第2話
あまりに勢いよくコンビニを飛び出したので、一人の女性とぶつかってしまった。彼女は尻もちをつく感じでうしろに倒れて「このボケ、どこ見てやがる、くそやろう」と叫んだ。圭太は青くなって「ごめんなさい、だいじょうぶですか」と謝ったが、通りすがりの人に「だいじょうぶですか」と言われた。その人が女性にではなく圭太に言ったのだとわかるのに時間はかからなかった。女はすぐに立ち上がると圭太の胸倉を掴み「てめぇ、走って店から出てきやがったな、何したんだ、ちょっと来い」と凄んで、戸惑う間もなく再びコンビニの中へと引きずり込まれた。
それから話は急展開した。当の女性が「うち腰が痛いからおまえが代わりに働け」と言った。彼女はここの従業員だったのだ。抵抗も何もできないまま圭太はそのコンビニで働くことになってしまった。おそるおそる黄色い制服の上着を着てカウンター内に立ったが、客が来ると「ひゃああ」と叫んでバックヤードに逃げた。商品のダンボールの積まれた隅っこに座り込み小さくなっていると「こらぁ、くそガキ」とか「こっち出てこい」「ぶちかますぞ」と女たちから怒鳴られた。「何してんだ、いい加減にしろ」とこちらへ寄ってくる気配がすると、商品棚に並ぶポテトチップスやカップラーメンを手あたり次第投げつけた。
「なんだ、あいつ」とため息が聞こえ「しょうがない」とどこかへ電話するのがわかった。ほどなく「どこのどいつだぁ」と聞き覚えのある声がした。その声の主はまるでゴジラの咆哮のごとく凄みをきかせ、店内からバックヤードへと入り圭太の真後ろまで来ると「こらぁ」という声が何がなんだかわからないくらいの大声で叫んだのだった。
圭太は頭を抱え座り込み、ダンボールの一部と化すように固まった。
「おまえ、なんじゃ」と声が聞こえた。そうだ、それはあのジジィの声だと気がついた。なんでと疑問が湧いたが身動きせずにしっかり固まるしか方法を見つけられなかった。
「おまえはなんじゃと聞いとるんじゃ」と再度声がした。
圭太は「引き籠りです」と呟いた。
バックヤードの机が二つ並ぶ事務区域の椅子に圭太は座らされ、矢継ぎ早の質問に答えるのに必死だった。
引き籠りがなんで町中をうろうろしている、まだ若いのに学校はどうした、いつから引き籠ってる、親はなにしてたんじゃ、そのおまえを悪の道へ引き込もうとした連中はどうしてる、その英一って奴のマンションはどこにある、等。
なにしろ質問の勢いが凄くて怖いので返す声も小さくて「聞こえない」「もう一度デカい声で言え」「ハッキリしろ」と脅されるのだ。「だいたいわかった」とジジィが答えるまでに小一時間かかった。
片隅で固まっていた圭太の襟首を掴み、ここまで引きずり連れて椅子に座らせたのはジジィだ。そしてもう一つの椅子に座り正面から睨んで話を聞こうと言ったのだった。そのあとジジィは自分の身の上は語った。状況はこうだ。ジジィはこの店のオーナー、昨日言い争っていた女はミカというジジィの孫、さっき店の前でぶつかった女性はエリという名でミカの妹、もう一人ジジィの娘のおばちゃんがいて店長をしている、つまりミカとエリの母親だ。このオーナーはもう一店舗コンビニを持っており、そこではミカのダンナが店長をしていて、バイトやパートのおばちゃんたちを雇っているという。多少とも自慢話が入っていて、「うちは売り上げはそこそこだが客層がいいのが特徴でな、クレームなんかほとんどない」とガハハハと笑いながら言った。
この店でクレームなんか言えるわけがない、と圭太は思ったが黙っていた。
「よし、決まった」と突然ジジィは言った。「採用じゃ」
はぁ、と圭太は目の前のおっさんを見た。
「明日から二十四時間勤務でここで働く」
「ええっ」と叫んだ。
「この店の裏がうちの家だ、部屋が空いてるからそこに住め」
「む、無理です、引き籠りなんだから」
「だから二十四時間勤務と言っただろ、わしが鍛えてやる」ジジィはそう言って再びガハハハハと不気味に笑うのだった。
この後、その裏の家へと襟首を掴まれ引きずりこまれた。途中店内で「話はついたのか」とミカが言う。「明日から二十四時間勤務だ」とジジィが答える。「わかった、わたしが鍛えてやる」とエリが言う。「楽しみだね」とおばちゃんが言う。
家へ入るまでに道で出会った人に「誰か助けて」と叫んだが素知らぬ顔で通り過ぎて行く。自転車に乗ったおまわりさんとすれ違った。「やあ、ごくろうさんです」
「この人に監禁される」と口走ったがジジィに一発殴られる。
「なに言ってんだ、岡田さんは地域の人たちから慕われているんだ、君も頑張るんだよ」おまわりはそう言って去ってゆく。
絶望的な気持ちで家に入ると、二階の部屋へ案内された。
「昼めしが出来たら呼ぶから、それまでゆっくりしていろ」
圭太はそれでも部屋を見回して英一のテーブルの下よりははるかにいい環境だと思った。ベッドがある、机もある。扉を開けるとクローゼットで当然空っぽだ。昼めしはさっき買ったばかりだからそれでもいいのだが、とりあえず腹が減ったからサンドイッチとおにぎりをトートバックから出して食う。腹を満たすと、朝からいろいろあったから眠くなった。ベッドで横になった。
