別れ

 「ごめん……ミランダ、ハンス。少しの間、リアニちゃんを預かっててもらえないかな? 今日中に迎えに来るから……」


 いきなりストラに頭を下げられて、戸惑った二人はひとまずストラに顔を上げるように諫め、彼女のお願いを引き受ける。


 ストラは二人が引き受けてくれたことに安心すると、不安そうに自分を見つめるリアニに声をかける。


 「ごめんね、リアニちゃん。ちょっと用事ができちゃって、今から行かなきゃいけないところがあるの。でもそこにリアニちゃんはちょっと連れてけないから、ここでもうちょっと待っててね。大丈夫、すぐ迎えに来るから……ね?」


 そう言うとストラはリアニの頭をポンポンと撫でてやる。


 「……わかった。お姉さん、気を付けてね……」


 心配そうに眉をひそめた少女を尻目に、ストラは店を後にする。




   *




 ミルクヴァット近くの森の中に、一人で怯え震える少年の影があった。


 ガタガタと震えるその少年の腕は、傷だらけでズタボロになっていた。


 真っ赤な血がその腕から滴り落ち、地に生える鮮やかな緑の草を赤黒く染め上げる。


 「……ゴメン……ナサイ……ゴ……メン……ナサ……イ……」


 少年は自分の腕を必死に掻き続ける。


 しかしその腕にこびり付いたあの人間の血は落ちない。


 むしろ落そうとすればするほど、その腕は赤く染まっていく。


 「……モウ……コレハ……イヤダ……」


 彼を飲み込むその絶望は、その意識を暗い沼の底へと連れて行った――。




   *




 この町の警備の兵士が集まる詰所には、いつも冗談が飛び交い、絶えず愉快な笑い声が響いていた。


 緊張感がないと苦言を呈されることもあったが、彼らは「俺たちは暇なら暇なだけいい。何故ならそれはこの町が平和であることの何よりの証明になるからだ」と笑いあい、その賑やかさが静まることはなかった。


 ――しかし今日の詰所にはその呑気で騒がしい声が響くことはなく、重苦しい雰囲気に包まれていた。


 彼らの前には、彼らの仲間だった男の遺体が静かに寝かせられていた。


 その体には大きな布が被せられ、彼の体がどんな状態になっているか直接確認することはできないが、布のいたるところに赤黒い染みができていることから、どれだけ酷いものなのか想像に難くない。


 彼の魂が安らかに眠ることを祈り黙祷を捧げる兵士たちの中にストラの姿もあった。


 彼らが黙祷を捧げ終わるとそこにスレインの訃報を受けた彼の両親が急いで姿を現した。


 彼らはその遺体にまで駆けより、布を開け彼の静かに眠る顔を確認する。




 スレインの父は静かに顔を伏せ、震える拳を固く握っていた。


 何も口に出すことはなく、ただ彼の傍に立ち尽くしていた。


 隣にいるスレインの母は膝から崩れ落ち、彼にしがみつくようにして泣き出してしまった。


 彼女は「私を置いていかないで、私より先に逝かないで」と何度も口にしていた。


 二人の様子は詰所の雰囲気に、より一層の重みが増すものであった。




 二人が悲しむ様子を目の当たりにし、いたたまれない気持ちが溢れて耐えられなくなったストラは、詰所を後にし、彼が襲われた現場を確認しに行く。


 その場には特別大きな交戦の跡があったわけではなく、ただそこにスレインが流した血の跡が残っているだけだった。


 町を覆う壁には崩された跡どころか、攻撃された跡すらなかった。


 目の前に広がる木々にも傷がつけられたり、なぎ倒されたりしているようなことはなく、朝見た状態と何も変わらなかった。


 ストラは今朝視線を感じた一本の木の元へ向かう。


 その木の周りを注意深く観察するも、不自然なところは何もなかった。




 通常のエンデであれば、獲物である生物の存在に気づくとその場へ突っ込んで襲い掛かることがほとんどであるため、襲われた場所の周りの物は勢いで破壊されていたり、崩れてしまっていることが多い。


