10 光あふれる、ひとときの夢
日付が変わって、クリスマス・イブになって。午前中、私は月奏を家に置いて街を奔走した。子ども用の上着と防寒具を一式買って、眼帯を買って。月奏との生活は、急な出費が増えてしまう。真面目そうな顔してるクセ、誘拐をする時すら計画性のない私という女、嫌気が差す。そしてなにより大事なクリスマスプレゼント。家から離れた街一番大きなデパートに行ってももう売り切れていて、他のおもちゃ屋さんに行っても、誰もが考えることは同じなようで、早い者勝ちな世界じゃ私は敗北者だった。
それでも月奏に不必要な悲しい顔をさせるわけにはいかない。一人のサンタとしての使命を背負って、何度も、いくつも、店を巡った。結局、家に一番近い、人気のない古びたおもちゃ屋さんに一つだけおいてあった。それを見て、私はため息を吐いた。それは拍子抜けのものじゃない、あってよかった、そんな安堵だった。ちょうどお昼を回って、思い出したかのように、私のお腹は鳴った。
「これでよし」
その後月奏にバレないように家の中に持ち帰り隠し、私と同じようにお腹を空かせた月奏とお昼ご飯を作って食べた後。私は月奏に買ってきた眼帯を着けた。
「どう?」
「……よくわかんない。けど、前より邪魔じゃない」
まあ、見えないものをどうこう訊かれてもわからないか。けれど三角巾より邪魔じゃないのなら、少しは意味があるんだろう。
私は壁に掛かった時計を見上げる。まだ出かけるには少し早いかもしれないけれど、冬の日は早く落ちる、今出かけても、すぐ過ぎ去る時間の中じゃ変わらないだろう。
「それじゃ、出かけよっか」
「……! うん!」
出かける準備に、私は月奏に防寒着を着せていった。ダウンコートに手袋、マフラーに、耳あての代わりに耳まで隠れるポンポン付きの帽子。下には股引まで仕込んだ。
「こんなにいっぱい、いるの~?」
「いる。風邪ひいたら困るでしょ」
部屋にいるときは絶対にしない衣服のかさばりに、着せ替え人形にされる月奏は不満そうな表情。それでも、ずっと家に籠っていたのが外に出るのだから、どれだけ念入りにしたっていいはずだ。
「それと……はいこれ」
「マスク?」
私は箱から一枚取り出したマスクを、二つ折りにしてから月奏に渡した。
「そう。風邪ひいたら困るでしょ?」
「え~」
「ぐちぐち言わない。これつけないと出かけないよ?」
そう言うと、月奏は黙って渋々それを着けた。眼帯とマスクと、それに帽子がかかって少し痛いかもしれないけれど、マスクはしてもらわないと困る。風邪を引かないようにというのも理由の一つだけれど、月奏は未だに捜索されている身。できるだけ顔は隠したかった。
「……よし、こんなものかな。行こ」
「うん!」
月奏に手を伸ばすその合図に、マスクの憂いなんて忘れて月奏は手を繋いできた。私はそれを引っ張って、出逢った日以来、月奏と一緒に外を歩く。
*
月奏を助手席に乗せて、車を走らせる。なんだかんだこの車に月奏を乗せるのは初めてだから、過ぎゆく景色を窓にくっつきながら月奏は眺めている。
「ねぇせんせぇ、外でなにするの?」
「うーんと、決めてるのは家でやるパーティーの買い物と、街の真ん中でやってるイルミネーション見に行くくらいかな」
「パーティー! 家でできるの!?」
そんな純粋無垢な月奏の食いつきに私の同情心は刺された。その言葉からも、月奏が家でパーティーらしいこともしなかったのは想像に難くない。学校ぐらいでしかやらなかったものを、家でできることすら知らなかったのだろうか。
「できるよ。チキンと、ケーキ買って。今からそれを選びに行くの」
本当は外へ食べに行くのも考えたけれど、月奏の顔が見えてしまうから、それは断念した。少しでもいつもと違う世界を、月奏に触れさせたかったのだけど。
「ケーキ……!」
それでも、今の時点で有頂天になっている月奏を見たら、そんな気持ちも霧散した。今はただ、できるだけ月奏がこの笑顔のままでいられることを考えよう。
窓の外を飽きそうにない月奏が、少しでも長く眺められるように遠くの店まで行くことにした。月奏が横にいるだけで、見慣れた景色が煌めいて映る。もし、私が月奏の左目を奪わずにいたら、月奏はもっと、この世界を綺麗なままで見つめられたのだろうか。
そんな考えに陥りそうで、私は首を振って野暮を全部吹き飛ばした。
遠くまで足を延ばした結果、最初にプレゼントを探しに来た街一番のデパートへと辿り着いた。
