第16話 怨念、そして別れ

 伊織は有頂天うちょうてんに成って居た。


 あの小坂部が死んだのだ。


 みごと、宮本武蔵と柳生兵庫助がち取ってくれたのだ。


 忘れてはならないのは、あの若者だ。


 生駒勘四郎と申して居ったのう、此度こたびの件ではよう働いてくれた。


 始めは、こんな若僧わかぞうに何が出来るのかと、思うて居ったのだが、なかなかどうして、素晴らしい活躍をして居った。


 わしが知らないだけで、きっと名のある剣豪なのであろう。


 若も喜ばれて居った。


 この頃お顔の血色けっしょくも良い。


 何よりも嬉しいのは、この伊織が考えた計画がその通りに事が運んだことだ。


 我がはん藩士はんしは何人か死んだが、それは仕方のないこと。


 お家の為の名誉めいよある死だった。


 ただ、それだけじゃ。


 幕府に知れることもなく、隠密裏おんみつりにことが運んだ。


 それに先日幕府の方から、利隆の家督相続かとくそうぞく了承りょうしょうするとの使者も参った。


これで池田家も安泰あんたいと言うもの。


 儂は家老職かろうしょくのみならず、軍師ぐんしとしての才もあるのやも知れぬのう。


 それにしてもあの開かずの間よ。


 後片付けが難儀なんぎであったわ。


 血の匂いは取れないし、そこら中に刀傷かたなきずはあるし、使いようの無い部屋となってしもうて、本当に開かずの間になってしもうた。


 それはそれで良い、開かずのままにしておけば良いのだ。


 今でもあそこに行くと、小坂部が居る様な気がするのだ。


 あそこは、このまま開かずのままにして置いた方が良い。


 その方が良い、伊織はそう思った。




 にくい!


 宮本武蔵、柳生兵庫助。


 わらわをこの様な目にわしおって。


 許せぬ、許せぬ、許せぬ、許せぬ。


 わらわはまだ死んでは居らぬぞ。


 たましいはまだ、この開かずにあるわ。


 この城はわらわの城じゃからな。


 再生はまだかなわぬがここに居る。


 何所どこへも行かぬよ。


 宮本武蔵、柳生兵庫助。


 あのように、わらわを斬りきざみ居って、痛かったではないか。


 あのように細切こまぎれにされては、いくらわらわでも、直に再生するのは無理じゃ。


 しばらく時間が掛ろうて。


 一年やも知れぬ、二年やも知れぬ。


 直には無理じゃ。


 じゃが必ず復活する。


 しかし、一番許せぬのは利隆よ。


 わらわを好きじゃと言うたくせに。


 わらわに惚れて居ると言うたくせに。


 わらわを騙し居った。


 わらわを裏切り居った。


 わらわに恭順きょうじゅんしている振りをして居ったのじゃな。


 あああ、殺したい、利隆を喰い殺したい。


 わらわが復活した日には、一番に喰い殺してやろうぞ。


 残鬼ざんきも他の者も皆死んでしもうた。


 今頃皆、地獄の鬼に成って居ろうよ。


 皆、現世げんせにはもう戻って来られまい。


 わらわは独りぼっちじゃ。


 いや、独りで構わぬ、独りでこの城と共に生きて行く。


 わらわが守れば、この城は落ちることは無い、不落の城となろう。


 永遠にわらわと共に在るのじゃ。


 わらわが死なぬ限り、この城も落ちることはない、不落の城じゃ!




