魔王機構

どもです。

魔王様.exe

 魔王。それは神代の時から人々を脅かす悪意の化身。

 天にも届きうる魔の素養は人間世界を何度も衰退させ、しかしそのたびに勇者なる存在が現れては闇を払った。文明こそいくらか失ってしまったが、希望だけは胸の中に残っている。決して無駄などではないのだから。


 それが世界で語られる魔王討伐の物語、その粗筋であり、魔に服する者たちが刻む敗北の歴史――などと人間は宣っているらしい。


 思わず鼻を鳴らした。

 ストレスが溜まる。


「おい、召使い。勇者はまだか」


「あと数時間の辛抱かと」


「それを最初に言ったのは何時間前だったか。予知能力はどうした?」


「何度も申しておりますが、私は神のシナリオをただ伝えるだけの存在。実現させるのは貴女ですよ、魔王様。計画に遅れが出ているのは貴女自身の責任でしょう」


「ハッ、当代の勇者が弱すぎるんだよ。旅に出る前の先代といい勝負しそうだぜ」


 第二の視界で勇者を覗く。どうやら三階のあたりで戦っているらしい。

 戦士より力が乏しい。魔法使いより魔法が弱い。僧侶より天法が拙い。良いとこなしだぜ、勇者なんて辞めちまえばいいのによ。


 ぼやきを聞いた召使いが溜息を吐きやがった。

 もう何十万年もの付き合いだろうに、相変わらず俺の心を理解しようともしない。


「俺があんなザコに倒されなきゃいけねえなんてな。この世界をいっそ神代からやり直すのはどうだ? お前だってカミサマに会いてえだろ」


「私は務めを賜った身。泥を啜り木の皮を舐める――もとい、貴女のサポートをすることが使命です」


「……俳優業が気に喰わねえのか?」


「貴女が気に喰わないだけです」


 召使い――ミカエルは醜悪な翼を震わせて大いに嘆いて見せた。


 俺たちが演者に、いや、嘘吐きになったのは、何十万年前のことだったか。

 遥か昔、人間の甚大なる支配力、そして星を喰い潰す勢いだった消費力はカミサマが持つ何らかの基準に引っ掛かったらしく、一度文明をリセットしたことがあった。

 それから数千年経ってまた人間が再興した。再びエスカレートした彼らに一頻り罰を与えると、カミサマは人間だった魔力の塊から俺を作り、役目を与えた。


 人間が分を弁えるまで何度でも滅ぼす存在。

 先代の勇者が俺を倒したのはだいたい四千年前か。

 初めは神の手先として意識高い系魔王を心掛けていたが、人間の愚かさを目の当たりにしてからはカミサマの使いを名乗る気すらなくなった。神の手先がキレてる程度の事実で止まるほどあいつらは賢くない。

 ただ、一番の理由は、俺たちが神の名の下に罰を与えたことで、人間たちが神を否定し科学を崇拝し始めたことだった。十割キレたミカエルの尻拭いをさせられるなんて二度と御免だ。


 ああ、それからだ。

 俺が魔王を、ミカエルが召使いを名乗る嘘吐きになったのは。


 それにしても。


「いつになったら学ぶんだろうな、こいつら」


「知りません。彼らに教えを告げる役割はガブリエルとその預言者にありますから。侵官之害と言うでしょう」


「何万年前の言葉だよ」


「詳しく覚えてはいませんが、学ばなかった人間の言葉でしょうね」


「候補一つも絞れてねえんだけど」


「全く愚かしいことです」


 人間の自己中心性はいつになっても衰えることを知らない。何度鼻っ柱を折ろうが無駄だ。全部を己のために使いやがる。それでいて俺を害悪な化け物みてえに扱うんだ、滑稽だろ?


 骨折り損の俺としてはこんな回りくどいことをせずに滅ぼしちまえと思うが、それを具体的な考えに示せば存在意義との矛盾によって存在が消える。

 そういう意味でも、俺は神に与えられた役割の化身であり、悪意とかいう不定形な感情の化身でも化け物でもねえ。あの物語は間違ってる。ガブリエルめ、都合のいいように使いやがって。