「はぐれるから、あまり私から離れないでー」
午前中よりも人でごった返していたデパートの中を、逸る気持ちが先を行く月奏はすいすいと合間を縫って行った。なんとか私も追いつこうとぶつかりそうになりながら走って、月奏をつまみ上げる頃には息を切らしていた。
それからはずっと左手を月奏とつないだまま、パーティーの買い物をしていた。ショーケースの中に並んだ色とりどりのケーキたちに、水族館の魚を眺めるみたいにガラスにおでこをくっつけながら月奏は迷っていた。子どもだから味の好みとか考えず、見た目で選んでるだろうから失敗しそうだけど、それも思い出になると思って、好きなものを選ばせた。そんな私は、ショーケースの中よりもそれに釘付けになる月奏の横顔を眺めている時間の方が長かった。その表情を見ている間は今までのなにもかもが消え去ることができてしまえそうで。その代わり、月奏を攫って本当に見たかった表情がなんなのか、わからなくなっていった。
その後チキンを二人分買って、小さいけれど、植木鉢に入った風の卓上クリスマスツリーも買った。組み立てるような大きなものを買おうかとも思ったけれど、私たちにはこれで十分だった。
「いっぱい買ったねー!」
「そうだね。でもこれで終わりじゃないからね。むしろここからが本番なんだから」
デパートを出て、中との気温差に小さく身震いをしながら、満面の笑みな月奏に投げかける。月奏に手伝ってもらいながら後ろの座席に荷物を積んで、私たちは次の目的地へと向かう。
街の中心、繁栄の基盤を担っているデパートからそこまで遠くない場所。そばにある駐車場へ車を止めて、今度は徒歩で月奏と進む。
気づけばちらちらと雪が降りだしていて、前日から積もっていたんであろう足元の雪には、私と月奏の足跡がつけられていく。
「あ、見えてきたよ」
五分ほど手を繋ぎながら歩いていくと、大きな光が目の前にあふれ出した。
「わぁ……!」
もうすでに深い紫に覆われた空を貫く、大きなクリスマスツリー。月奏と一緒に息を呑みながら見上げるそれは、イルミネーションのもの。周りには、サンタやトナカイのイルミネーションもあって、この場所が違う世界への入り口になっていた。
「すごい、すごい! 綺麗!」
「ふふっ。もっと近くいってみよっか。ツリーの下に、ベンチあるから、そこ座ろ」
月奏の手を引いて、ここまで来た道とは比べ物にならないほど人が流れる道を歩く。その流れに持っていかれないように、月奏の手を固く結んで。やがてベンチにたどり着いて、一つだけ空いている場所を見つけ、運の良さに感謝しながらそこに積もった雪を二人座れるように払って、座った。
「雪、綺麗だね」
月奏の楽しい気持ちが声になって滲み出る。その言葉に、私は空をまっすぐと見上げた。しんしんと振る雪が視界いっぱいに散らばって、そのまま意識が吸い込まれていきそう。すーっと、だんだんと眠くなっていく。
「わっ」
急に横から白が視界に入り込んで来る。冷たさを纏って私の顔に飛び込んだそれは、ぼーっとしていた頭を冷ました。数秒経って、それが雪であることに気がついた。
「あはは」
首を振って雪を振り払うと、投げた張本人である月奏が、ベンチから降りて地面に座りながら笑っていた。
驚いた。いつもは私の怒りを怖がってこういうイタズラじみたことをしないのに、すんなりとしてしまっては笑っている。いつもより気持ちが大きくなる、雪とイルミネーションの魔力だろうか。
「ほら、せんせぇも。雪合戦しよーよ」
「……私は、いいよ」
「えぇー」
月奏の膨らんだ頬と視線に負けて、私は足元の雪を両手で一かきし集める。それを軽く握り、空に向かうよう放り投げた。それは月奏の頭に降って、砕けた。一秒ぽつんと乗っけたまま固まった月奏は、首を振って雪を落とすと不満そうな顔になった。
「もー。ちゃんと投げてよー」
「あぁ……うん……」
月奏に叱られてしまって、いつになく尻込みしてしまった。
どうして。いつもは赤が滲むくらい痛めつけているのに、その柔肌に雪玉をぶつけることが、恐い。
それでも月奏の期待を裏切れなくて、震える手でもう一度ベンチの下の雪をかき集めた。私は丸く、けれど当たったら砕けるように柔らかく握った雪玉を月奏のお腹に向けて投げた。防寒着に当たって砕けるそれは、布すらも通り切らないほどの弱さで月奏に当たった。それでもくすぐったがって尻もちをつくように転げ笑う月奏に、少し不安になる。
