人間の価値
コウモリとの会話で気分を害した俺は、ドスドスと地面を踏み鳴らすように歩いて情報屋に向かった。なんだあのクソ野郎は。十中八九、俺の感じた通りだろう。
ハランの実家は終わってる。貴族というものがみんなあんな感じなのかは知らないが、元々好きではなかったのが今日のことで大嫌いになった。
コウモリは、娘の死を本気で願っていた。俺はこのことをハランにどう伝えたものか、頭を悩ませた。答えが出ないうちに情報屋に着くと、
「いらっしゃいませ。あ、メロン様。こんにちは」
ハランが出迎えてくれた。紺色の服に身を包んでいる。店番と同じ恰好だから、これがこの店の制服なのだろう。うむ、似合っている。バッチリ看板娘って感じだ。
「意外と上手くやってるっぽいな。安心した」
「はい。レイさんからお仕事を教えていただきました」
ハランは誇らしげに胸を張った。レイというのは、店番のことだ。
「ハランはどうだ?」
俺が訊くと、
「指示はちゃんと聞いてくれるし、真面目で一生懸命ですよ」
と店番のレイは淡々と答えた。父である情報屋に似て、愛想はあまり良くない。でも人を見る目は情報屋からしっかり引き継いでいる奴なので、こいつが褒めるということは、本当にハランは働き者なのだろう。
「そっか。それなら良かった」
俺は安心して踵を返した。
「何か食べていかれないんですか?」
ハランが訊いてくる。
「いや、ちょっと様子見に来ただけだし。俺も仕事あるから帰るわ」
「そうですか……」
ハランの口調が少し残念そうに聞こえた。立派に仕事をしているところを見せたかったのかもしれない。俺は情報屋を去る前に、
「夜にまた来る。そん時に少し話があるんだ」とハランに言った。
「分かりました。待ってます」
ハランが答えた直後、
「ヒューヒュー」
と、レイが無機質な口調で言った。ヒューヒュー、の棒読みなんて初めて聞いた。俺とハランは意味が分からず、レイの顔を凝視する。レイは俺たちから目を逸らしながら、
「……以前、お客さんに『お前は何を考えてるか分からないから怖い』と言われたことがありまして。それ以来、もっと親しみやすい人間になろうと努力しているんです。今は冷やかしてみたつもりだったのですが……」と言った。
真顔でそんなことを言い出すレイにツボって、俺とハランはしばらく笑いを堪えるのに必死だった。
夜になり、自分の仕事を片付けた俺はまた情報屋に向かった。店に着くとハランはもう自分の部屋に戻っているようだった。初日ということで仕事は早めに上がらせてもらえたらしい。
部屋のドアをノックすると「どうぞ」と返事がした。
「邪魔するぞー。お、ちょっと部屋の片付け進んだな」
昨晩までは散らかっていた小物が綺麗に置かれている。
「はい。お仕事が終わった後に片付けました」
ハランはベッドに腰かけていた。ラフな恰好をしている。見たところサイズが合っていないようだから、レイの服を貸してもらってるのかもしれない。
「店員の仕事、どうだった? 一週間の予定だけど、やれそうか?」
「やれそうです」
自信ありげに頷くハランを見ると、不安が少し消えた。
「そっか。そりゃ良かった」
「えーっと。それで、お昼におっしゃっていたお話というのはなんでしょうか?」
「おう。……ハランからすればあんまり聞きたくない話だろうけど、話さないわけにもいかないから話す。覚悟して聞いてくれ」
「は、はい」
ハランは背筋を伸ばして聞く姿勢になった。俺は部屋に一つだけある木製の椅子に腰を落ち着けると、今日のコウモリとの対談についてハランに話した。
ハランは話を聞くうちに段々苦しそうな表情になっていったが、ここで嘘をついてもどうしようもないので、正直に伝えた。