 この扉の周りは壁と木々で覆われているため、通常であれば何かしらの痕跡が見つかるはずである。


 しかしこの場にはそれらを指し示すようなものが何も残っていないのである。


 これは、相手が特別に異常な化け物であることを示していた。




 一通り現場を見た彼女は扉を通って町へと戻る。


 そこで詰所から運び出されるスレインの遺体と、その後に続く彼の両親の姿を見た。


 噂を聞き付けた人々も集まる中、彼の遺体は静かに墓地へと運ばれていった。


 夕暮れの影に隠れ、町の景色は次第に夜の闇へ包まれていく。


 その闇は今にも町の人の心をも包まんとしているかのように感じた。




   *




 リアニはカウンターの席へと移動し、忙しなく働くミシェル達の様子を眺めていた。


 昼よりも勝るその客の数に圧倒されながらも、詰まることなくテキパキと仕事をこなしていく三人の様子に見惚れていた彼女は、不意に隣に座っていた中年のフォルティスの男性に声を掛けられる。


 「あの三人すげえよな……。どんだけ忙しくても笑顔は絶やさず、弱音の一つも吐きはしない。ミシェルちゃんなんかまだまだちいせぇ子供なのにも関わらずだ。そんでもって出てくる飯はうまいときたもんだ。そりゃ客も増えていくだろうよ……。嬢ちゃんもそう思うだろ?」


 「え? あぁ……そうですね……」


 いきなり話しかけられて、どう答えればよいか分からなくなってしまったリアニは、適当な相槌を打ってしまう。


 「ハハハッ。嬢ちゃんにはあの凄さはまだよくわからねぇか。まぁ仕事の大変さってのは嫌でも知ることにはなるだろうさ……」


 「おじさんは……どんな仕事をしてるんですか……?」


 フォルティスの男性は酒をグビッと飲むと饒舌に語り始める。


 「俺か? 俺はただの商売人さ……。毎日仕入れた商品を売るだけ、なんて聞いただけじゃ楽そうなもんだが……実際はそんな楽なもんじゃない。物を売ってるのは俺だけじゃねぇから、他の店とは客の取り合いで大忙し。んでせっかくうちに来てくれたその客も商品が気に入らねぇとすぐにどっか行っちまう。いや、どっかに行っちまうぐらいなら優しい方だな……。ある客は商品にケチをつけるに留まらず、俺にまでケチをつけてきやがった。危うく手が出るとこだったんだぜ……」


 リアニにはその男が語ることの半分も理解はできなかったが、彼が行っている仕事の大変さはそれなりに伝わってきた。


 「それは……大変でしたね……」


 「あぁそうだ、大変だったんだよ……。ただここへ来てあの三人を見て、その料理を食うとな、仕事で荒んだその心も自然と穏やかになってってなぁ……やる気が出てくるんだよ。ここであの三人はすげぇ頑張ってんのに俺も頑張らねぇでどうすんだってな」


 その男は忙しなく働く彼らの姿に笑みを浮かべながら語ると、追加で酒を注文する。


 彼の幸せそうな表情を見て、リアニはとても心が温まった。




 しばらくして酒も食事も十分に堪能したフォルティスの男性は席を立つ。


 「じゃあな嬢ちゃん。今日は俺みたいなやつの話を聞いてくれて嬉しかったよ。機会があったらまた話を聞いてくれな……」


 「うん、私もまたお話聞きたいです。ありがとうございました」


 会計をして店を出ていく男性に手を振る。


 彼の背中は哀愁を漂わせながらも、どこか満足げな様子を感じた。




 その後もリアニは隣に座る客に声をかけ、いろんな話を聞いた。


 それぞれが語る内容は仕事の愚痴やこの店の好きなところ、最近会った嬉しい話など十人十色だった。


 そんなこんなで夜も深まり、店からも徐々に人が少なくなっていく。


 賑やかな店内に響き渡る人の声が段々と小さくなっていき、ついには食器を洗う音しか聞こえなくなる。


 ある程度片付けが終わり余裕が生まれたミシェルは、余ったシチューやパンなどを二人前持って、一人寂しくストラの帰りを待つリアニの元へ行く。


 「ごめんね、リアニちゃん。一人で待たせちゃって……遅くなっちゃったけど夜ご飯一緒に食べよ?」


 「ありがとうエルちゃん、いろんなお客さんとお話してたから寂しくなかったよ」


 「それならよかったよぉ~。さぁ冷めないうちに食べよ!」


 二人は仲良く夜ご飯を頬張りながら、リアニはミシェルに今日の客から聞いたいろんな話を聞かせてやる。


 夜も更け、眠気が二人を夢の世界へと誘う。


 ハンスとミランダは二人を上の階にある家のミシェルの部屋に連れていくと、同じベッドに寝かせてやる。


 ハンスは「ストラが戻ってくるかもしれないから」と、ミランダを部屋で休ませると、自分は一人店のソファで休む。




 ――しかしその日のうちにストラが戻ってくることはなかった。

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