「まあ、いいさ。俺は人間じゃねえんだ。何度繰り返そうが期待も絶望もしてやらねえ」


「ええ、雑念は要りません。貴女はただの機構ですから」


「分かってるっての」


 今回の罰は控えめだった。再興し、また同じ過ちを繰り返すまでそう多くの時間はかからねえだろう。この性悪召使いとも再会するわけだ。はーぁ、魔王も楽じゃねえな。


「……お、進んだか」


 あとちょっとだ。

 頑張れよ、勇者サマ。

 お前の勝利は確定してるんだぜ。





「ようこそ謁見の間へ。大層お疲れのことと存じますが、伺いたいことがございます」


 ミカエルが首を傾げる。


「本日はどのようなご用件でしょう?」


 周囲を警戒する三人とミカエルを睨む勇者。


 会話とは、ミカエルも無駄なことをするものだ。

 見捨てられた世界に期待して何が得られるというのか。


 退屈だ。

 欠伸を一つ。


「君たちを征伐しに来たんだ」


 毅然と答える勇者にミカエルの翼がばさりと動く。

 そして応酬。三十年弱の積み重ねなんて俺たちの前ではないに等しい。加えて当代の勇者は口が上手いわけじゃねえらしい。更に退屈だ。


「それに――あなたたちの宗教では身の程を知り浪費を抑えることが美徳なのでしょう? 感謝してもらいたいものです。代わりに根本から原因を消し去って差し上げたのですから」


「そうだな。確かにそうだ。俺たちはやりすぎた。改善しなければいけない。だが、それはお前たちが行うように暴力的で一方的なものではいけない。お前たちを倒して、俺がこの世界を変えてみせる」


 過去にそう言った勇者は何人もいた。特に信仰心が強い勇者は俺の居城に辿り着くまでの道程で何度も世界に疑問を投げかけていた。そして迷いを持ちながらに俺を見据える。


 ああ、全く滑稽だった。

 神に捨てられたということは、どう足掻いても改善することはないと未来が確定しているということだ。どのような選択肢を選ぼうが運命は定まっている。

 迷う必要なんてねえんだ。黙って滅ぼされてしまえばいい。それがカミサマの御意思に従うってことだ。分かったか、見捨てられし者共よ。


「きっと神様もそれを望まれて――」


「分かりました。どうやら帰っていただくことは出来ないご様子。お相手しましょう」


 神を利用した物言いにミカエルが三割くらいキレた。

 誰か死にそうだな。



 勝負は一分もかからず決まった。

 早々魔法使いが真っ二つになり天法も間に合わず即死して、戦士と相打ち。凄惨な死体が三つ転がった。元からミカエルが負けると決められた勝負だ。憂さ晴らしが終わったならさっさと退場、それがいい。


「ごめん、なさいっ……私、間に合わなくて……!」


 仮に救うとすれば味方が斬られる前に準備完了している必要がある。そんなことは到底不可能だ。少し考えれば分かることだろ、どれだけ力があったって無理なモンは無理だ。


「堪えろ、まだ終わってない。泣くのは終わってからでいい」


 いいこと言うじゃねえか。俺からは「終わったことに泣く暇があるのか?」って言葉を進呈しようか。これも少し考えれば分かることだぜ、勇者サマよ。


 さて、と玉座から飛び降りる。

 復讐にでも燃えているかと思ったが、どうやら意外に冷静らしい。


 勇者は石の扉でも開けるように重々しく口を開いた。


「一つ聞いてもいいか?」


「言うだけ言ってみろよ」


「君が世界を憎む理由はいったいどこにある」


 時間の無駄だ。

 さっさと倒されてやろうと攻撃を仕掛けたが、勇者は敵意すら押し込めて同じことを宣った。


「ダヴィが言っていたんだ、常に正しいことを考え続けなくてはならないってな。君たちが徹底していた都市機能の破壊は確かに最悪だが、それを成し遂げるだけの力があってどうして俺たちはまだ滅亡していないのか、ずっと疑問だった」


 少し考えれば分かること、か。

 目的に一直線な行動してりゃ当たり前に変だって分かる。


「俺はリサイクル業者みたいなモンさ。神に見捨てられたお前たちの中から使えそうな部分を見繕って次の世界に充てるだけだ。それをカミサマは望んでおられるってなワケだ」


「へえ」


「ははっ、なあ……因縁の相手が神罰を語ったなら、お前、信じるか?」


「笑えない冗談だ」


「だろうな」


 そして、その結論を信じないだろうことも分かるさ。


 人間とは自己愛の怪物だ。

 飢饉や災害を天罰だのと言うくせして、直接害された途端に手のひら返しだ。本当の神罰をあるがままに受け入れた世界なんぞありゃしねえ。何度世界を繰り返しても、お前たちは完全無欠に愚か者だった。