「……っていう感じだ」
「そう……ですか」
ハランは諦めたような微笑みを浮かべながら俯いた。俺は一応、フォローしておくことにした。
「でも、今の話は俺の主観が大いに反映されている。俺視点のコウモリはハランの生存の可能性を好ましく思っていなかったけど、実際コウモリが何を考えていたかは知らない」
「いえ、きっとメロン様の感覚は正しいんですよ。お父様は、私がいなくなってしまった方がお喜びになるはずです」
自嘲気味にそんなことを言うハランは見ていられなかった。
「なぁ。ハランの話を聞かせてくれないか? なんとなく察しはつくけど、実際ハランがどういう人生を送ってきたのか俺は知らないし、それを知らないと今後の方針を決めづらい」
ハランはゆっくりと頷くと、語り始めた。
人間の価値
私は昔から『お前は本当に出来が悪い』と言われ続けてきた。そして、実際その通りだったのだ。優秀なお兄様やお姉様に比べ、私には何も秀でたものがなかった。お父様からもお母様からも褒められた記憶がない。でも、それは私の実力不足のせいだ。
だから、私は家の方針にまったく逆らわずに従い続けてきた。それが唯一私にできることだったからだ。私の家では、お父様やお母様に認められる存在以外に価値はない。
そして私には認められるだけの実力がなかった。私にできることは従順であることくらいしかなかったのだ。
貴族としての教養を身に着けるためのお勉強で、覚えが悪かった私は罰として頻繁に叩かれたり部屋に閉じ込められたりしたが、それに反発したことは一度もない。
能力がない私には従順であること以外に存在価値を示す方法がなかったからだ。
しかし、お父様たちが求めるのはそんな人間などではない。
逆らわないだけの無能を、お父様たちは決して認めなかった。
「自業自得なんです。私がなんの結果も出せない人間だったから、お父様は私に愛想を尽かした。お父様のお人柄が悪いというわけではありません。今回のことだって、拉致されたのがお兄様やお姉様だったら、お父様だってきっと一生懸命助けようとしたはずです。いなくなったのが私だったから、お父様は……」
ハランはそこまで話すと、俯いて黙った。なんでハランはあんな父親を庇おうとするのだろうか。あんな奴はただのクズだ。自分の娘の死を願うような正真正銘のクソ野郎なのに。でも……あんな奴でもハランにとっては親なんだ。親の記憶がない俺からすれば共感はできないが、子供は親に認められたがるものなのだろう。
俺は慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「自分の家庭のことしか知らないハランには分からないかもしれないけど、親が子供を愛するのに、価値がどうとか普通は考えないと思うぜ? まぁ、自分の親のことほとんど知らない俺が言っても説得力ないかもしれないけどな」
「普通なんて知りません。私は私の場合しか知らないし、それに対して何も思いません。ただ、私はお父様に認められない限り自分の価値を実感することができません。それだけは確かです」
「実感できなくても、ハランにはちゃんと価値があるさ」
「ありません」
「あるよ。自分で気づいてないだけで」
ハランは達観したような顔で首を横に振った。
「そんなことないです。私に価値なんてない。そして、価値のない私のことを見捨てたお父様は、きっと間違っていないんです。生きている価値のない私の死を願って、それのどこに罪があるのでしょう? お父様は悪くありません。お父様に自分の価値を証明できなかった私が悪いんです」
俺はいい加減イライラしていた。なんだこいつ。自分には価値がない、価値がない自分は死を願われても仕方がないとか、馬鹿じゃねぇの?