目が覚めたのは夜だった。八時を過ぎている。そっと部屋を出て階段の上から下の様子を伺うとリビングから声が聞こえてくる。ジジィとおばちゃんとエリのようだ。ミカはダンナがもう一店舗の店長をしているというから別に所帯を持っているということだろう。
「あいつ上にいるんだろ、呼ばなくていいの」エリの声がする。ドキリとしたが「いいんじゃないの、好きにさせときなさい、急にどうこうってのは無理よ」あれはおばちゃんの声だ。「でもジジィも好きねぇ、これで何人目」と言っている。
「もうやめるつもりだったんだがな、こうなったのも何かの縁だろ」
少し間があいて「じゃあ、思いっきり鍛えちゃうけどいいのね」とエリの怖ろしい声が聞こえてくる。
「ああ、遠慮なくやれ、わしもガンガン鍛えてやる」
圭太はなんとも身のよりどころのない落ち着かさなで部屋に戻った。
スマホを取り出し英一に電話する。
すぐに出た。「助けて、今、監禁されているんだ」
はぁ、どういうことだと驚く声がして「てっきり家に帰ったんだと思ってたぞ」
それから事のあらましを語ると「なんだ、それじゃ安心じゃないか、コンビニの岡田さんならおれも知ってる、うちにいるよりかえっていいぞ、明日仕事に行く前に荷物持ってってやるから」
そんなぁ、と言う前に英一は電話を切ってしまった。
昼のおまわりといい英一といい、いったいどういうことだと思い悩むが、最後の手段のつもりで親に電話する。
「圭ちゃん、よかったわね、英一から聞いたわ」とここまでで通話を切った。こりゃどうにもならない状態へ追い込まれたようだ。
翌日、朝の六時から仕事に入った。ジジィにたたき起こされて着替えもそこそこに襟首掴まれてコンビニまで引きずりこまれた。しばらくは朝の勤務だと言ってジジィは一旦帰宅したので胸をなでおろす。夜勤のバイトのおじさん二人と交代したパートの伊藤さんからレジの説明を受けた。聞く気ないので天井を見ていると頭を殴られる。「ちゃんと聞け」。「レジなんて嫌だ」と言うも無視される。横にもう一人のパートのおばちゃんの木村さんが立った。おっとりとして優しそうな感じだ。「だいじょうぶよ、わたしが見てるから」伊藤さんはもう一台のレジに立った。
客が来た。出勤途中のサラリーマンだ。手にサンドイッチと缶コーヒーを持っている。圭太は一瞬でカウンターの下に隠れた。戸惑うサラリーマンに「まあ、おほほ」と木村さんが笑って誤魔化しレジをする。
「ありがとうございます」と言いながら座り込む圭太の頭を一発殴った。
その後も似たようなことが続き、仕方ないので棚の補充を受け持つことになった。圭太もこれならいいかなとバックヤードの奥のドアの前に立つ。薄くドアを押し、店内の様子を伺う。片手にポテトチップの袋を一つ持ち、人が途切れた瞬間「今だ」とばかりに飛び出し棚に置きすぐ戻る。その間五秒ほどだ。やれやれ胸をなでおろし、でも「やったぞぉ」と満足げに叫ぶといつのまにかそばに立っていた伊藤さんに一発殴られる。「あんた、仕事なめてんのか」
「もういいから座ってな」と言われてバンザイとばかりにバックヤードの机に向かい、モニターの六分割の防犯カメラの映像をずっと見ていた。うしろにエリが立っているのに気がつかなかった。突然「おまえ何してる」と凄まれた。はっ、として振り返ると「ひゃあああ」と立ち上がり逃げようとしたが遅かった。襟首を掴まれカウンター内に連れて行かれレジの前に立たされた。真横にエリが立ち、鬼の形相で睨みつけられた。二時間その状態が続いた。だが接客は三組だった。客の方でその異様な雰囲気を避けたからだ。唯一、能天気で空気の読めない、くたびれた感じのおっさんたちが並んだだけだった。それでも圭太にしてみれば「いらっしゃいませ」から商品をスキャンし「ありがとうございます」と頭を下げるまで出来たことが天にも昇る思いでうれしかったのは事実だった。
そんな状態が一週間続いた。圭太なりの抵抗をやるだけはやった。一度は部屋の入り口にベッドや机でバリケードを作って出勤を拒否したが、岡田家の三人によるハンマーや電気のこぎりの一撃で破壊された。その挙句ボコボコにされ凄まれさらに殴られ、コンビニへと担ぎ込まれるのだった。しかし圭太は諦めなかった。監禁状態の店内でトイレに閉じ籠ったりバックヤードのダンボールの中にうずくまり、棚の商品を雨あられと投げつけた。一度飲料水の冷蔵庫の裏側に逃げ込んだ時はさすがに寒くて固まった。気分が悪くなり動けなくなってミカとエリに抱えられて出てきた。説教を延々とくらったのは言うまでもない。
二十四時間勤務の意味がわかったのはその後だ。全部のシフトを日を変えながら勤務するのだ。だが、それはまだしばらく後のはずだった。なにせレジはカウンターに隠れるように座って手だけを出して応対したし、商品の補充は相変わらず五秒ルールに固執していたからだ。
ところが、じゃあそれなら先に夜勤をやらせようということになったのは、自然な流れだったのかもしれない。
「夜勤なんか嫌だよ」と言下に拒否したが、「なに、もう一度言ってみい」とミカに一発殴られ「あんた何様なの」とエリに一発殴られ、「わかりました」と応えた。
そして圭太にとって本当に問題だったのは夜十時から朝六時までのその夜勤だったのだ。
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