玉座に身を据えた者たち 53.093

運命の枷 

夜の帳の魔王の休日

 さて、早速本題に入りたいのだが、その前に改め”運命”とは何かを簡潔ではあるが書き記しておこうと思う。


 運命とは、生まれる以前から誰かが決めた命の軌道であり、かつて誰かが歩んだ痕跡をなぞるように記憶や空間を繋ぐ、根源的な世界の摂理であることを憶えていて欲しい。大筋の潮流は基本変わらないが、他者との関わりにより内容は変化する柔軟性を持つ。いわば、魔王を倒す結末は変わらないが、その道中の装備や経験、歩む道筋によって、いくつかの選択肢はある用意することができる、ということだ。


 その裏付けとして、それを教えてくれた某編纂者曰く、運命は空間の維持に必要な機能であり、世界の記憶を保つことで新たな可能性を生む土壌を作り発展させ、全生命の願いである『終わりの先を観てみたい』という永遠の願いを叶える続ける装置としての役割を果たしているのだとか。


 要するに、”運命”とは我々が思い描くほどに、絶対的でも強制的でもないということを、心に留めておいてくれればそれで充分だ。


 そのように運命を受け入れた時、自分の中でどこか懐かしい感情が心の底から湧いてくるのと同時に、それは紛れもない真実と確信を持てる記憶が呼び起こされた。


 ――あれはまだ自分が『銀堂遊学』と名乗っていたころの話。


 当時の自分は特に何も肩書を持っておらず、蒼井大学を卒業してから既に一年余りが過ぎ、世間的に言う無職、蔑称的に言うならば堕落したニートとして日々を送っていた。


 ここで勘違いしてほしくない部分として別に『収入のない生活を送っていたわけではない』という事実だ。


 銀堂と聞くと、どうせ裕福な実家から潤沢な仕送りを受けて、一般人の手の届かぬ贅沢な暮らしをしていたのだろうと、嫌味まじりに睨みつけてくるような声があるかもしれないが、それを受け取る側の立場としては、決して気分のいい話ではない。


 銀堂家の名の下、表向きには『駐在』と称される者として、各所に送り込まれた兵の一人であり、命令が下るまでは移動も許されない。いわば飼い殺しの存在。駐在場所も表向きは格安のボロアパートだったが、裏を返せば、銀堂家と繋がりのある者たちの集会所であり、大家と自分はその場を守る門番、あるいは漬物石とでも呼ぶのが相応しい関係性であった。


 大学進学だって家の意向で入れられたし、それを利用して高校のころの小さな約束を叶えようとしたが、向こうの変えられない事情で遂にはその我儘すら叶うことはなかった。それで、つまらない学園生活を送るのだと思っていたが……。少し話が脱線したな、その話はまた追々。


 話を戻して、確かに居住地に関しては家からの仕送り同然であることは否定しない。ただしニート生活を支えていた収入源は、自分が学生時代に築き上げた資産とその余剰金を利用した投資利益で、その点においては家に縋ってないことは念入りに伝えておく。


 くわえて、仮に居住地を追われても大学の卒業とともに得た『とある特別な権利』を利用すれば、少なくとも衣食住には困らない。


 ここまで聞いて、社会で必死に働いている人間からすれば、「人生イージーモード」同じ立場なら「一生安泰だな」と優越感に浸って、世間を見下した態度をとれる生活を送れそうだが、実際のところはそこまで良いものではない。人間不思議なもので、いくら地位や名誉、資産があったところで幸福には成れないらしく、気づけば無気力で何をするにも億劫な絵に描いたようなクソニートが誕生する。


 学業から開放された数ヶ月は晴れやかな気分で日々を過ごせた。けれど、そこを過ぎれば、その安堵感は徐々に鉛のような感情に変化していき、視界から色彩が抜け落ちていき、やがて色のない虚無感に心は蝕まれていく。


 さらに侵攻が進めば次第に、食事からも味覚が失われ、運動不足により筋肉はやせ細り身体が動かなくなる。腹には不格好な贅肉がつきはじめるのに、顔の皮膚は薄く骨張りだし、目の下にはまるでペン厚塗りされたような濃い隈が浮き上がってくる。

その姿はさながら怪物や妖怪のたぐいではないかと、自分の顔ながら疑いたくなる形相をしていた。


「これはさすがに生物をやめているな」と、ようやく危機感を覚えた自分は、それまで一度も考えたこともなかった行動に出はじめる。


 運動など無用と考えていた自分が、まさか深夜に走り込みをするとはと思いながらその日に走ったのは五十メートル程度。しかも、壁に身体を寄せてずり落ちて、息も絶え絶えになる始末。その体力のなさに脇腹を抱えながら、情けねえ……と過去の体力を思い出しながらしばらく悶えていたのは、骨身に沁みてよく憶えている。


 それでもめげずに毎日走り続け、体力がある程度戻ってくる頃には、行動範囲も広がっていた。配達の食事で済ませていたのも、道中で見つけた飲食店で食事をとったり、食材を買って自炊するようになった。そのおかげか味覚も戻りはじめ、生活管理の成果か、まだ色彩が戻らない視界でも、必要な筋肉がついてきたと実感できた。その自信から、多少なりともファッションを意識するようになったものだ。


 その頃には、昼と夜の違いがなんとか分かるようになり、少し遠出して人通りの多い商店街まで散歩に出かけるようになっていた。ところが、どういうわけか、ただ歩いているだけなのに、チンピラや不良に絡まれたり、挙句の果ては町内の抗争に巻き込まれたりと、次々に災難に見舞われた。そのうちに、近隣の住民からは『夜の帳の魔王』などと呼ばれるよく分からん状態になっていた。


 後に妻に当時の写真を見られたときに、口元を抑えながら「こんな紫かピンクかわからない服装を来ていたら、そりゃ……いろんな意味で”引かれ”ても仕方ないよ」と相当に笑われたことを思い出す。


 いくら色覚が狂っていたとはいえ、どうやら当時のファッションセンスは壊滅的だったらしく、我ながら過去の自分にもう少しセンスを磨いていてくれと、少々気恥ずかしい気分になったものだ。


 この一連の出来事を振り返って、いま思えばそれは、次の”運命の枷”を着けられる前の準備運動のようなもので、事が収まった数日後、その”次の運命の枷”となる一報が届くことになる。

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