「ハラン、よく聞け」
声のトーンを落とした俺に不穏なものを感じ取ったのか、ハランの体が一瞬強張った。
「価値ってのは、人間が決めるもんだ。例えば金。同じ金額でも、国の景気とかによってそれが持つ価値は微妙に変わる。状況によっても変わる。どんだけ多くの金を持ってたとしても、無人島にいればなんの価値もない。分かるか?」
ハランは困惑気味に頷いた。俺はそれを確認して話を続ける。
「お前が決めつけている自分の価値だって一緒だ。見る人によって全然変わり得る。人の価値なんてのは不安定なもんだ。人間の価値をどうやって測るかにもよるが、今回はとりあえず世間一般的な基準を採用するか。世間的に価値が高いとされる人間、分かりやすく会社の社長とか王様とかを思い浮かべてくれ。こういう人間の価値は絶対的で永久的なもんか?」
「えーっと……」
悩む素振りを見せるハランの答えを待たずに、俺は言った。
「答えは、ノーだ。社長だったら会社が倒産するかもしれないし、王様はクーデターでも起こされたら一瞬で権力を奪われる。……俺はさっき、価値は人間が決めると言ったよな。この場合でもそれは同じだ。社長や王様は、みんなから社長や王様として扱われるから偉い。でも、こいつらが未開の地に行ったらどうだ? こいつらを社長や王様として接する人間がいないなら、こいつらは他の奴と何も変わらないただの一人の人間だ」
「つまり……何が言いたいんですか?」
ハランは恐る恐る、確かめるように訊いてきた。
「今の話じゃ、王様を王様たらしめるのは周りの人間だっただろ? その周りの人間ってのは、一人や二人のことだと思うか? 例えば俺がハランに『あんたは今日から王様だ!』って言ったらハランは王様になるか?」
「いいえ」
「だろ? それと同じだ」
「何がですか?」
眉をひそめるハランに、俺は満面の笑みを浮かべて答えた。
「あんなクソ野郎共に認めてもらおうとしてるお前は、どうしようもない馬鹿だって言ってんだよ」
ハランは鳩が豆鉄砲を食ったようにポカンとした後、顔を真っ赤にして怒り始めた。
「なんてことを言うんですか! 私に対してもお父様方に対しても失礼です!」
「俺はクソ野郎共って言っただけで、別にハランの『お父様』たちのことだとは一言も言ってねぇけどな」
俺は『お父様』の部分を茶化すような口調で言った。ハランは俺の指摘にハッとして、頭を抱える。
「こ、こんなの罠です! トラップです! ずるいです!」
「はっはっは! まぁ、それがハランの正直な気持ちなんだろうぜ。お前も内心、親父たちのことクソ野郎共だって思ってるのさ」
「そ、そんなことありません。今のは話の流れ的にそう判断してしまったというだけで、私は決して」
「はいはい。そんなことはどうでもいいんだよ」
俺はハランの言い訳を遮って、話を再開した。
「誰のことかは敢えて言わないけど、お前は某クソ野郎共から『あんたは今日から王様だ!』って言ってもらうために頑張ってるようなもんだ」
「今更名前を伏せても意味を成さないですよ……」
ハランは疲れた表情でツッコミを入れた。俺は無視して続ける。
「お前の価値を決定づけるのはあいつらだけか? 違うんだよ。あいつらがお前を認めようが認めまいが、それで決まるのは『あいつらにとってのお前の価値』だけだ。自分の価値をあんな奴らなんかに決めさせるな。お前の価値を認める奴はお前の両親以外なら簡単に見つかるさ」
「私に価値があると思う人なんて、いませんよ……。そんな人、いません」
「いるだろ。少なくともここに一人」
俺は立ち上がってハランの前まで行くと、ハランの頭を髪がくしゃくしゃになるまで撫でた。撫でられながら、ハランは俺の顔をじっと見上げていた。
「あんな家で、今までよく頑張った。お前は百点満点の人間だ。胸張って生きろ」
ハランは顔を伏せると、静かに涙を流し始めた。隠れて一人で泣くのに慣れている奴の泣き方だった。俺はハランを抱き締めた。
ハランが落ち着くまで待って、泣き止んだのを確認すると、俺はハランの隣に腰掛けた。
「さあ、ハラン。お前はこれからどうする?」
俺が漠然とした問いを投げかけると、ハランは決意に満ちた目を俺に向けて、
「……お父様と、決別します」
そう宣言した。
「お前はそれで本当に後悔しないか?」
しっかりと目を見ながら確認すると、ハランは真剣な顔で頷いた。それから、ふっと頬を緩め、
「あなたは私に言ってくれましたよね。長い人生、たまには家出したっていいって」
「ああ。言ったな」
「私もその通りだと思うんです。人生は長いんですから、その中で家出の経験くらいあってもいい。そして……駆け落ちの経験があったっていいと思いませんか?」
ハランはそう言って小悪魔的な笑みを浮かべた。俺はあの時のハランより魅力的な笑顔を知らない。俺もハランにつられるように口角を上げて、
「自分を誘拐した犯人と駆け落ちか。いいな、それ」
と答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます