以外には秘匿された情報なのです。なお、対外的には、あなたの身分は『怪戦』の臨時職員ということになっています。追って辞令が出る筈です」

「……分かりました」

 ――俺のような事例があると一般の人たちに知られれば、混乱が起きる可能性もあるからな。仕方ないか……

「正体を隠して戦う……まるで『ひーろー』ではないか。人間の男は、そういうのが好きであろう?」

 ヤクモの呑気な言葉で一気に緊張感が吹き飛んだ陸は、苦笑いした。

「まぁ、嫌いじゃないけどさ。君は、変なことばかり覚えてくるなぁ」

 漫才状態になっている陸たちを横目に、真理奈まりなは白衣のポケットから小さな器具を取り出して、桜桃ゆすらに手渡した。

「あのバイザーと対になっているインカムです。もちろん、指令室や他の戦闘部隊との通信も可能です」

「お揃いですね。これは冷泉れいぜいさんが作ったんですか? すごいですね」

 小さく折りたたまれていたインカムを広げて眺めながら、桜桃ゆすらが微笑んだ。

「材料は殆ど既製品だし、特別な技術は使っていないから、大した手間はかかっていませんよ」

 そう言う真理奈まりなの表情が若干和らいでいるように、陸には感じられた。

冷泉れいぜい三佐は、海外の有名大学を飛び級で卒業されたエリートですからね。まだ十代の頃に、その頭脳と知識を見込まれて、特例で技術士官として『怪戦』に招かれたんですよ」

 先刻、陸を着替えの為の小部屋へ案内した職員が、何度も頷きながら言った。

「俺と同い年くらいなのに三佐なんて凄いと思っていたけど、本当に凄い人だったんだ」

 陸は、素直に感嘆した。

「私は、本当は術師になりたかったんですけどね。術を発動できるほどの霊力がないので、『呪化学』の専門家になったのです。霊力を持たない人間でも『怪異』と戦える技術を開発できるように」

 不意に、ぽつりと真理奈まりなが呟いた。その表情は、ひどく寂しげだったが、陸の視線に気づくと、彼女は普段通りの冷徹な顔に戻った。

「まり……冷泉れいぜいさん……」

 桜桃ゆすらが口を開こうとした時、聞き覚えのある警告音と共に、急を告げるアナウンスが研究施設内に響き渡った。

「S区Y公園内に大型の『怪異』出現、民間人に負傷者が出ている模様! 哨戒しょうかい中の戦闘部隊が対応中! 出撃可能な戦闘員、術師は急行されたし!」

「ここ何日か静かだと思っていましたが……私は指令室に行きます」

 真理奈まりなが厳しい表情で言うと、足早に出入り口の扉へ向かった。

「あ、あの!」

 考える前に、陸は声を出していた。

「俺たちも、行ったほうがいいですよね?」

 彼の言葉に、真理奈まりなが振り返った。

「実戦投入は戦闘部隊と演習をしてからと思っていましたが、そうも言っていられませんね。花蜜はなみつさん、コードネーム『ヤクモ』と共に、戦闘部隊の援護へ向かってください」

 真理奈まりなは言い残すと、慌ただしく実験室を出て行った。

「了解です! ……では、転移の術で現場に向かいますから、風早かぜはやさんは私の傍に来てください」

 桜桃ゆすらに手招きされ、陸は彼女の傍に立った。

「転移の術って、瞬間移動みたいなやつですよね?」

「はい。風早かぜはやさんは、何もせずリラックスしてもらうだけで大丈夫ですよ」

 そう言いながら桜桃ゆすらが懐から札を取り出して空中に投げ上げた瞬間、陸は奇妙な浮遊感に飲み込まれた。

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