「で、お前は何がしたい? 俺に何を期待してやがる? お前の役目はただ一つ、民草を導くことでも、世界の真理を追い求めることでもない、俺を殺すことだ」


「人に役目なんてあるものか。俺は勇者と呼ばれるが、勇者になろうと思ったことは一度もない。俺が俺であり、そこに肩書がついてくるんだ」


「セリフだけは立派だな。お前の肩書には詩人ってのも入ってんのか?」


「さあな」


 僧侶の祈りに魔法――いや、天法が発動する。

 本質的には一緒のくせして、人間はそこを区別したがる。

 欲望を根源にしようが、信仰心から生まれようが、どちらも同じ願望だ。


 願いだけは一丁前にしやがるのもうざったらしい。

 行動を省みるのが先だろうによ。


 それにしても。


「役目なんてない、か」


「そうだ。役目に囚われる必要はない」


「随分と上から言うじゃねえか。お前に何が分かる?」


「分からないな。ただ、お前がもし魔王としての役目を果たすためだけに動いていたのなら、この侵攻だって望んでいなかったはずだろう」


 人間は絶対的に正しい、そう思っているらしい。

 そのために、それっぽっちのためだけに、俺が俺として存在することの意義を貶されたらしい。


 俺は人間じゃない。

 怒りなんてものは持ち合わせていない。


 振るう腕が真っ向から勇者の剣を弾いた。


「物知り魔王様が無知蒙昧な勇者サマに説明してやろう。人間の尺度が通じるのは人間の世界だけだ。カミサマも、この魔王様も、お前たちに理解できる構造はしてねえんだよ」


「つまりお前たちは、理解できない俺たちにその尺度を押し付けていると?」


 もう一度腕を振るえば、勇者の頬に赤い線が引かれた。

 勇者の言った「お前たち」にカミサマは含まれていないと分かっていたが、俺は動揺したらしい。少しだけ力加減を誤ってしまったようだ。


 ……動揺じゃなかったとしたら、まさか怒りか?


 ハッ、笑わせてくれるな。

 俺に感情なんてものがあるはずもない。


「不毛だってことが分かったか?」


「……お前と交わした言葉は心に留めておくつもりだ。だが、これ以上話してもきっと蟠りしか残さない。それに、お前の言い分を理解するには及ばなかったが、後戻りができないことだけは分かったさ」


 鍔競り合っていた俺の爪を弾き飛ばし、勇者は剣を構える。


 やはり下らない時間だった。

 相変わらずな人間の在り方に反吐が出そうだ。

 役目を授かっていない中で、これほど一貫していられるとはな。


 いや、むしろそれを持たないからか?

 たとえば、俺やミカエルが意義を持たずに生きていたら、人間のようになっちまっていたのか。

 それは何ともまあ想像が難しい未来だな。


「終わらせよう」


「主よ、彼の者に我らが光をお与えください!」


 勇者が剣を構え、殺気を纏う。

 僧侶の天法によって淡い光を帯びる。


 いつからだったろうな。

この戦勝直前の雰囲気を癪だと感じ、さっさと殺せと願うようになったのは、いつからだろう。


 魔王を自称するようになってすぐの頃は、ミカエルが勇者らに八つ当たりしているのを見て、何がしたいのかと首を傾げた。

 俺は大した抵抗をすることもなく、勇者に殺されてやった。


 いつから、ミカエルが誰かを殺すたび「もっとやれ」と、僅かにでも思うようになったのだろう。


 俺は機構だ。

 カミサマの御意思に従うモノ。

 ミカエルが灸を据えることでカミサマの願いが達成されやすくなるなら、俺は確かに虐殺を望む。だが、どれだけ殺しても人間相手なら意味がないなんてこと、とっくに分かっていたはずだ。


 それでも、俺は、どうしてミカエルの行いに昂ったのだろう。


「報いを受けろ、魔王」


 勇者の剣が俺を突き刺す。

 致命傷を喰らってなお、俺は考え事に没頭していた。


 カミサマの御意思に沿うでも反するでもないのに、この感覚は何なのだろう。冷たくて、しかし熱い。渦を巻くくせして動かない。


 なんだか、そうしなけりゃならねえ気がして、口を開いた。


「こういう時はな」


 体が動かなくなっていく中、自然と手が僧侶の方を向いた。


「首を落とさねえと、ダメだぜ?」


 無抵抗で致命傷を喰らった俺に油断していたのか、僧侶に俺の魔法が直撃する。

 勇者は死に体の俺を突き飛ばし、剣すら放って駆け寄っていった。あの魔法は確実に命を奪ったはずだ。霞む視界、無駄な足掻きを見続ける。



 どうして、俺はこんなことをしたのだろうか。


 カミサマが俺に求めた仕事なら終わっているから、もう幕引きでよかったはずだ。勇者にアドバイスしてやるのだって不必要だ。どうして、俺はミカエルのようなことをしたのだろう。


 まあ、次に生まれたとき考えりゃそれでいいか。


 俺は目を瞑った。

 死ぬ感覚には慣れている。


 勇者の号哭が遠くに聞こえた。

 僧侶を助けられないと分かったのだろう。



 ――どうして、俺は笑っているんだ?



 分からないまま俺という存在が消えていく。

 薄れていた俺の意識が疑念と共に溶かされていった。


 そうして、また、次が始まる。


 変わることのない世界が。

 そして、少しだけ変わった、俺が。

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