 隠密裏に行われた任務は完了した。


 数名の藩士たちが命を落としたが、勘四郎たち剣士団に犠牲者ぎせいしゃは居ない。


 幾らかの銭を貰った、賞金だ。


 武蔵も兵庫助も断る事は無かった、当たり前の様な顔をして受け取って居た。


 銭を貰い妖怪を斬った。


 これは兵法では無い、ただの刺客だ。


 それでも勘四郎は良いと思った。


 此度の戦いで、自分は確実に強く成れたのだ。


 もともと、人並み以上の技術は持って居たのだ、後は気持ちの問題であったのだ。


 いくら道場で木刀を持ち、修練に励んだとしても、それには限界がある。


 実戦を重ねなければ強くは成らない。


 経験を重ねる事によって初めて、道場で学んだことが生きて来るのだ。


 兵法とは命を奪い合う残酷な行為なのだ。


 道場にて、木刀や竹刀によって命が守られて居る剣術と、実戦の剣術、そこには大きな壁があり、それは雲仙うんぜんの差であることを勘四郎は学んだ。


 そして此度こたびの闘いで、その壁を超える事が出来たのだ。


 相手は人間ではない、妖怪であった。


 しかし、命を奪い合うと言う行為に代わりはないだろう。


「俺は強くなった」


 勘四郎は呟いた。




 姫路城を出て宿までの間、武蔵は一言も口を開かなかった。


 姫路滞在が、殊の外長いものになってしまった。


 妖怪退治などと調子に乗ったが為に、此度の小坂部成敗せいばいまで引き受けざるを得ない状態にしてしまった。


 あんな不細工な立ち合いを、仕上げてしまい、恥ずかしくて仕方ない。


 己の兵法に汚点おてんを残してしまった。


 兵庫助などは、隠密裏の事なので誰にも知られる事は無いから、さっさと忘れることにすると申して居った。


 あの様に割り切ることが出来たら、どれほど気持ちが楽になることか。


 武蔵は色々と考えてしまう質なのだ。


 やはり兵庫助の言う通り、忘れることにしよう、隠密の仕事だ、他に知れる事は無い。


 しかし、もう少し綺麗きれいな仕事は出来なかったのであろうか。


 いかん、忘れると決めたそばから考えてしまった。


 思わず武蔵は苦笑した。


 宿に着いたら、荷物をまとめて大坂に行こう。


 今、天下の情勢は大坂に向いている。


 必ず大きな戦が起り、天下は二分する。


 それは大坂から始まるはずだ。


 早く行かないと、船に乗り遅れてしまう。


 焦る気持ちで宿に着いた。


「勘四郎よ」


 宿に着いて、始めて武蔵は口を開いた。


「は、はい」


 いきなり名を呼ばれ勘四郎は驚いて居た。


「お主とは長きに渡って行動を共にして来たが、ここでお別れじゃ」


「えっ」


 武蔵の言葉に勘四郎は、もう一度驚いちどおどろいて、顔をのぞき込んで来た。


「明日の朝一番で姫路をたつつもりじゃ」


 勘四郎が泣きそうな顔になった。


「どこに行かれるのですか」


「思う事がありたつことに決めた、播州ばんしゅうには長く居り過ぎた、場所は言うまい」


 今度は本当に泣き出した。


「そんなぁ、武蔵様、付いて行っては駄目ですか、俺も連れて行って下さい」


 勘四郎が泣きじゃくる。


「それはならん勘四郎、おとこと漢の別れなのじゃ、泣くな」


 勘四郎はまだ食い下がって来た。


「俺にはまだまだ武蔵様に聴きたい事があるのです、教えて貰いたい事があるのです」


「くどい、勘四郎よ」


 武蔵はしばらく勘四郎を見つめた。


 勘四郎は泣くのを止めた、我慢して居る。


「勘四郎よ、志しを持て、そして志しのままに生きよ」


 下を向いていた勘四郎が顔を上げ、武蔵を観て来た、まだ少し涙目になっている。


 武蔵も勘四郎を観た。


「有難うございました武蔵様、たくさん稽古けいこを付けて頂きました。 兵法について学ばせて頂きました。 漢の生き方を教えて頂きました。 特別に目を掛けていただきました。 そして……楽しゅうございました」


 勘四郎が両手をつき頭を下げた。


 武蔵も勘四郎と居ると、楽しい気持ちであった。


「明日は朝早い、別れは今ここで言っておこう、達者でのう勘四郎、さらば」


 そして武蔵は自分の部屋へ入って行った。


 これでお別れである。


 勘四郎は、いつまでも頭を下げたままで居た。

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