「大丈夫……?」
「うん。全然痛くないよ。へーき」
月奏は元気そうで、大きな息が長く漏れ出た。思うよりも安堵して、身体の力全部が抜けていく気がした。この場所は、私の気が休まらないな。逃げたい気持ちの表れのように、地面に座り込んだ月奏の手を引っ張って立たせた。
「そろそろいい時間かもね。帰ろうか」
「えー。もっと遊んでたい……」
「私も、できるならそうしたいけど、早く帰らないとパーティーする時間なくなっちゃうよ? それに、早く寝ない悪い子じゃ、サンタさん来なくなっちゃうよ」
人もさっきより見るからに多くなってきていた。木を隠すなら森とは言うけれど、月奏の存在をその森自体に認知されてしまっては元も子もない。後ろを振り返りながら、少し未練に後を引かれる月奏に申し訳なさだけが残った。
*
「なにあれ!」
帰り道、いつもは通らない海沿いの道を、月奏が景色を楽しめるようにと走っていたら、海に向かって月奏が指差した。海を一望できるような、丘の上にある小さな屋根付きのベンチ。すぐさま過ぎてしまったけれど、月奏が指差してくれたから、見逃さなかった。
「行ってみる?」
「いいの?」
「ちょっとだけなら」
私はいいタイミングで切り返し、先ほどそれを見かけた辺りまで戻る。近くに車を停めてから、丘の上へと二人歩いた。少し砂浜交じりなその場所は、比較的雪が少なくて、地の肌が露出していた。
「んー……ふぅ……涼しいね」
深呼吸をしながら、背伸びをする。もう夜で暗いから波の形ははっきりわからないけれど、さざ波と、それに乗せて香る潮風は、肌身で感じられた。こんな場所、あったなんて知らなかったから、月奏と一緒に出掛けてきてよかったな、と心の端で思う。
「ここなら、誰もいないしマスク外してもいいかも」
「ほんと……!?」
私が頷くと、想像以上に抑圧されていたのだろう、月奏が勢いよくマスクを取った。そのまま投げ捨ててしまいそうなほどだったから、私が回収した。ついでに私も一緒にマスクを外した。私だって、好きじゃなかったから。
外すと、ひゅっ、とひと際強い風が吹いた。マスク越しでも感じられた潮風がそのまま香って、月奏がくれた三つ編みを揺らす。少し、しょっぱい……かも。
屋根付きだから、雪を払う必要もなくそのまま座れた。私たちの間に放り出した月奏の右手に、左手を重ねる。明かりもなく、巨大なツリーの周りよりも暗いこのベンチで、月奏も喋らず、さざ波の音だけが響いていた。空を見上げると、雲の隙間から覗く小さな星々と目が合った。そこから零れ落ちてくるように、雪がきらきらと舞い落ちてきている。
「サンタさん、みえるかな?」
「え?」
今まで横たわっていた静けさを無邪気に切り裂いて、月奏はそう言った。横を向くと、月奏の指先がさっきまで見つめていた空に向かっていた。
「サンタさん、空飛んでるんでしょ? それじゃあ上みたらみれるかなって」
「……サンタさんはみんなが寝た頃に来るから、見られるまで起きてたら悪い子になっちゃうよ」
「そっ、か……それじゃあみれないね。ちゃんとおうちに来てねって言いたかったのに……私のおうちこっちだよ、って教えてあげなきゃ、来られないかもしれないのに……」
おうち、か。
浮足立つ月奏の奥にある気持ちが、なんとなく透けて見えた。月奏は、緊張しているんだ。初めてのクリスマス、初めてのプレゼント。今日だけでいくつもの初めてが月奏の中で重なって、受け入れるのに時間がかかっているのかもしれない。少し、施し過ぎたのかなと、自分を小さく責める。
「大丈夫。見られなくても、サンタさんはきっと来るよ」
そう月奏に声をかけながら、おもちゃを確保できたことに再度私は安堵した。もしできなかったらと想像するだけで、その分の後悔と絶望が、身体にのしかかってくる気がした。
「ちゃんと書いた紙、読んでくれるかな……」
「読んでくれるよ。サンタさんは優しいから」
私が月奏のプレゼントを買いに奔走している午前中に、サンタさんに欲しいプレゼントを書いて壁に貼ってねとチラシの裏にプレゼントを書かせていた。何度も読んだ。勉強をする時と同じ拙いぶれぶれの線で一生懸命書かれた字を、何度も。ちゃんと読んだ。それでも、月奏は不安そうな表情をやめない。
……もし、今私が手を放して、ここに月奏を置いていったら。そうすれば、誰かが見つけてくれて、本当の、普通の暮らしを月奏はできるのだろうか。
本当に優しいサンタなら、普通の生活に帰してあげるべきで、それが本当のプレゼントなんだ。
でも……どうしてだろう。月奏をここに独り置き去りにするというのは、それは、それは……ものすごく、かわいそうだった。
「……帰ろっか」
「せんせぇ?」
立ち上がり、月奏の手を引いて車に戻ろうとすると、逆方向に引きずる引力を感じた。振り向くと、月奏が必死に足を突っ張らせて引き留めようとしていた。華奢な月奏くらい、そのまま無理矢理持って帰れたけれど、私は自然と足を止めた。
「せんせぇには、サンタさん来ないの?」
「え?」
「だって今、せんせぇ悲しそうな顔してたよ? サンタさん来ないから?」
自分の心を剥き出しにされたみたいで、胸の奥にチクリとした痛みが走った。案外月奏は、こういうことに気がついてしまうらしい。それでもあらぬ方向に考えが外れているのが、私を少し安心させた。
「サンタさん来るように一緒にお願いしようよ! せんせぇにもサンタさん来てほしいよ」
「月奏……」
必死な気遣い。月奏のできる、最大の優しさだった。そんなので、私を照らして……苦しくなっちゃうよ、月奏。
「うん……うん、わかった。お願い、してこっか」
もう一度ベンチに座り直して、月奏が、パン、と手袋に包まれた手を鳴らして勢いよく手と手を合わす。痛くなってしまいそうなくらいぎゅっと目を瞑って、天に願いを送っている。
弱ってしまう、無邪気な心に曝されて。少しでも気を抜けば、ダムが壊れたように涙が止まらなくなるって確信した。だから、私も月奏を真似て手を合わせている最中、ずっと息を止めてた。
本当にサンタさんがいるのなら。どんな形だっていい。――月奏を、幸せにしてほしい。
*
家に帰って手を洗ったら、早速パーティーを始めた。チキンを食べて、ケーキを切り分けて……月奏と同じものを食べるたび、どこか泣きそうになっていく自分がいた。
二人で笑顔を向け合うのが……嬉しくて。久しぶりに、人生でこんなに、胸がいっぱいになるような気持ちになった。
この時間が、ずっと、続けばいいのにな……。
「月奏、背伸びた?」
お腹いっぱいにご馳走を食べ満足そうな月奏がお皿を片付けようと立ち上がった時、ふと私はその姿を見て言った。
「そう?」
「うん。久しぶりに、測ってみようか」
身長を測るのは、初めて月奏をこの家に招いた時以来。家の柱に寂しく、その日の日付と身長が黒ペンで刻まれている。
私はその場所に、月奏を出逢った日と同じように立たせ、ティッシュ箱とペンで頭の位置に墨付けの要領で目印を書き、そこと床との距離を巻き尺で測る。
「……十センチ伸びてる」
「ほんと!?」
油性ペンで描いた目印は、前回測った場所と拳一つ分くらい空間が開いていた。それは一ヶ月近くの、月奏の成長の証だった。
「えへへー。せんせぇのご飯がおいしいからだね!」
「私の……?」
「おいしいから、いっぱい大きくなれるの!」
「……ふふっ、そっか。それじゃあ月奏は、これからもっと伸びるね」
「そうなの?」
「うん。成長期だもの、今より、もっと」
「そっか……! るのん、いつかせんせぇみたいなおとなの女の人になりたい!」
反射的にやめて、と言い出しかけた。けれど、それは月奏を否定することになるって気づいて、喉奥に飲み込んだ。私は、大人なんかじゃないよ。月奏に、こんな風になってほしくないよ。
「……そっ、か。それじゃ、これからも伸びたら、この柱に書いてこっか」
「うん! いっぱい書く!」
「よーし。そうと決まれば、いっぱい背が伸びるいい子になるために、今日はもう寝よっか」
沸き立つ心に浮かされて、眠れるのか心配になるほどテンションの高い月奏が勢いよくベッドへと向かう。その背中に響かない溜め息を吐いた。
もう一度柱を眺める。長い間月奏の面倒を見て来たように感じるけれど、まだこの柱には二つしか身長が刻まれていない。これからいくつ目印が増えて、柱のどこまで高い場所に書くことになるんだろうか。軽く想像して、胸の奥がジンと滲んだ。自然と、柱に向かって微笑みが零れていた。
けれど、その柱にこれ以上身長が書き込まれることはなかった。そこに書いた日付が、私と月奏が一緒にいた、最後の日付になった。
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